第5話『詰め所にて――アカネ』
アカネとシズカは、同郷の一族だった。
弟王子の領土からほど近い鉄山士領の外れの外れ、豪族とも言えない特殊な能力を培う一族の暮らす村の出身だった。
その特殊性はこの数十年の間に弟王子の目に止まることとなり、その伝手で何人もの村人がその能力を以て貴人に仕えることになったのはベイスも記憶するところだった。
四角い巨漢が油断なく見据える、自称『暗殺者』であるレーア。そんな彼女の脇に控えるシズカは、非常に耳が良い。集音だけではなく、取捨選択にも図抜けた特異性を発揮する。彼女がアカネの接近に気がついたのも、そもそも昨夜レーアの悲鳴に気がついたのも、その特異な耳のおかげであることを知っている。
そしてアカネは、鼻だった。ニオイに関しては彼女は決して逃がさない。シズカ同様、その臭気の取捨選択もさることながら、微細な分析と経験に裏打ちされた『勘』が恐ろしく正確だった。対象の体臭から感情の揺らぎを感じるのは、ネズミもかくやという性能だった。
果たしてどのような経緯でそんな能力を開花させた一族が現われたのか、そしてまたどのような経緯で近衛にこのふたりがやってきたのかまではクライフも知らないが、どうやら近衛には特筆する何かを持ったものが、当然といえば当然だろうが、揃えられている様子だった。
口の上手いウラル。
目の良い射手であるアリステラ。
耳の良いシズカ。
鼻の利くアカネ。
――頭の中で整理するに、ベイスは意外と頭が利くし、ヴァルとイーモンは気が合うという以上に息の合った連携じみたお調子の良さを持つし、そしておそらく長官たるコティはまだ何かを持っているのだろう。
そんななか、後ろから抱きしめるようなアカネの温かい息づかいを首筋に感じながら、レーアは静かに息をのむ。
「警戒してる。心拍も落ち着いているし、何が起きても対応できる体の柔らかさを保ったまま、すごく冷静にしている。……確かに、普通じゃないニャー」
耳小骨を揺らすようにささやくアカネの言葉。おどけた調子だが、それもまたレーアの緊張を誘う。
「訓練された体内操作ですわね~。少なくとも意識的にはやっていない。無意識にやっている。自分は無害であるという演技が実に意図的に、実に無自覚に、実に自然にこなされています。彼女に欺く意思はなく、彼女の内には明らかな怯えが臭います…………ニャ」
そこでベイスはひとつ頷く。
「レーアくん、君は人を殺したのかね」
端的に問うと、彼女はひとつ頷く。
「嘘は言ってない」
と、語尾で戯けずにアカネは目でベイスを促す。
ピタリと首筋に寄せられたアカネの顔と、机を隔てて見据えるベイスの厳つい視線にさらされつつも、レーアの緊張は緊張を装うように、早鐘を打ち始める。
「奉公先の鉄山士の名は?」
「……レイド卿と、おっしゃっていました。顔は知りません。あくまで、そういう話があったというだけで……」
「何故、双剣亭に?」
「私の中のもうひとりの私が記憶していたんです」
思い出すようなレーアの首筋で、アカネはやや眉根を寄せる。嘘に近い揺らぎを感じたのだ。ベイスも把握し、「それは確かな記憶なのかね」と重ねて促す。
「忘れてしまわないように、何度も心の中で歌いながら、どんな人でも助けてくれるという双剣亭の、お姫さまの傭兵さんのもとに行こうと、必死でしたから」
「クライフを知っていたのは、彼を殺すためだったのか?」
「そうだと思います」
「それは嘘だわ。…………ニャ」
はっとするレーアの首筋から離れ、かかとを合わせ直立し直すアカネは、そうはっきりと言った。直立し戯けたのは取り繕いだろう。そうせざるを得ないほどの強い否定を嗅いだからこそ、思わず顔を離してしまったのだ。
「表も裏も、彼への殺意を感じませんでした。心の仮面をかぶり直すだけでは、これを隠しきることはできません。少なくとも、仮面ではなく完全に意識が切り替わるか、そもそも魂を入れ替えているか、そのくらいしなければ隠し切れはしません」
「忘却していたら?」
とこれはクライフだ。忘れてしまっていたら敵意も何もないだろうといった表情だが、そんな彼の脛を鎧ごと思い切り蹴ると、アカネは肩をすくめて大きくため息をつく。
「記憶の引き出しが開かなくとも、中のニオイは漏れるものです。少なくとも、同じ脳みそを使っていれば、住み替え切り替えがよほど上手くとも、言い換えれば上手ければ上手いほどそのニオイは漏れるんです。……ニャ」
「そういうものなのか」
蹴りの範囲から離れたクライフは、フムと頷き見守ることに決める。自分には心拍や身じろぎを聞く耳も、感情の揺れを感じる鼻も、機微を見逃さぬ勘もないのだ。シズカ、アカネ、ベイスに任せた方が無難なのを改めて思う。
