第18話『死闘暗夜8』


 脚甲が軋みを上げる。

 覚悟を腹に落としていたクライフは、己が右脛を掴むそれを抜き打った落葉で削ぎ飛ばすように振るう。手ごたえは、強靭でしなやか。しかし刃が沈むや、刀身を存分に撫で斬るようにするとすっぱりと切断される。

 立ち上がり、落葉を下段に構えつつ、呼吸を整えてじりじりと後退する。


「――今のはいったい」


 思わず漏れる言葉にかぶさるように、喉をえぐり飛ばした傭兵の死体が、ざぷんと飲み込まれるのを聞いた。

 未だ足に絡みつくそれに手を伸ばすと、力任せに引きはがす。

 柔らかい感触と、太い蔦のような重み。手甲皮手袋ごしに感じるのは、未だに蠢くそれの異様さだった。

 気持ちの悪さを感じて、闇の中放り捨てると、ざぷんとそれが水面に落ちる音。水深はまだ浅いところなのだろうが、ここには何かがいる。今の感触、手ごたえ、それは人間のそれではない。


「崩落を引き起こした、何者かか。いや――」


 魔物。

 ガランで知ったその存在を思い起こす。

 勝手の分かりうる人間相手では、まだ勝機はある。しかし、この暗闇の中で未知の――かろうじて剣が通用するであろう魔物を相手にするのは命知らずの行動だろう。

 刃を前にした、下段。

 じりじりと後じさりながら、思考を巡らせる。体に感じる水の流れは、後ろから前。崩落直後に感じた流れを思い起こし、元の場所へと、対手と反対の方向へと、下がる。

 呼吸が乱れそうになるも、鼻から吸い、口からゆっくりと吐き出す。

 相手は、敵は、対手は、この暗闇の中でもクライフを捉えていた。暗視、夜目の利く生き物か、光に頼らぬ何かを得たものか。


「音、嗅覚――」


 シズカとアカネを思い出す。水の中、それは大いに拡散するだろう。

 あの柔らかな何か。それがつながるであろう、本体。剣は通用するが、命にまで届くだろうか。

 そして上流へと徐々に歩みを進める中、クライフは思い至る。

 音や匂い、味覚、触覚……。


「上流はまずい!」


 流れゆく下流にいる対手に、己が情報が存分に流れゆく。

 獣から逃れるのに風上に逃げるようなものだ。

 その瞬間、足元の水流に違和感を感じ、落葉を無意識に跳ね上げる。柔らかいものに食い込む手ごたえと、挟み掴まれるような重み。構わず切っ先を立て振り抜くや、切断の手ごたえとともに水面から天に突き上がる。

 間合いが広い。いや、長い!

 切断にもかかわらず、ひるむ様子もない。

 傭兵の体は、飲み込まれたのか。いや、喰われたのか。


「クライフさん、生きてますか」


 響く声。


「シズカ、援護を! 水の中に何かがいる。恐ろしく間合いの広い、人間ではない何かだ――くっ!」


 クライフは再び下段につけた落葉を水中で振るう。

 鋭利な武器の強みがあれども、水中での剣はやはり鈍る。


「――目を閉じる用意を。灯りを放ちます」


 クライフが応じるよりも早く、視界の端に赤白い輝きが灯った。暗闇に慣れた目に染みるその光に目を閉じる際、三条の炎の軌跡が尾を引くのが垣間見えた。

 シズカが油を染み込ませた手拭いを裂き、クライフの周囲、水路から上がれる足場へとそれを放り投げたからだ。


「そいつは血の匂いを察知します。お早く!」


 彼女の声に薄目を開けるや、炎に浮かび上がる周囲の地形をざっと見る。暗灰色の洞穴がほの赤く照らされる中、シズカの言う足場の意味を理解する。

 するや否や、納刀し、両手を以て這い上がる。


「よーし、これをおとりに……と。ニャ!」


 後方から聞こえてきたのはアカネの声だ。彼女もまた己が傷口を抑えた布に水を含ませ、はるか前方へ――対手のさらに奥へと投げ放る。

 びしゃりと水面を打つそれに向かい、何かがぞぷりと蠢いた。


「なんだ……あれは」


 クライフは、ようやく見えてきたおぼろげな景色。そのまだ深き闇の中で蠢く何かの気配に、再び不気味さを覚える。

 それは澄んだ水の溜まりの奥底へ傭兵の体と血の布を引きずり込み、ゆっくりと、さらに水底へと消えていく。


「掃除屋です」


 燃え尽きかけた布から、携帯用の火付けに炎を移したシズカがクライフの元へと降り立つ。


「ご無事でしたか。手傷は負っているようですが、まずは血止めを。あの生き物、は手負いか、死体しか処理いたしません。水に落ちなければ向こうから襲いに来ることはまずありません。まずはご安心を」

