第33話『燃える虎口丘を越えよ 4』

 虎口丘にたどり着いたフッカ=パラド商隊が見たのは、果たして、白黒煙にけぶる燃える平野と雑木林であった。

 北から狂ったかのように三頭の馬が走り来たとき、商隊の衛士は何事かと身構えた。先立っての一件があったからだが、どうやら様子がおかしい。必死になだめた暴れ馬を連れて先を急ぐ商隊斥候が気が付いたのは、北からの風に煙さが混ざったときだった。火の気配に急ぎ商隊帳に伝えた彼らは、守りを固めて虎口の丘に入った。

 白煙、黒煙、そして熱。

 灼熱の赤と――。


「隊を南へ下げよ。馬を煙から遠ざけるのだ」


 粛然と指示を下すものの、フッカの目には炎の間に閃く影を見つめていた。

 大きいもの。いや、それが大きいものであると気が付いたのは、その周囲に動く人影らしきものがあってのことだった。


「――待ち伏せか?」


 その気配ではないと思いながらも、慌ただしく商隊を南に避難させる衛士や傭兵をかき分け、シドが馬を寄せてくる。


「あれを。シドさん――」

「魔獣だな」


 一瞥するや、シドの声に緊張が満ちる。

 炎、魔獣。昨夜の与太話が頭をよぎる。同じく、いま炎の中で剣を振るう男のした話も思い出される。


「移動指示を出した傭兵を前へ。荷を守れ。――衛士のみなさんは……」


 指示を出すフッカに、衛士の男はゆっくりと炎の中を指す。


「決着がついたもようです」


 商隊の警護のみならず各地を巡回する衛士の目は、魔獣との戦いに決着がついたのを見た。魔獣こそ――それこそ見ぬ類の白骨の魔獣であったが、頽れるその姿から確かに戦う者の剣がその命脈を断ったことを確信したのだ。

 衛士は傭兵たちとも支持と確認を出し合い、すぐに「敵の姿はありません」と報告をする。

 そして衛士は炎の中を指し「あの中には、見知った顔がいるそうです。おそらく近衛と、あの傭兵でしょう」と、一度だけシドにも目を向ける。


「お助けせねばなるまい」


 フッカは消火の指示を出す。この場合は類焼延焼を防ぐために火と火の間を離すために、草を刈り木を斬り倒すことになる。


「縦列一本で通れる道を開けるぞ。傭兵、待ちに待った活躍の場だぞ」


 フッカの号令一下、へいへいとばかりに動き出す傭兵に遅滞はない。慣れているとばかりに作業に取り掛かる。


「魔獣魔物、野党の類と戦うだけが傭兵じゃないってことですか。それは我々も同じですが」


 衛士も笑うと、周囲の警戒に入る。手隙の者が出ると、炎の壁に向かう者もいる。声を張り上げ、中の者へと指示を出している様子だった。二、三のやり取りで「無事のようですね」と確認を告げると、見晴らしの良い虎口丘入口の高台に上がった衛士の案内で、やや風上の火の手が薄い場所へと誘導が開始される。


「道が拓かれたら、彼らも合流できるでしょう。いやはや、よもや魔獣とは。虎口の丘の伝説は、けだし本物であったということですかな」

「さてどうだろうかなあ」


 肩をすくめるシドであったが、彼もフッカも魔獣の出現そのものには肝を冷やしかけたものの、恐れそのものはない様子。それは左の赤をそっとなでる、シャールの商人の姿でもあった。


「ともあれ、だ。酒の値段も砂の国の動きも、あの――」シドはそう炎の中を指し「魔獣らしきものも、どうやらすべてつながっていると思うんだがねえ」と手ぶりで今朝方宛がわれた傭兵に指示を出しながら馬を下りる。


「ゼファール商会はこの一件に触れる気はないがま。首を突っ込まないのが我が信条! ……だからな」

「ちがいない。ただ、あの剣士は苦労するでしょうなあ。……おっと?」


 と、最後は衛士に連れられてきたレーアを見てのフッカの呟きだった。泣きはらしたような顔で連れられてきた彼女の肩を、馬から降りたシドが優しくたたく。


「何があったんだい?」


 静かなシドの問いかけ。ふくよかな彼の顔が優しくくしゃりとなると、レーアもつられるように大きく息をつく。


「兄たちがいました。あと、妹が魔女とクライフさんが呼ぶ女性に人質に」

「なるほど。魔女、ねえ」

「シドさん、ガランに出たという魔女でしょうかね」

「恐らくそうだろう。魔女なんてそうそうぽこぽこ国内に入り込んでるわきゃないだろうし、特にあのクライフがそう呼ぶ奴は……いまんとこは、ひとりだろうさ。……お? 噂をすれば」


 シドの声につられて見れば、大きく迂回した雑木林の陰からシズカと、アカネに肩を借りたクライフが衛士数人に護られてやってくる姿が見えた。

 火と煙を避けられる場所に出るや、アカネはクライフを寝かせ、彼の鎧を外しながら剣士になにやら声をかけている。不満顔と気が抜けたような調子なのは、彼への文句が口に出ているからかもしれなかった。

