第26話『地下にて思う』


 街道脇に大きな石碑がもうけられていた。どこから持ってきたのだろうという大きな平岩の上に、見上げるほどのそれ。碑文として深く掘られた文言は風化の摩耗により読み取ることができない。相当昔からここに在るのだろう。


「ここから、ベルクファスト銀嶺士領だ」


 領土に関所を設ける慣例は、シャール南方には見られない。細かい領土境は変位することもあるが、大まかな範囲はこのような石碑で区切られている。


「ここまで、このような石碑は在りませんでしたね。ガランは殿下の領土だとして、出てからこっちは誰の領土だったんです? 村もあれば宿場町も在りましたが」

「国の直轄地になる。あの道祖神のこちら側はソレ、向こう側はベルクファスト領になる。見分けはもう付きにくいが、あの石碑の土台の向きで判断するがよかろ。直轄地の池に各領主の領地がぷかぷか浮いてる感じに捉えておきなさい。――ちなみに」


 とチチと鳴き、小鳥エレアは姿を彼の鎧の中へと隠す。


「よくそんな隙間に入れますね」

「この姿に惑わされるとは、落葉の剣士もまだまだだな。力の塊を小鳥に見せているに過ぎないのだ、カタチなどいくらでも変えられるのよ」

「そうではなく、男の胸に飛び込むのに躊躇いはないのですか。その体、分け身、全く五感がないわけではないのでしょう?」


 やや諫めるような響きに、エレアもじっと黙り込む。

 言われてみると、やや、はしたなかったかもしれない。


「意識を向けねばなんとでもなるのだ。そんなに気にするでない」

「………………。小鳥は小鳥臭くないんですね。いたたた、つつかないでください」

「あほか」


 北に向けて馬を走らせるクライフは、すぐに宿場町にたどり着く。いくつかの商隊が南側の宿に陣取ってはいるものの、半ばほどはやや閑散としていた。縦に長い町並みの中、北の出口付近にはガランで仕入れた物を北に運ぶ商隊で更に賑わいを見せている。


「あんなことがあっても、こういう営みは変わりませんね」

「図太いからな。北に行けば行くほど危険はうなぎ登り。あの程度で逃げる商人はおらんよ。奴らは元々、シャールの北に、そしてさらに方々へ向かう者たちなのだからな。怖じ気はしない」

「良くないものが来る、北の国とか?」

「そればかりではない。東西にも強国はひしめいている。北は特に魔物の侵攻が強くこちらまで手が回っていないだけだ。……それでも商人たちは北に向かい、南にも来る。不思議なものだ。とても不自由だが自由な奴らだよ、まったく」

「うらやましいですか?」


 エレアは苦笑する。

 それだけだった。


「急げよ。昼を回る辺りには領都につく。領都につけば――」

「ええ、わかっています」


 そこは、敵地。

 アイルストン=ベルクファストが果たしてどの程度の敵であり脅威であるのかなのかは分からない。しかし明らかな異能を背後に今回のことを引き起こした、あるいは手引きした可能性は高い。だが、敵には違いない。少なくとも、誰かの命を奪うということをためらわないほどの覚悟はしている敵が。






 アイルストンがクライフ到着の報を聞いたとき、昼を少し過ぎた辺りであった。一報を持ってきた衛士に労いの言葉をかけると、その足で地下室へと向かう。共の者はいない。

 かつて平城だった名残。

 シャールが平定されたあとも、何度も改築を重ねてもとして残していた城としての。使われたことはないが、使用に耐えうるものとして、今もここに在る。が、初の収監者が魔女とは彼自身も思わなかった。


「ここに誰かがいるなどとは、家令も思わぬだろう。――食事を持ってきたぞ」


 領主自らが手に提げ持ってきた手桶を、差し出すと、開け放たれた牢の暗がり中でもぞりとうごめく者――魔女セイリスであった。両足はすっかり直っている。


「エサを与え始めて、二日足らずでこれか。もう頭も直ってきているではないか。どうだ、言葉はもう話せそうか」

「……」


 直っている。

 魔女の頭部は、削ぎ飛ばされた上顎の部分から、まるで肉が盛り上がるかのように復活を遂げていた。頭蓋は整い、やや頭部にへこみがあるが、顔立ちは寝ぼけたようなそれであった。


