第7話『ベイス、唸る』
「これはいったいどういうことだ」
ベイスが荒い息の間から絞り出したその言葉は、絞め殺される猛牛の呻きのように漏らされた。
職人街から駆け抜けてきた彼が目にしたのは、半ば両断されて息絶えたネズミの体であった。
毒を持ち、ベイスの渾身の斬撃をはじき返したこの強敵が、今彼の目の前で一刀のもとに斬り伏せられ、事切れているではないか。
「これはいったいどういうことだ!」
駆け抜けてきて息も上がってきたベイスだが、その呼気の荒さと燃えるような鼻息は、怒りのそれへと切り替わっている。
「これは、いったい、どういうことだ!」
口角泡と飛ばしながら、追いついてきた部下にまくし立てる。その巨躯がもたらす威圧に五人の部下も息をのんで後じさる。
近衛の男は皆屈強勇猛である。しかし、ベイスのそれはそんな彼らを殺さんばかりの気迫に満ち、誰しもその波を被らんと引け腰に首を振るばかりだ。
「肩口から、骨盤――? あたりまで、一気に斬り下げられていますね」
部下のひとりが検分する。
「一刀だと!?」
抜き身の長剣を怒りにまかせて納めながら、どしどしと足音高く死体の前にかがみ込む。
「体毛は……」
そばに落ちているネズミの体毛をつまみ上げる。
「綺麗に斬られてるな。押しつぶされたような跡は――ないか」
どす黒い体毛の断面を見ながら、口に出して考える。
刃らしきものが抜けた方向には、毛羽立ちも見られない。よほど鋭利なもので切断されたのだろう。
「ん?」
さすがにいつものペンでは役に立たないのか、死体の片側を革手袋ごしに手根で押しのける。そこに覗く刃が徹った痕跡をまじまじと見る。
「刃は……いや、刃とおぼしきものは、肩口から入り……背中に抜けた?」
「ベイス隊長?」
部下の問に、彼も頷く。
「正面から斬り下ろしたのなら、前に抜ける。――背に抜けたということは……」
ベイスの頭の中に、飛びかかるネズミと、おそらく迎え撃ったであろう斬撃の軌跡が描かれる。
左に避けた。
そして、斬った。
いや、避けざまに斬り上げた。
突進力と自重で刃に当たりに行ったかのような状況だったのだろう。そうとしか思えなかった。いや、そう思いたかった。剣士の感性が、痛く刺激される。
「すくい上げるように斬り上げたのでしょうか」
同じ結論に至った部下の言葉に、もう一度彼も首肯する。
「これはいったい、どういうことだ、おい」
ネズミの物か人の物かわからぬ臓物をにらみつけながら、呪詛そのものの気迫を込めて呻く。
「見ろ、俺の剣でしてやれたのは、この頭のへこみだけだ。どこの誰だ? いや何だ、このバケモノを斬り裂いたモノは」
呻き、立ち上がる。
すでに赤黒く乾き始めた血の海の中、ベイスは己が剣に手をかける。
「この俺が撲殺してやろうと思ってたのに、誰だ」
逃げる住民をかき分け、ベイス含む近衛の八人が駆けつけたときには、すでにこの状況であった。いた人間と言えば、瀕死の重傷を負った傭兵が三人だけで、『使う』者は見受けられなかった。
そして怒り心頭となったベイスが吠えて、件の検分と相成った。
「俺たちが駆けつけるまで、どのくらいだ」
巨ネズミが好き放題できた時間のことである。
「数分もないかと」
「うち、こいつらが傭兵街中通りで立ち回りを繰り広げていた時間を鑑みても、およそ戦闘といえる行為が行われる時間的余裕が、果たしてあったかどうか」
それも関係はなさそうであるとベイス自身思っていた。斬った張ったを繰り広げてはいないだろう。この手慣れた斬り口は一瞬の交錯で放ったものであることは明白であったからだ。
「隊長」
問う部下に、彼は肩をすくめる。やれやれと諸手を挙げたいところであるが、歯がみしつつ我慢する。
「探せ。こいつを倒した者を。そう遠くには行っていないだろう。聞き込みも行え。何があっても見つけ出せ」
「は」
頷いた部下は、仲間にも指示を伝える。七人中の四人は方々に散り、二人は死体のそばで立哨に入り、屋根の上の弓兵は庇に手をかけるや音もたてずにベイスの横に降り立つ。
ベイスは熱く暗いため息を吐き出す。
「隊長」
弓兵は背負った矢立を下ろしながら、腰に手を当て鬼そのものの形相で巨ネズミの死体をにらみつけるベイスの脇に控える。
「アリス、どう見る」
アリスと言われた弓兵は、弓をたたみ背負い直しながら首をかしげる。
どう見る、と問われた弓兵。近衛の黒い制服に覆われてはいるものの、華奢な体つきは確かに女性のそれであった。
「気に入らないですね」
静かだが、鈴の音のような綺麗な声であった。
「威力は長弓に劣るものの、鉄芯と鋼線で補強した私の弓を以てしても射抜けなかったものを、いともあっさりと斬り裂く。……王子たちの持つ浸着装甲の使い手でしょうか」