 シズカはシズカで衛士から軟膏を分けてもらうや、鎧を剥がれた剣士の上半身を起こしつつ、その背をピシャリと引っ叩きシャツを捲り上げさせる。

 どうやら三人とも、一応命はある様子だった。


「クライフさん……」


 駆け寄るレーア。シドもその背を促しながら剣士の具合を確かめる。


「炎は、熱の伝導による火傷にも注意が必要なんです。直火で燃やされなくとも、ほうらこのとおり」


 シズカがクライフの背、鎧舌を剥いでシャツを捲り上げたところをピシャリと引っ叩く。二度目だ。

 そこは掌の形に赤くなるが、それ以上に広範囲にわたるほど赤くなっていた。体組織が焼け死ぬほどではない低温火傷だった。時間が経てば水ぶくれができるかもしれない。そこに、シズカは軟膏を手荒く塗りつける。


「……っ!」

「痛そうな顔ができるのは生きてる証拠です。アカネ」

「ニャ。観念してこっちも脱ぐニャ」

「ちょっと待った、自分でやる、自分で」


 腰の鎧まで外しにかかるアカネを押しとどめながら、クライフは一息つく。背中にはジンとした痛みが広がるが、まず命は拾えたようだ。


「ああ、こりゃ二、三日は寝っころがれんだろうな」


 シドが苦笑交じりに屈み込み、クライフの顔を覗き込む。伺うに、剣士は疲弊の極みだった。腰の刀に目を落とすが、これ一本で戦ったのだろうか。


「おう、これを――」

「いただきます」


 シドが差し出した水入りの皮袋を受け取り、クライフはゆっくりと飲み始める。火傷には水分補給による手当も必要となるがそれ以上に緊張からのどがカラカラに干上がっていたのだ。


「染みるか?」

「ええ」

「まったく、首を突っ込むからこういうことになる。……正直、そんなことはこれから先もその顔を見るたびに言うことになるんだろうがな。ともかく、無事で何よりだ。昨日の今日であれだが、噂の魔獣かこいつは」


 シドの言葉に、やっとクライフは思い至り、「ああ、なるほど」と頷く。


「虎口の丘の魔獣。その死体を操っていたのか」

「魔女ってやつがか? おいそりゃおめえ、国境や辺境、はては火龍国の案件だろうよ」

「ですかね。……痛たたた」


 シズカは背中をもう一度ぴしゃりと叩く。


「はい、終わりです。……アカネ?」

「こっちも大丈夫。着込んでも平気ニャ」

「いやはや、ありがたいことで」


 ひきつる背中と表情で、クライフは鎧を着こみ直す。

 その傍らで、レーアに彼はひとつ頷くと、シドに向き直って水袋を返す。


「私たちの馬は、無事ですか?」

「ああ、興奮していたが他の馬がなだめたようだ。魔獣が相手なら仕方がないことだがな」

「ありがとうございます」

「礼をいいますニャ」


 クライフの着込みを手伝いながら、アカネはシドの頭を下げる。


「すぐに追おう。いや、。魔女が一緒となれば、その情報は早ければ早いほどいい」


 クライフの提案に眦を釣り上げたのはシドのほうだった。


「火も消えてないのにか? 無茶だ。馬がやられるぞ。商隊の仲間が道を開いてる、それまで待てんのか」

「迂回してきた東側を抜け、少し行ってから西の方を回っていけば抜けられます。馬一騎ずつならですが」


 クライフとシズカは、アカネとも頷き合う。そしてレーアに目を向けると、その瞳を受けてもう一度頷く。


「行こう、レーア。兄さんたちにもっと言いたいこともあるだろう。彼らが何かをするなら、まずは一発ぶん殴ってでもそれを止め、ぶちまけてやるといい」

「ケツもちはみんなでするニャ」

「そうですね。……やっぱり、言われっぱなしなのは私も嫌です」


 レーアが頷き、シズカがため息をつく。それは奇しくもシドのそれと重なる。


「気苦労が絶えない口かね、近衛の御嬢さん」

「それはこちらの台詞ですわ、海の豪商さん」


 苦笑し合う。

 シドは傭兵に四人の馬を引き連れてくるよう指示を出し、その馬の荷を確かめつつ彼らに引き渡す。


「もう怯えんだろう。だが、火は何とかしろ? 煙にも気をつけろ? 頭の高さによっては見えない煙にやられるからな。熱もそうだ。あとで馬の脚も診てやれよ? あとはええと……」

「大丈夫ですよ、船長」


 クライフは騎乗しながら世話焼きの豪商に礼をする。

 シズカも騎乗し、アカネもレーアを乗せた後自分も鞍上の者となる。


「ああ、もう、ああ、ああ。もう。死ぬなよ!」


 シドのその声に促され、三騎は北に駆ける。

 いま燃える虎口の丘を越え、向かうは一路、獅子王子が都、国境辺境の獅子の瞳へ。

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