「ともあれ、俺を殺すためにけしかけられたのがこんな少女だったら、さすがに斬るには覚悟がいるものな」
そんなクライフの言葉に安堵の色を嗅ぎつけ、アカネは「さて」と苦笑する。斬ると覚悟するまでに万策は尽くすが、この剣士、斬ると決めたら簡単に切り捨てるのではないかという抜き身の恐ろしさを漂わせている。
「止めるためならばともかく、単なる立合いで斬るとなると……ううん、どうでしょうね。クライフさんならきっと躊躇してやられてしまうでしょう。そのくらいは想像が付きます」
とのシズカの評に、ベイスも「ちがいない」とカカと笑う。
「ともかく、中身が得体の知れない暗殺者である可能性が高い無害な少女、ということになるのかな?」
ベイスがシズカに目を向ける。
「きっかけとなる『歌』がどのようなものかですが、その記憶は……?」
との問い返しには、レーアは「うろおぼえで」と考え、「切り替わったことで忘れてしまうのかもしれません」と首を振る。
それに嘘はないようだとアカネも直立し頷くと、ベイスは腕を組み頬をボリボリと掻く。
「こういうときに、第二王子の組織した、なんたらかんたらってモンがあると便利なんだがなあ。調査には、やっぱ人手だよな……」
「本人知らないんじゃこれ以上はなあ。で、害意はありそうか?」
との隊長の問いに、シズカもアカネも姿勢を正して頷く。
んぱっ……っと天井を仰ぎ、ベイスは口を開ける。お手上げの合図だった。
「遊撃としては仕事を受けたい――それは構わんが、やっぱりあれか? 姫さまがらみ? だったら仕方ねえなあ。おいアカネ、上行って長官に話してこい」
「私がですかニャ」
上司に対して不服そうな顔をする。
「お前よぉ、俺の部下だよな」
「立場上は」
明らかに奥で一息つきたがっている態度だが、ベイスはひとつ頷く。
「じゃあ仕方がない。俺が行こう。……おい、郵便の認め書をよこせ、一緒に持って行く」
「上司思いの良い部下でしょう?」
と、アカネは懐から郵送に使った書状を取り出しベイスに渡すと、にこにこする上司の腰を拳で軽く小突く。アリステラには悪いが、この上司の機嫌を良くするために、様々な口実という便宜を図るのが云々と、アカネはひとり納得し頷いている。
「よし、じゃあちょっと言ってくる。お目通りまで少しかかるからしばし待っていろ。ぬはははは」
とベイスが腰に手を当て四人を見たときだった。
耳に、じゃらりという鎖の音が聞こえたのだ。
その音に三人は顔を合わせ、レーアは小首をかしげる。そんなこの場に不釣り合いな、しかし近衛にとっては身近な音に、四人は揃って奥の扉に目を向ける。
「まどろっこしいから、来てやったぞ」
コティの開ける扉から現われたのは、果たして、つまらなさそうな顔のエレア=ラ・シャールその人であった。
エレアは直立で控える近衛の三人と、椅子に座ったままの少女レーア、そして目礼するクライフを眺めて「ふ~む」と大きくため息をつく。
「まずは、人数分の茶を。コティ、頼む」
「はい」
と、今はいち使用人であるコティが快諾し、目でベイスを促し、奥に席を用意させることを指示すると、炊事場へと向かう。
「久しぶりだし、お茶にしましょ。……外側の少女か。同い年、くらいか? エレアである。控えんでもいい、楽にしてくれ。近衛の三人は茶菓子の用意。クライフは野獣討伐の報告を簡単に済ませろ。あとアカネは送料のおつりをおいていけ」
気付かれたかというアカネに笑い、エレアは活力に満ちた表情で挑戦的に小首をかしげる。
「さて、『導師』の案件か。十中八九、誘いの罠だろうが、乗ってやろう。クライフ、いっそうの覚悟でことに臨めよ」
頷くクライフから、目の前にいきなり姫が獄囚のような鎖を引き現われたことに目を白黒させているレーアに、苦笑交じりにそれでも貴人の様相で笑いかけるエレア。
「それが演技かどうかは分からんが、そなたからの依頼、受けよう。ことがどう転ぶかはわからないけれど、まあ何もしないよりましだろうとは思うわ」
クライフはさすがにエレアの視線に簡単に頷けない。
「依頼を受けると言うことは、やはり敵の根城を追うことに?」
「ああ。ちょうど良い、手続きを踏まえてやるから、シズカとアカネを連れてガランを出ろ。目星はついてる」
エレアは、レーアにシズカに視線を落としながら呟く。
「獅子王子領都『獅子の瞳』、だろうな」
「獅子の、瞳……」
オウム返しに呟くレーア。
「詳しくは茶を飲みながら話そう。ま、多少長くなるが、な」
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