第39話『獅子の瞳 5』
送迎用の馬車に乗せられたクライフは、四人掛の籠の中、自分の正面に座る偉丈夫にさっそく「まあ座れ」と促された。鎧を着込んだ彼が乗っても充分に広い座席に相対して座り、その隣りにはアリッサがちょこんと座る。
三人が席に着くと、御者ふたり、馬二頭の馬車が静かに走り出す。
アリッサは一息ついた。これで彼女の邸宅に着くまでに、彼らふたりで話をさせれば、まずは一段落となる。
そんな件のふたりは、じっと目を合わせたまま、無言だった。
覇気溢れる偉丈夫、ゴルドは話に聞いていた傭兵風情に目を向け、いや、有り体に言えばずけずけと睨み付けながら腕を組み、場所が許せば足も組んでいただろう。ふんぞり返らないのは、たんにそれでも狭いからだろう。
その視線を受け入れるクライフも、さてこれはどうしたものかと考えあぐねていた。しかし、その厳めしいゴルドであろう男をじっと見返しながら、ふとしたことで言葉が漏れてしまう。
「姫殿下によく似ていらっしゃいますね」
そんな言葉に、ゴルドはその獅子の口腔をポカンと開けてしまう。
「……あれとは、異母兄妹だ」
言葉遣いから、この傭兵風情は自分が獅子王子ゴルドであるということは察しているのだろう。どうだこの国の、この街のいっぱしの指導者といきなり出会った気持ちは――と聞いてやろうという悪戯な気持ちはかき消えていた。
「随分古い鎧を身につけているな。いや、なくはないが、その揃えで一式となるとな。お前の師匠という男のこと共々、妹に直接聞けと言ったそうだな」
言葉尻に恫喝じみた野太さを滲ませながら、ゴルドはあのとき報告を受けたときの憤りを思い出していた。宝玉事件で報告をしたのはアリッサとダランだ。いまクライフの隣に座っているアリッサにとっては、そう報告したときの苦々しいゴルドの顔つきを思い出して眉間がきゅっと引き締まる。
「ここでそれについて話すことは憚られます」
「この獅子王子が命令でもか?」
「左様です」
ふん、と、それでも口元に笑みを浮かべながらゴルドは生真面目な傭兵を見据える。「なるほど、あの近衛たちと同じ性根か」とアリッサと目配せをする。
「――我ら三騎士と、ザンジヤードの三騎士も似たようなものでしょうに」
口に出して反応するアリッサに、クライフがくすりと笑う。
「私は近衛ではありませんが、エレア殿下に拾われたのは事実です」
「シャールの禄を食んでると?」
「いえ、傭兵……請負の剣士をしております」
「なるほど、合点がいった」
ゴルドが聞いていた話では、傭兵風情――近衛の手伝いと聞いていたが、それだけでは近衛同士との繋がりが見えてこなかった。それがこの限られた会話の中でしっかり繋がった。
私兵である近衛ではない。
彼は、あくまでエレアを依頼人として――ごくごく太い依頼人として、ひとりの剣士として活動する『傭兵』なのだろう。そのつなぎが、シズカでありアカネなのだろう。
「ともあれ、お前らが連れてきたという女――少女だが、三騎士のひとりを付けた」
「浸着装甲」
ゴルドはひとつ頷く。
「すでに現われている暗殺者であるなら、浸着装甲の騎士は後れを取るまいよ。……」
ゴルドはチラリと窓の外をうかがう。
馬車は予定通り、アリッサの邸宅へ遠回りに向かっている。
「話がややこしく、何をすればいいのか分からなくなってきた。が、ここにきて、遊撃的に動ける請負いの剣士が現われたのは重畳だ」
話の本題が来たな、とクライフは居住まいを正す。
「バードルとの和平締結のための密使が、中立地帯に来る。近衛も、三騎士も憚られるが、傭兵剣士なら大丈夫だろう。密使の護衛を頼みたい。以前の密使は、中立地帯で殺されたからな」
「そこにこそ、シズカとアカネが必要なのでは」
「中立地帯だから憚られるといっただろう。まあ、身分を偽ればいいのだが、そもそも、近衛は赤獅子にも顔が知られてるからな」
「赤獅子が?」
赤獅子の傭兵団を知っているのかと眉を上げるが、ゴルドは続ける。
「うちの筆頭だからな。……そういえば、牛頭を討った剣士というのがいたが、あれはお前だったか。頭目がそんなことを言ってたが――」
「鈍色のマルクはこちらに?」
「顔見知りか。いや、マルクはガランだろう。そうか、あれとやったのがお前だったか」
獅子が咳き込むようにして笑う。
「…………ちょくちょく報告に上がってきていたが、気に留めるべきだったな。ともあれ、話を戻そう。後腐れのないお前に行って欲しいのだ。守るのは、十五の少年だ」
「十五……」
エレアと同じ。
「そんな顔をするな。あり得ん話だということはこちらも熟考した。バードルが本気ではないといえばそうではなかろう。そこであえて、これに首を突っ込み尽力してくれる人材に心当たりがないかと聞いたところ、お前に白羽の矢が立ったというわけだ」
「私が言ったんじゃないわよ?」
アリッサが小さく反論する。その困った顔は、とてもガランで見せたという行動とは裏腹だ。この少女に一体どんな秘密があるのだろうか。
「シズカあたりが言ったんだろう」