「そこに思い至るか。確かに浸着装甲は帝国の粋奥。しかし、身体能力がいくら高まろうが、こうはなるまい。得物そのものが別物だ」
最も、武器がすごかろうと、それを振るった技量そのものは高い水準であると窺える。
「では、新兵器か何かでは?」
アリスの問いに、ベイスも「うむう」と唸る。
「それも兼ねて、こいつをやったものを探せ。……さて、長官にどう報告したものか」
「わかりました」
頷くアリスはベイスの顔を見上げながら、小首をかしげる。
「どうした」
訝しむベイスに彼女は小さく頷く。
「やっぱり楽しそうな顔をしています。長官に会いたいからですか? ネズミ退治の報告ができるからでしょうか」
「何を言う」
ごつい手で顔をなでる。
「ニヤけています」
「そうか? ……そうか」
そこでひとつ、ベイスは表情を改めた。
「面白いな。……こいつを作った者、仕留めた者、好きにさせておく訳にはいかんだろう?」
「……仕留めた者のことを思ってたのですね」
ひとつ肩をすくめると、アリスは姿勢を正し、弓を肩に一礼する。
「アリステラ、捜索に向かいます」
「ん、頼む」
駆け去るアリスを見送りつつ、彼は手振りで周囲を警戒していた二人の部下を呼び寄せる。
素早く駆けつける二人は、ともに若い男だった。黒の近衛を身につけるその立ち居振る舞いには芯が徹っているかのようだった。
「ヴァル、イーモン、お前たちもここが熱いうちに傭兵街を中心に聞き込みを頼む。こんな街だ、誰かが必ず見てたはずだ。誰かが必ず聞いていたはずだ。被害者の中でまだ生きてるやつがいたら話が聞け。金を使ってもいい。コレを使うのもな」
と、ベイスは腰の長剣をポンと叩く。
「これはいかがいたしますか?」
ヴァルが目を死体に向け言うと、イーモンが続ける。
「魔物は死ねば消え去るものとばかり」
「放っておいて構わん。……見ろ」
白い小鳥が、一羽。
人差し指を立てるベイスの鼻先をかすめながら、小鳥はネズミ男の骸へと軽やかに降り立つ。小鳥のようなそれは茫洋とした輝きの塊で、くちばしも目も何もかもが白だった。それが本物の小鳥のように、チッチ、チッチと鳴いている。
「殿下の小鳥ですか」
ヴァルの問いにベイスは頷く。
「詳しい検分と見張りは、この取りに任せておく。なに、姫殿下の術、ちょっかい出す者がいたら雷に打たれるだろうよ」
ふふ、と笑う四角面に、ヴァルもイーモンも「そんなもんすかねえ」と言った面持ち。
「これで分析ですか。殿下の御技というのもたいした物ですね」
「おっと、ひとつ言っておくがその小鳥に聞かれると言うことは殿下の耳にも入っているということだからな」
「マジですか」
「――今のお力ではコレをひとつ作ることしかできないがな」
苦笑する。
ベイスの知る限り、エレアの力は歴代最強――その噂の真偽はともかく、恐ろしく強い。自身での制御が追いつかぬほどの力を身に、かろうじて正しい形で絞り出せる力の結晶。その形のひとつが、光の小鳥だった。
「さあ行け。常に姫殿下に見られていると思えよ」
上司が手を振って促すので、ヴァルもイーモンも揃って頷く。
「で、隊長はなにを?」
「気になることがある」
じろりとにらむのは、すぐ横の店だった。店内は静まりかえっているようだが、炊事の残り香がまだ彼の鼻にも届いている。
自分らを睨むと思っていた瞳が見据えるその店に、二人も目を向ける。が、窓から覗ける店内には、誰もいない。騒ぎを考えれば当然だが、騒ぎがあったことを考えると――。
そこまで思い至ると、二人は頷く。
「では聞き込みに向かいます」
「たのむぞ」
振り返り部下の背中を見送ると、ひとつ息をつき、ジリと体を店へと向ける。
よくある宿屋だ。
護衛を雇う商人が傭兵街で使う、ありきたりな宿。
重量感のある歩みでズカズカと歩き寄ると、入り口ではなく窓からその厳つい四角顔をヌっとばかりに突き入れる。
「近衛のベイスだ。……見えるか?」
と、クイと肩元を見せるように、カウンターの隅で目を泳がせている店主に笑いかける。
「近衛の手を煩わし、なおかつ傭兵数人を死傷たらしめた怪物を倒した男がいる。――いや、男か女かはわからんが、一刀のもとに斬り伏せた者がいる」
じっとりとした、重い重圧をかける視線に射貫かれたように、店主はごくりと喉を鳴らした。
「屈強な男を吹き飛ばしあんたんとこの水樽をなぎ倒し、何事かと出てきたであろうあんたのそばにいたであろう男。または女」
窓枠に両肘を乗せ腕を組み、ベイスは真っ直ぐに言う。
「見たな? あんた」
観念したかのように、店主はゆっくりと、頷いた。
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