第3話『クライフ、帝政シャールに立つ』


 舫い綱で係留されたのを確かめ、慣れた手つきで渡し板を掛ける水夫たちの動きに遅滞はなかった。

 そこかしこで小舟が太い桟橋に群がってくる。

 そのうちのひとつはシドが、桟橋の側面に束ねられた使い古された綱や網の緩衝材にそっと身を寄せるように着岸させている。


「ついこの間まで浮き桟橋だったが、ずいぶん稼いだものだな」


 シドが独りごちると、船尾側で舫いを手伝っていた青年がふと顔を上げる。ずれて重なり合った湖月のような入り江を見渡し、波の大きさが消され、小さい細波が足下の船を揺らすのを見ると、「浮き桟橋ですか」と、それだけ呟く。


「海で稼ぐ気がなくても、それくらいは覚えとけよ。俺が教えてやる時間はないけどな。――おお、あれだあれ、あれが浮き桟橋。浮かべてるだけだから移動も簡単だし増設も比較的簡単だ。重い荷は下ろせないが、慣れた人足や商人水夫に旅人に傭兵騎士うんたらかんたら、とにかく海になれてる奴らが使う。客船なんかはこういった、揺れない固定された桟橋に係留して着岸する。水が深けりゃでっかい船はもっとでかい埠頭に着岸させる。――ほらあれだ。黄金の角も誘導に従って東側の倉庫に近いあのあたりに…………。なんだよ」

「しっかり教えてるじゃないですか」


 けらけらと明るく笑う青年に、シドはムーっとしておほんと咳払い。


「ま、とにかく」


 仕切り直して、渡し板にあごをしゃくる。


「これを渡れば、もう赤の他人だ」

「お世話になりました」


 青年はやや不格好にずんぐりとした背負い鞄をヒョイと担ぎ上げる。相当な重量があるのだろうが、彼の体幹は少しも揺れない。


「……船の仕事はどうだった?」

「そうですね」

 思い出すように天を仰ぐ。

「たのしかったですよ」

「変な男だなお前は」


 ガハハと笑う。


「……達者でな」

「はい。シド船長もお元気で」


 この渡し板を渡れば、陸。

 青年と船長はここで、他人になる。

 他人同士になる。

 海の男は慣れっこなのだろう。ふと背を向けて、青年が立ち去りやすくする。さあ、行けとばかりに、無関心を装う。

 青年にもそれがよくわかっていた。

 だから軋みを立てる渡し板を一気に渡りきり、彼を振り返らずに桟橋を進む。基礎は組石のようだった。足音は堅いものだ。


「帝政シャール、か」


 新しい土地。

 新しい空気。

 細い桟橋から波止場に着いたとき、荷下ろしの慌ただしい行き交いの中、青年はふと一度振り返る。自分の後に陸に上がったシドはすでに鮫の目の代表と荷下ろしだろう。

 異国の空気。

 特に港が開かれ活気に――殺気にも似た状況にまみれたこの大都市の港を取り巻くにおいは、格別だった。

 違う場所に来た。

 それを強く感じた。

 自分はこれから、今までの後ろ盾もなく、生きていかねばならない。背中に負った荷物の重み、そして――。

 袖無しの上着の懐から、ひとつの封筒を取り出す。

 赤茶けた古い封筒だった。

 紙自体が相当昔に作られたものだろう。酸化の染みだった。蝋封もされていない封筒であったが、それでも綺麗な状況で保管されていたのだろう。

 青年の新しい居場所。

 彼にこれを手渡した者は「宛名の場所に行けば面倒を見てくれるだろう」と行っていた。せめてもの手向けだと。

 背負い直す鞄。

 そしてそれとは別の、革製の長い筒状の入れ物。


「行くしかないか」


 不安を振り払うように、青年は向かう先、長さを増す人の列に並ばんと歩き出す。

 その列を取り仕切るのは、武装した兵士だった。シャールの正規兵だろうか、腰の長剣は刃厚でやや短め。取り回しの良い両刃の鉈のような武器だろう。頭の天辺からつま先までは分厚い鞣し革の鎧。焦げ茶の彫像のように視線を――厳しい視線を向けている。

 人の列を取り仕切り、些細な異常も見逃さぬ、ぴりぴりとした空気。

 すべてが検問に異邦人を流し込むために最大の注意をはかっている。

 青年はおとなしく並ぶ。

 旅人たちは黙々と検問の小屋へと飲み込まれ、そこで見聞を受け、身元が明らかになれば街へと解放される。

 この亜大陸では、国を跨ぐという意味合いが変わる。

 当然のことながら周りの国は、すべてが『異国』。出入りする人間への監視は厳しいものなのだろう。特に物資が大きく流れる港となれば、人と物、監視する人間の苦労たるや尋常ならざるものだろうなと、青年は苦笑する。

