第11話『雨滴の大河(5/5)』

 *


 龍鱗山脈の入り口、雨滴の大河沿いの平野で日が落ちてきた。

 このあたりにくると山脈越えの商人たちもひとつ固まりあって、大きな一団となって自衛に務める習いがある。山脈にはびこる盗賊のうわさや、旅人による盗難など、さまざまな情報が交換される場所でもある。街中の集団ではなかなか生まれにくい、旅商人特有の自衛互助の空気が張り詰める場所である、

 三十人ばかりの商人の集団が、数個の焚き火に分かれて固まっている。

 荷は解かれ、各々の見張りが立哨して辺りをうかがっている。

 彼らが馬車に乗ったクライフたちを確認し、火の回りの商人たちに伝える。

 クライフたちが彼らの元に近づくころにはとっぷりと日が暮れており、商人連中はこの珍しい一行に興味と警戒を持って、その眼差しを向けていた。


「珍しい集団だね」


 武器を携帯した商人のひとりが声をかけてくる。自警の任を得た雇われ用心棒かもしれない。

 彼の問いにクライフは頷いた。


「きな臭いうわさがあるから、貴族お抱えの娼婦を領都に護送している最中なんだ」

「ああ、南の……」


 商人も納得したように頷いた。


「もう戦いは始まっていると見るべきだろう」


 クライフはそう言い、商人を促した。


「……ああ、大丈夫だ、通ってもいいよ」

「ありがとう」


 どのみち、商人たちから離れて夜を明かすのは、かえって彼らの不安を煽ることになるかもしれない。彼らも目の届くところにクライフたちを置いておきたいと思っているのを見越して、彼は馬車を一番近く人数の多い一団の元に止めた。

 訝しむわけではないが、多少警戒の色をにじませていた年嵩の商人たちも、ヒョイとほろから顔をのぞかせるオリビアを確認すると、表情を幾分和らげた。幼い少女を連れているというだけなのだが、それだけでクライフたちが「苦労」していることを察してくれる。そしてほろから降りてくる女性たちが、揃いも揃って艶やかさを纏っている女性とくると、彼らの表情も多少戸惑ったものがにじみ始める。

 クライフは先ほど見張りに言ったようなことを簡単に伝える。


「なるほどなぁ」


 貴族の妾たちと受け取ったのか、物珍しげな視線から旅行くもの特有の境遇の共有じみた空気が流れる。

 荷を解きながら、クライフは夜営の準備にかかる。

 火は共有ということで貸してもらえる。そのかわり、クライフは一夜の警護を買って出ることにした。どのみち南への警戒は必須だ。軽く警護の者と挨拶を交わし、簡単に打ち合わせをする。警鐘がわりの呼子笛を渡される。何かあったときに吹き鳴らす道具だ。


「よし、お嬢ちゃん、いいもんあるぞ」


 早速、子供好きな老商人がオリビアを手招きする。


「こら、オリビア」


 その呼びかけに無警戒で近づこうとするオリビアを、母親のアンナが呼び止める。


「だめなの?」

「……そんなに簡単にほいほいついていかないの」

「ははは、大丈夫だよ、南から持ってきた甘いものが少し残ってるからあげようと思ってるだけだから」


 老商人は気を悪くした様子もなく、アンナに笑いかける。皺のひとつひとつに歴史を刻んできた渋い表情がほんわかとなる。


「ちがいますよ、私の娘ならもう少し男を焦らさないと駄目ってこと」

「はは、なるほどな」


 老商人が再び笑みを漏らすと、ほろからエレナに手助けされながらイリーナが降りてくる。お腹の大きい彼女を見て、男所帯の商人たちは感心したような、困ったかのような、言葉にならない呟きを吐息とともにもらす。


「こりゃ見事にふくらんでるなぁ」

「きっと大きな子供だぞ」


 かけられる声にイリーナもにっこりと笑う。


「ありがとうございます。大きいだけじゃなくて、すごく元気なんですよ」

「しかしその大きさ、もしかしたら二人くらい入ってるんじゃないかねえ」


 その一言に、クライフは「そういうこともありうるのか」と素直に思い至った。

 生まれてくる子供が一人とは限らないのだ。

 もしそうなると、男女問わず過酷な運命が待っていることは明白である。派閥に利用される羽目に陥れば、この若い母親はきっと苦悩と悲しみにその顔を曇らせるだろう。その仲間もまた、姉妹の子供の行く末に不安を覚え、心に影を落とすことだろう。

 そうしないようにするには、多くの努力が必要だ。クライフはそのあたりは弁えているつもりであった。しかし、そうならないように自分が何とかしなくてはいけないという、一種父性本能を刺激されているのもまた事実であったろう。