「髪までは、まだ戻ってはおらんか。――」


 黙って木桶を受け取るセイリスは、中に入っている獣の肉をゆっくりと貪り始める。飢え自体は収まってはいるものの、命そのものへの渇望はとどまることを知らない。だがそんな感情さえ、いまだ直しつつある脳は上手く認識できてはいなかった。ただただ、この男、アイルストンの言うことをおとなしく聞くという奏者の刷り込みがけが今の彼女を動かしていた。


「屍人とは恐ろしくも不思議なものだ。肉体が無事であったら、我が妻も娘も、妹も、そのように復活していたであろうか。いや、考えまい。もし可能であったとしても、そのような様は見てはおれん。導師が来るまで、あと二日。足止めするか、ここで討つか。まずは迎え入れ、適当な事由で、どうにでもしてみせよう」


 この魔女を使うことにすれば、後腐れもない。

 元々そのように考えていたし、魔女もそのつもりであったことは察することができる。

 書状には一介の傭兵とあった。単騎だ。近衛はガランを出られない。急ぐ追っ手をかけるなら、身軽で信用のおける傭兵になるだろう。名うての者でも、この魔女の変貌した屍人には勝てまいという、漠然たる確信。


「食べて休んでおくがいい。決めたぞ。その傭兵の調査を受け入れるならで殺す。いったん受け入れ領外に出たら、で殺す。何も知らぬただの傭兵ならば、いくら強かろうが貴様にとどめは刺せぬ。それに、懐刀も用意してある。存分にやるがいい。私の立場なぞ、どうにでもしてくれる」


 アイルストンは、自分の領土を愛していた。それは家族を喪ってからも変わらなかった。領主としての仕事はしっかりとこなしていた。かつて愛した者たちが愛したくにだからだ。

 しかし、シャールは許せなかった。


「何が女王だ。銀嶺士だ。ふざけるな。女の犠牲の上に成り立ってきた家柄になんの誇りがある。それを終わらせるためなら、残されたこの命惜しくはない」


 最大の動機は、あの十五年前に生まれた。

 思い出すに、アイルストンの母も、祖母も、親族のすべての女が銀嶺士――多くの女王を輩出した――排出した家柄の重圧に心を潰されていったことばかりが浮かぶ。

 魔力があるのではないか、身につけられるのではないかと、様々な伝承を頼りに、眉唾なものまでありとあらゆることを試した。

 その中で、『奏者』という団体と巡り会ったのは、彼の母の代だった。

 どこから聞きつけたのか、接触は向こう側だった。

 アイルストンの母は、当家の末姫であった重圧から、その手を伸ばした。その結果が、妹だった。妹は、エリゼはしかし、美しいだけであった。魔力の気配すらない、ただただ心優しき女だった。

 しかし、現帝王のガラン視察の折に、その目に止まったことで、縁が結ばれることになった。

 そして生まれたのが、歴代最強と名高いエレアだった。

 ベルクファストの家、その結晶は、ベルクファストのすべてを吹き飛ばした。

 アイルストンには何もできなかった。

 だからこそ、再び彼を訪ねてきた『奏者』の導師の言葉を聞くようになった。

 奏者たちが母に何をしたのかは分からない。だが、そのおかげで妹は最強の女王を産む母体となり、アイルストンは魔性を使役できる力を得ていたのだ。

 思えば、愛するものを吹き飛ばしたそもそもの原因は奏者の企みにある。しかし彼らに協力しようとした背景には、やはり彼自身の、暗く熱い何かがあったからであろうと、彼自身よくよく感じ入る。


「……感傷か」


 自嘲し、天を仰ぐ。すすけた石天井だった。


「エレアか。……今もまだ、苦しんでいるのだろうか」


 案じる気配。

 それも、すぐに憎悪の色を宿す。

 彼もまた、心の一部が膿んでいるのだ。あのときの、傷が。


「さあ、その傭兵を招き入れようではないか。導師に引き合わせるのも面白い。さて、どうするかだな」



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