「だニャ」


 同じく、灯りを手にしたアカネが続き身を寄せてくる。

 クライフのそこかしこの切り傷を見るや、灯りを静かに手渡し、軟膏を取り出し塗り始める。血止めと消毒だった。


「こんなに水深が深いところで。あの場から数歩歩くと、あそこ、水流が早い部分へと出てしまいます。勢いが淀むこの場所だからよかったものの、胸までの流れ、いかに剣士といえども流れにのまれますよ。鎧姿ならなおさらのことです。命拾いしましたね」

「正直、生きてるのが不思議なくらいだ」


 正直な吐露に、冗談の影はない。

 クライフは、地に足がつき見える敵と剣術の動きを活かして戦える状況が常と思い込んでいた自分を恥じていた。


「しかし、掃除屋? なんだ、あの生き物は。魔物なのか?」

「魔物というには、やや自然に溶け込みすぎた生き物ですが。魔物といっても良いかと思われます。海にいる、軟体頭足類の類です。あの掃除屋は淡水に適した個体で、ああやって――」


 と、シズカは灯りを掲げて指し示す。


「足の一本を水面にだし、血の匂いと腐臭を嗅ぐんです。今は満腹でしょう。ああやって、腐るものを食べ、水中の不純物を体の中で濃し取り取り込み、周囲の水をきれいにする性質があります。まあ、図鑑の知識ですが」

「頭足類?」

「タコとかイカとかだニャ」


 傷を手当てし終えたアカネがポンとクライフの背を叩き立つように促す。彼も従い、ようやく一息つく。


「あれが、崩落を引き起こしたヌシなのかな」

「おそらくは。この水路の守り手でもあり、『楽団』の手駒であり、でしょうね。しかしまたなんでこんなに手の込んだことを」

「……相手は、近衛のふたりを倒すための小細工といってたな」


 クライフの述懐に、ふたりはため息交じりに肩をすくめる。


「あそこのヌシも戦力のひとつと考えていたのでしょうが、クライフさんはともかく、闇夜だけで私たちを出し抜こうなど、十年早い考えです」

「そうでもなかったけどニャ~」

「ともあれ助かったよ。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。短槍使いはアカネが仕留めましたし、私が相手にした傭兵は生け捕ってございます。何を隠そうこの火種はそいつの荷物から拝借いたしました」

「生け捕った?」


 クライフの問いに、シズカは頷く。


「訊きたいことは山ほど。……風穴がいくつかありますね。上に上がるにはややホネですが、急ぎましょう。レーアさんが心配しているころです」

「脱出、できるのか」

「ええ」


 そこからはアカネが引き継ぐ。


「外の匂い。この水路を隠し通路として使っていたのなら、街道の水場にほど近い場所に風穴があるはず。そこへ急ぐとしましょうかニャ」


 そうか、とクライフも一息つく。しかしこの猫じみた近衛の少女、語尾は頑なに変えようとはしない。いや、戻そうとはしないのか。そう考えるも、クライフは頭を振る。


「その捉えた傭兵は俺が背負っていこう。……なるほど、水辺を歩いて通路にしているのか、敵は」


 どこまでこの国に、世界に浸透しているのだろう。

 そして、そのひとつをこうしてさらけ出してまで始末しようとした近衛のふたり。クライフはフムと考える。ともあれ、こうはしていられない。灯りのあるうちに地上に出なければならない。


「商隊に追いつき次第、ことの説明と伝令を頼まねばならないだろうね。自分たちは、任務優先で行こう。まず、生き残ったからには獅子の瞳を目指す」


 ふたりの近衛も、この言葉にしっかりと頷くのであった。

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