第19話『彼女らの流儀』


 南水脈沿いに南に下ること少し。明らかに人の手が加えられた階段が現れると、三階分ほど登る先におぼろげな岩場が伺える。「あれですね」とシズカが灯りを手に先んじて上ると、傭兵を背負い続くクライフが上がりきる前に、巧妙に隠された仕掛けを手繰り、岩壁を押し開ける。


「外か」

「先ほどの商隊も過ぎた後のようですね。周囲に人影なし。元来た道に戻ったわけです」


 冷たく乾いた夜風を吸い込むと、湿った体が冷えていくのを感じる。


「こんなところに出るとはな」


 それでも、相国谷の幅広な道からは少し外れた支道の一本であり、この通路に気が付く者は誰もいないことは窺い知れた。


「さて、ここは都合もいいので、済ませることを済ませておきましょう」

「だニャ」

「何をするつもりだ?」


 クライフは促されるままに傭兵――バーンドルの体を下すと、岩壁に寄り掛からせる。手足は縛られ、猿轡をはめられている。掌打で昏倒された後にシズカが念を押すために薬物を打ち込んだらしく、首筋には細い針。


「何をするって、尋問ですよ」

「尋問?」


 シズカの呟きに不穏当な色を感じ、クライフは彼女に向き直る。


「情報を得られるのか?」

「少なくとも、こちらの知らぬことを多く知っていることでしょう。――この針を抜くと、意識が戻ります。猿轡を外しますね」


 シズカの動きに遅滞はなかった。アカネも彼女が針を抜き去ると、傭兵の鎧の隙間から指を差し込み、横隔膜を刺激するように活を入れる。


「――ッ!」


 かっと目を見開いたかと思うと、バーンドルは数度咳き込み、月明かりを仰ぎ見るように拘束された体をきしませると、三人に見下ろされた状況の中、自分たちの敗北を知る。


「負けたか、他の者も」


 呟く声に、力はなかった。

 あの戦いの中でシズカに言われたように、暗殺者として戦うか傭兵として戦うかの迷いの中で、己が力を見誤ったのが敗因だった。おそらく、他のふたりもそうだったのだろう。クライフを見上げると、近衛ではないこのただの剣士とみる男も生きているということは、おそらくそういうことなのだろう。


「刺客としても、戦士としても、負けたか」


 バーンドルは斬り飛ばされた右手を見る。手当はしてあるが、ずきりとした痛み。もはや武器をふるうことはできないだろう。


「俺を生かしているということは、聞きたいことがあるようだな」

「左様です」


 シズカは頷いた。そのまま傭兵の前に屈み込むと、その太ももに短刀の切っ先をずぷりと埋め込む。肉を断ち切り、血管と筋の手前でぴたりと止める。


「悲鳴を上げないのはさすがですね。拷問には耐性がある様子」

「シズカ、何をするんだ!」


 無表情に刃をえぐりこませたシズカの手を、クライフが止める。その力は強い。拘束した無抵抗の戦士相手に、これでは尋問ではなく拷問の類ではないかと、その目に憤りが露わになっている。


「……お止になるのですか?」


 さも意外そうに、シズカは短刀から手を放す。刃が埋まったそれは傭兵の太ももに刺さったまま、柄を揺らしている。


「――おいおい、普通の人間はな、無抵抗の者にこうはしねえんだよ」


 苦鳴まじりの言葉を絞り出すバーンドル。明らかに蔑む視線を静かに投げかけつつ、クライフの視線を見ないように顔をそむけ眉根を絞る。


「大丈夫、拷問術はわたしも心得てるニャ。情報は引き出せるだけ引き出すから、何もそんなに慌てなくとも――」

「そうじゃないだろう」


 言葉を添えようとしたアカネの言葉を遮り、バーンドルの太ももから短刀を抜くクライフ。血止めのために手拭いをきつく巻き、縛る。

 その行動をキョトンとした目で見るアカネとシズカ。彼女たちには信じられなかった。命を狙った犯罪者を相手にこの剣士は何を慮るのかと、信じられない者を見る目でもあった。


「傭兵を生かしておいたのは、情報を聞き出すためか」

「左様にございます」

「無抵抗の者を拷問するのか」

「犯罪者ですよ? それに、命を狙われましたし。情報を得て知らしめるのは急務かと。これは今の任務とは別ですが、付随してくる重要なものと思います。――近衛ですよ、私たちは」


 胸ぐらをつかんでくる勢いのクライフに「あなたと違って」と続けなかったのは、シズカにも何故だかはわからなかった。決定的な何かを刻み込むのではないかという、そこはかとない不安が去来したからだ。


