第17話『死闘暗夜7 クライフ』


 崩落の瞬間に身構えられたのは幸運だった。

 落下の恐怖に身構えられたのは幸運だった。


「ふッ!」


 コラテラスの長長剣の片手打ちが伸び来る。首筋を狙ったひっかく程度の牽制だが、刃の鋭さと威力を考えると無視もできない。崩れた足場で辛うじて躱すが、体移動ではなく身をよじったために、露骨に重心が崩れてしまう。

 これが狙いだったかと歯がみしたときには、視界が真っ暗になった。

 崩落する岩盤の重い音の中で頭上を警戒する中、視界の端に間合いを取っていたアカネとシズカも飲まれているのを見たが、クライフには何もできない。

 これはいけないと思ったときには、激しい衝撃と轟音の中、叩きつけられるように滑り落ち、背を強かに打ったあとは水に沈むまで意識が寸断していた。

 金属鎧の重みで一気に沈み込む中、肺に流れ込む水に咳き込み意識を取り戻す。見開く目に入ってきた全き闇に、原始的な恐怖が重なる。溺死の恐怖に天地が分からぬ中、身体が流されるほどの水流ではなかったことと、すぐに水底にたどり着いたのが生死を分かった。

 クライフはすぐさま咳き込みたい体の反射をねじ伏せ、足場を勢いよく蹴るように左手を伸ばす。

 揺れる水面から上半身が飛び出すと、遠くからの金属音を聞く。思い切り咳き込むと、湿った空気が肺に流れ込む。


「音――」


 そして呼吸。

 上下も分かる。

 右手には抜き放ったままの落葉。落下の中でも離すことがなかったのは僥倖だった。


「地下水脈……?」


 呼吸を整える。

 ここは誘い込まれた敵地だ。

 考えるのは、敵を――長長剣の傭兵を斃してからだ。

 そして、「ああ、そこにいるな」と感じたままに、落葉の切っ先を持ち上げる。水面は、胸の下まである。水温も低い。しかし、手足は熱い。頭は冷静さを取り戻す。


「俺は小細工が苦手でね」


 声。傭兵の声。

 反響する空間。そこそこに狭く、そこそこに広い。だがなかなかに入り組んでいるものと考える。


「崩落は小細工だと思うがな」


 クライフは苦笑する。

 遠く、しかしほど近くに傭兵の身じろぎを聞く。


「大がかりだろう?」

「なるほど、細工ではないと」

「近衛、とりわけあのふたりを倒すには手段を選べん。だが、剣士のお前には、剣士のお前とはこう戦いたくはなかった。地上でけりが付けば良かったんだが、いやはやどうして」


 コラテラスの言葉に、クライフは落葉を垂直に立てる。祈るように眼前で柄を立て、緩く膝を曲げる。水の流れは右手から左に。流される重心を支えるように、緩く、緩く。そして腰を引き締める。


「さて――」と、クライフ。

「やろうか」と、コラテラス。


 傭兵からも、水音。あの長長剣が、水面から上げられた音か。

 鼻の奥に、ツンとした痛みが奔る中、クライフは思考を巡らせる。――これは、マズい。

 全き暗闇の中での戦闘は、ここまで自分の技術を縛るのかと歯がみする。いかに目に頼っていたのかを痛感し、いかに足裁きに頼っていたのかを思い知る。

 沈んだ下半身、封じられた目、反響する空間で耳まで惑わされる。

 コラテラスも、育ち故に夜目が利く。夜目が利くが、暗視ではない。あくまで鍛え上げた五感を整え、クライフが間合いに入ったらその武器の長さを活かして討ち取るのみ。その一念を以てこその立合いだった。

 クライフが柄を上げる。

 共に真っ向上段。そうであることはお互い見えてはいない。だが、感じていた。肘元から垂れ往く水滴が水面に流される中、サラサラという音を伴う無音に呼吸を整える。

 足下の不安。

 一歩前は奈落では。その不安に、クライフは鎧を脱ぎ捨てたくなる気持ちを抑える。コラテラスは地形こそ熟知しているが、明かりもなく踏破したことはない地下だ。不安はクライフほどではないが、ここでの戦闘は初めてだった。活かせる戦法は身についているが、かのふたり同様、いま身に染みている技術は傭兵のそれだ。