クライフはそんなことを思いつつも返し苦笑する。
「これがうまくいったら、ガランに赴き、久しぶりに妹と話そうかと思っている」
「なるほど、それはいい報酬です」
「なんだ、そんなのが報酬でいいのか?」
「獅子王子殿下に抱えきれないほどの恩を売ってこいと言われまして」
「……エレアの言か」
「左様です」
「ふむぅ」
「そういうところが、足が遠のいている原因ですか?」
「そういうわけではないが――」
ゴルドはふと窓の外に視線を落とす。景色を見てはいない。彼が思い起こしてるのは、過去のエレアの姿だった。
「あれは、俺たちを恨んでいるのではないかと思ってな」
それを受けてクライフは「恨んでるでしょう」と言い切った。「ろくに会いに来ない、便りも寄越さない、そんな親兄弟にいらだってる気持ちはあるでしょうし」と、かつて零していたエレアの愚痴を思い返している。
「獄鎖の件は、覚悟の上でしょう。理解と納得がいったのは、それでも随分後の話だったようですが」
「そうであるか」
最大の懸念を吐露され、ゴルドは一息ついている。
ベルクファスト銀嶺士の一件も含め、何かあるのだろうという気持ちに火が付いてしばらく。ゴルドは心の熾火がいったん落ち着いてきたのを感じる。
「請負の剣士か」
「そういうことです」
「いっぱい恩を売れよ。……詳しいことはアリッサに聞け。頼みたいことは単純だが、こちらが用意するお前という駒は、それはそれで密使に当たるからな」
この一件が終わったら、何かが動き出すだろうか。
「俺はこのまま執務に戻る。城を通り離宮の反対側、ちょいと城壁寄りにコートポニー邸がある」
「そこで何を?」
「それは私から説明しますわ」
アリッサが言葉を引き継ぐ。
「コートポニー家は『赤獅子の傭兵団』の筆頭後援者なんです。これでも鉄山士の一族ですから。……で、中立地帯に陣を敷く傭兵団に出入りの商人伝手に物資を届けるんですけれど、そこにあなたを紛れ込ませたいと思いまして」
「ああ、なるほど」
「そこでの作法や、相手方との符丁もあります。明日の出発までに覚えて頂くことはたくさんありますから」
聞いているゴルドはにやけ顔だ。
「ともあれ、引き受けてくれるだろうか、剣士どの」
「引き受けましょう。自分にも引くに引けない事情がありますから」
「……おいそれとそんなことを言うべきではないぞ剣士どの。そう聞くとむしろ、やりたがってるお前の足下を見なければならなくなるからな」
とりわけ行政に携わるものは、そういうものだと目が言っている。
「下手な商人なら、ふっかけられるところだぞ? まあいい。報酬は払う。わかりやすく、金員でな」
そろそろ降りる場所なのだろうか、馬車の速度が幾分緩む。
ゴルドはそれを確認すると、「――クライフ」と居住まいを正し剣士に向き直る。そして「やってくれるか」と、もう一度訪ねる。
「お引き受けいたします。密使の方をお連れするため、微力を尽くしましょう」
「頼んだぞ。……事がうまくいけば、飲ませたい酒がある」
フと笑うと、ゴルドは馬車を降りかける際にクライフの肩をひとつ叩く。
「頼みますよ」
「頼みますニャ」
城の前で入れ替わりに顔を出したシズカとアカネに、クライフは肩をすくめる。どうせ首尾を確かめるために待っていたのだろう。
「ふたりで何を吹き込んだのか知らないが、まあ立場上自分ひとりが赴くことになったよ。必ず生きて戻る。その後は任せたよ」
「わかりました」
「わかったニャ」
しっかりと頷いて扉を閉めるアカネたちに見送られ、馬車は再び走り出す。
「殿下、どう見ましたか?」
シズカが先を行くゴルドに声を掛けると、彼は困ったように首筋を撫でる。
「魔法の素養はからっきしだな。しかし、あの剣。確かに言うだけのことはある。あれが、先代女王の託した剣か」
「ご覧になったのですか?」
「馬車の中では抜いてみることも難しいだろう? 鞘越しに伺っただけさ。ただ、そうか。先代女王の因縁か。彼も苦労するだろうな」
ここは一息つきながら天を仰ぐ。
だとすれば、ことはエレアに深く関わる事情だろう。
「恩は売れよ、この獅子王子に」
そうすれば、力を貸してやる。
彼は轍を刻む車輪の音を遠くそう思い、近衛のふたりに頷く。
「ではふたりとも、後は頼む。徹底的に場内をあぶり出してくれ。俺の名を出し、好きに動け。……頼むぞ」
「承知いたしました」
「承知いたしましたニャ」
ゴルドはしかし、もう一度アカネを省みてひとつ唸る。
「ニャ、か」
「ですニャ」
「ふふ、面白いヤツ」
ダランに聞いていなければ不敬を問うところだが、聞いたところで信じられなかった。しかしこの一族の謎は、遠ざけていたゴルド自身見直す必要を感じている。
「面白いヤツか」
もういちど呟き、ふたりを下がらせる。
城壁に日が差し掛かってきた頃合いだが、彼にはもう一仕事あるのだ。
待たせている商人の元に向かうため、彼は執務室へと向かった。
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