「お優しいことで」


 バーンドルが苦笑する。


「痛めつけるのか介抱するのか、決めてくれないか? さすがに、つらいんだがな――」

「…………。『楽団』の子らはどこ?」


 クライフのまなざしから目を背けるように、シズカはバーンドルに詰め寄ると、努めて冷静に訊く。


「楽団、ね」


 懐かしい名前だった。傭兵の記憶に残る、自分たちの属している組織の名前の内のひとつだった。この三人からその名前が出たということは、あの子らから聞いたように、ディーウェスたちは下手を打ったらしい。

 ガランのことは今更隠すような情報もないが、すべてを話すのは義理に反するうえに、取り留めもなくなる。バーンドルは「ははっ」と笑うと、静かに首を振る。


「困ったニャ。殺した後に読み取るとなると、姫の小鳥が必要ですし」

「アカネ」


 呟くアカネを制するようにクライフは立ち上がるが、近衛の少女二人から感じるのは、「何を言っているのだ」という気持ち。クライフのほうが間違っているのではないかという空気の中、バーンドルだけが苦笑する。


「東の里のお嬢様たちは、俺たち寄りってことだよ。なあ、落葉の。あんた、戦いの中では命のやり取りはできるが、こういったものでの奪い奪われにはとんと弱いだろう。見りゃわかる。普通の人間だよ」

「心外ですね。これでも常識人ですよ、私たち」


 里。東の里。シズカとアカネが生まれ育った、とある一族の里。その特異性ゆえに、近衛、そして第二王子の目に留まった一族。暗殺者とは違う、それをも飲み込む暗部を担うかのようなモノ。


「勝敗は決した。――傭兵、話せることは話してくれ。無益な殺生はしたくはない」


 シズカとアカネの動向を見据えながら、クライフは静かに問いかける。

 考えるに、近衛としては――彼女らにしてみれば、またとない情報源だろう。シズカにしてみれば、いちどディーウェス夫人を逃がしている手前、ここはなんとしても押さえておきたいところなのだろう。

 バーンドルといえば、失った右手首とこの状況の中、静かにひとつ、息を吐く。


「拳ひとつ失ったところで生きては行けるだろうが、そうもいかん。『楽団』にはそれなりの運命というものが定められているからな」

「死なせませんよ」


 自殺をほのめかす述懐に、アカネもシズカも身構える。

 しかしバーンドルは嘆息するや、天を見上げる。


「ああ、いい月だ。暗闇で死んだあいつらには申し訳ないが、死ぬにはいい夜だ。――ほら、歌が聞こえる」

「歌?」


 シズカは己が耳を澄ます。

 しかし、その耳には何の音も――歌も、届いていない。しかし、バーンドルはその歌が聞こえているかのように、目を閉じる。


「優しい歌声だ」


 その双眸から、ツ――と涙がこぼれる。

 ああ、懐かしい声だ。バーンドルは、脳がすべてを捨て去っていくのを感じた。今のことから、過去のことへ向けて。


「シズカ」


 クライフの問いに、彼女は首を振る。


「歌など、どこからも――」


 剣士は傭兵の肩を揺さぶるが、すでにこと切れているのを知る。

 耳孔からあふれるどろりとした出血は、頭蓋の中からのものだろう。心肺も停止。蘇生もおぼつかないだろう。

 天を仰ぎ息絶えた傭兵から離れると、クライフはあまりのことに息をのむ。魔物、魔法、そんなものではない、人の持つ薄ら寒いものを見たような気がして、身震いする。


「なんだ、これは」


 なんだ、彼らは。

 クライフの歯噛みが漏れる。


「死んだか、消されたか。――こまりましたね。たいしたことは聞き出せていませんし」

「後続の衛士に言伝し、死体を片付けさせるとして、私たちは先を急ぐ方がいいと思うニャ。レーアも待ちくたびれているだろうし」


 やれやれと立ち上がる二人を尻目に、クライフは傭兵の死体に目を落としたまま、じっと眦を引き締める。


「わかった」


 それでも頷く彼は、踵を返し相国谷の本道へと戻り、北を目指して歩き出す。しばらく行けばレーアが、崩落したあの場所で待っていることだろう。


「……どうしたのかしら、クライフさん」

「さあ」


 敵が死んだからなんだというのかと首を傾げるふたり。ああ、情報が手に入らなかったから落ち込んでいるのだろうと思い至り、顔を見合わせて頷き、彼の後を追う。決して振り向かぬ彼の背を。



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