 不器用な剣士同士の、暗夜での死闘。

 緊張に、喉がひりつく。

 浮力を活かすように、クライフはゆっくりと間合いを詰める。おそらく敵がいる方へと。


「ここ」


 絞り出すような声を漏らしたのはコラテラスだった。

 意外。クライフが浮力を活かしゆるりと間合いを詰め始めた瞬間、彼は水の流れに刃を合わせるように剣を水中に沈めていたのだ。その長長剣の切っ先が、水を斬り上げるようにクライフの内太股に伸びる。

 水の抵抗のなか迫る切っ先だが、力の乗った威力は革を斬り裂き血管を断つだろう。それを回避できたのは、暗闇の中で傭兵の目測が謝っていたからであった。引っかけるような切っ先が膝の板金を打つが、クライフの歩みは死の間合いに更に踏み込むように進められる。


「ふッ!」


 呼気一閃。

 左袈裟に振り下ろされた落葉がコラテラスの鼻先を掠めて水面に沈む前にピタリと止まる。手応えのなさを訝しむ前に、その切っ先が更に踏み込むと同時に再び跳ね上がる。

 それが躱されたのは、ひとえに水の中での足運びの鈍さであり、間合いの見誤りであった。

 長長剣も跳ね上がる。

 水面からしぶき上げて現われた刀身。身を引きながら放たれた一撃は暗闇で激しく打ち当たり火花を散らす。逸れ合った切っ先は互いの腕をかすり合う。


 ――見えた。


 互いの確信。

 一瞬の火花の中、互いの腕の残影を見た。

 コラテラスは間合いを離した。

 クライフは間合いを詰めた。

 長長剣を活かそうとした傭兵と、死に詰め寄る剣士の足運びがと水面を波打たせる。

 長長剣の横凪ぎに、腕を狙うかのような斬撃を被せられたのは偶然だった。互いに鎧に阻まれる斬撃を打たせるに任せ、なればと側頭部を狙う必殺の打ち込みが互いに空を切る。

 さらに二度、三度、四度と、暗闇に描く己が敵をめがけて斬り付け合う。その漠然とした像が実像と重なり合うにつけ、互いの手傷が増えてくる。

 かすり傷。

 そして手傷。


 ――見える。


 その瞬間、コラテラスは右手上段に。

 一瞬遅れ、クライフは右手水平に。


「えいッ」

「応ッ!」


 裂帛の気合いが轟く。

 振り下ろされた長長剣を振るう腕をしたから斬り上げられたのは、落葉の描く軌跡が早かったからだ。コラテラスの左内肘に斬り込んだ落葉の切っ先を、一歩踏み込み傭兵の喉元に突き入れる。

 ぞぷりという手応えと肩に掛かる傭兵の重みを、残心の体で左に流す。水音を聞くと同時に、傭兵の意識は息と共に絶えた。


 その瞬間、クライフは緊張のあまりにどっと脂汗を流す。

 血の臭い。

 勝てたという手応え。生き残ったという感覚。切り抜けたかという疑問が去来する中、静かに納刀する。

 納刀してる中、腰の鞘も水中であることに気がつく。


「あとで手入れをしなければな」


 そうかすかに思うも、まずは合流。

 他の傭兵はどうなったであろうか。

 その疑問が浮かんだときだった。


「…………?」


 クライフは、重く大きく、しかし滑らかなものが蠢く気配を聞いた。

 傭兵を討ち損じていたか?

 その疑問に落葉の柄を引き寄せるが、周囲は闇。

 意識を懲らした瞬間だった。


「なに!?」


 足に何かが絡みついた。

 水流とは違うその力強い何かに引き落とされ、クライフの体は勢いよく水中へと飲み込まれたのであった。


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