 その苦労が少しでも軽くなるよう、おとなしくしていよう。

 そう思い青年はふと息をつく。


「……シャール、帝国か」


 もう一度呟く。

 彼の後ろにも人の列は形成されている。

 遅々たる進みに文句を言いたそうな者もいるが、監視の――列の形成をこなす兵士たちのにらみに押し黙っているようだ。船が着岸し、仕事として荷下ろしをする者たちを他に、青年のようにシャールに来ることが目的の者たちの数は多い。彼らを見張る兵士の数も、やや増えてきたように思える。

 馬に乗る者、長柄を持つ者。

 腰には折りたたみの弓を携えている者もいる。矢の数は少ないものの腰に赤い矢羽根がちらちらと窺える。警告用だろうか。


「焦げ茶の兵士に、真っ赤な矢羽根か」


 金属製の鎧は水に沈む。水練を経ていない者ならばおぼれてしまうだろう。強靱な鞣し革を基にした鎧は、打ち止めされた板金があろうと易々と水に沈むことはないだろう。

 列に対する指示を除き、寡黙な兵士たちだった。

 その動きは隙も無く、しかし力が入りすぎている様子もない。自然な立ち姿だった。


「……何を見てるんだか」


 軽く頭を振る。

 視線を外すと、背筋を整える。

 検問の小屋――いや、小さな屯所、関所のような作りだった。そこまで、しばし。青年は鞄を担ぎ直し、先ほどの封筒ではなく、胸に手を当て、もうひとつの真新しい封筒を確かめる。こちらはシドの署名の入った、彼の身元を証明する――半ば偽造された証書だった。青年の名前を知らぬシドが「見ちまうと厄介だからよ」と、そこを隠したまま署名をした証書だった。


「次の三人、入りなさい」


 そう声を掛けられたのは、すぐのことだった。

 彼は促されるまま、荷物を持ち、小屋の一室へと入る。他の二人はまた別の部屋だ。

 カウンターがあり、それ越しに三人の官吏。部屋の四隅には焦げ茶の兵士。無論、赤い矢羽根がちらりとのぞいている。

 背負った鞄をカウンターに乗せる。鞄というにはいささか大きいそれを引き受け、官吏が兵士と共に検分に入る。


「そちらも」


 と促され、件の革製の長い筒状の入れ物を乗せる。


「見てください」


 官吏が兵士に、一声掛ける。

 促されて大きな鞄をのぞき込む兵士が、「ほう」と声を漏らす。


「これは君のものか」


 問いただすような口調なのは、職務柄だろう。

 その鞄の中身は、折り重ねられて仕舞われた漆黒の鎧だった。全身鎧だが、動きやすいように省かれた部分も見受けられる。亜大陸では傭兵、剣士に多く見受けられる部分鎧である。


「ええ」


 そう答えながら、青年は証書を手渡す。


「古いが、よく手入れをされている。――こちらは?」


 と、官吏は続き、結びひもを解き、革製の長い筒状の入れ物の口を開けると、その中から一振りの剣を取り出す。


「こちらは、仕事道具か。……異国の剣のようだが」


 緩い弧を描く鞘に、やや円状の鍔。

 柄は拳三つほどでやや長い。滑り止めだろうか、強靱な平らな濃紺の紐が綺麗に巻かれている。


「……?」


 兵士の一人が青年に目を向ける。「抜いても良いのか?」という問いかけだ。

 戦士としての礼儀として、勝手に相手の武器の品定めするのは無礼に当たる。本来ならば検閲する兵士も遠慮するところだが、職業意識と興味に、強く促されたのだろう。

 青年は頷く。

 それを受け、ゆっくりと抜く。


「ほぅ」


 いくつかの嘆息が漏れた。

 刃厚だが、大陸のそれよりやや細身。片刃の長剣で、緩い弧を描く刀身には遠く連なるような山脈を彷彿とさせる刃紋が鈍く光る。

 刃こぼれもなく、しかし、明らかに使い古された一振り。

 切っ先を引っかけないように納めると、兵士は証書を開き、問う。


「名は?」


 問われ、青年はひとつ頷く。


「クライフ。クライフ=バンディエール」


 剣を受け取りながら、彼はそう、はっきりと伝えた。


「今は、剣士だ。……ただの」


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