「いやあ、私の孫娘も、国でもう働き始めてるころで……」


 オリビアに菓子を与えている老商人がそんなことを言って話に花を咲かせている。当のオリビアはその老商人の脇でチョコンと座って焼き菓子を頬張っている。


「まったく、しょうがないね。あの街から出したことがないから、一般人とどう接していいのかわからないんだろう」


 アンナが服を直し楽な格好を作りながらクライフのそばに座る。


「人見知りはしないだろうと思ってたんだけど、あんなにほいほいついていきそうになるなんて、親としては将来が不安だよ」

「人を見る目は、あるんじゃないですかね」

「そうかい?」

「アンナさんの娘ですよ?」

「……私に見る目があったら、いまこうして母一人子一人なんてことにはしてないさ」

「そうでしょうかね、姉妹はたくさんいるようですが」

「不肖の姉妹さ」


 しかし嬉しそうにアンナは笑う。

 焚き火に照らされた彼女の顔は、苦労が表情にこそ表れるものの、まだ活き活きとした女のものだった。生き物としての、張りと活気に満ちている。

 正直に、魅力的な女性だとクライフは思う。


「これからどうなるのかねぇ」


 呟くアンナ。

 訊いたわけではない、独り言ともとれる。

 クライフは火を見つめながら、考えながら言葉を選ぶ。


「みなさんの、とりわけイリーナさまの身のことに関しては、領主様の力次第ということになるでしょう。特にキーリエ……領主婦人の確執がありますから、どれほどの安全が保障されるか予想がつかないのが現状です。生まれる子供が男子だった場合、女子だった場合、そして二人だった場合……考えても不安になるだけです」

「なるほどね」


 火は、人を正直にするという。


「でも、守りたいと思います。……末席の騎士一人の力が及ぶとは思えませんが、とうに家を離れた三男坊です、路銀を着服してみなさんと海を越え、大陸で新しい『夜霧』の用心棒になるのも面白いかもしれません」

「ふふ、言うねぇ」


 クライフも笑い、アンナも笑った。

 エレナは甲斐甲斐しく若い商人連中の好奇に満ちた手を逃れつつ、うまくあしらいながら酌や給仕に動き回っていた。

 イリーナは商人たちが特別に積荷から持ち出した、獣毛作りの簡易ソファーに楽な格好で座っていて、数人の若い商人を相手に会話に花を咲かせていた。


「ふふふ、あしらい方も慣れてきたものだね」

「男のあしらい方、ですか」

「ちょっといかがわしい酒場で給仕女の仕事をすれば、あしらい方が上手くなるか、客に骨までしゃぶられるかのどっちかだからね。まあ、ある程度の指南はあるけれど、そいつがもつ個性によるわね。エレナも気が弱いなりに上手くあしらってること、ふふふ」


 手のかかる妹の成長をほほえましく見守る姉の顔である。

 田舎の一番上の姉も、幼いクライフをたまにこんな顔で見ていたことがあった。家を出るまでの昔日の思いが、急に胸を締め付ける。

 とっぷりと日も暮れ、満天の星空が広がっている。

 それを見上げながら、クライフは遠く同じ空の下で生活しているであろう家族に思いを馳せる。


「なにしんみりしてるのよ」


 肩を叩かれる。


「これからしんみりしようとしてたんですよ」

「まったまた、似合わないわよ」


 顔をほんのりと赤らめたヴェロニカが、酒瓶片手に立っている。酒瓶から直接酒を飲みながら、もういちどプハーっと息をつく。弱い酒だが、クライフは眉根を寄せて、仁王立ちになるヴェロニカを見上げた。


「行儀が悪いですよ」

「いいの、無骨な金属ジョッキで回し飲みするくらいなら、直接行くのが酒への礼儀よ」

「まったく理路整然としていませんよ」

「うるさい、騎士の癖に難しい言葉を使うな」


 ぽこん、と頭を小突かれる。


「そんな小難しい理屈をたれるのは、きっと楽しみが少ないからね」

「そうですか?」


 と言い返してから、そうかもしれないな、と思い直す。


「……よし、まあ、ここはいっちょ、踊りますか」

「踊り?」


 うむ、とヴェロニカは鷹揚に頷く。


「タダ酒もいいけど、商売人が商売人相手に対価も支払わないのは我慢できないのよ」


 かといって、いまはソッチの商売をする気にもならないしね、とヴェロニカは呟く。


「と、言うことで踊るわ」


 シュルリと衣擦れの音とともに、彼女はベストとスカーフを一息で脱ぎ去る。

 その様子を見た回りの商人も、なんだなんだと興味の目を向ける。


「姉ちゃん、脱ぐのか」

「そこまでご奉仕はいたしませんよ~」


 とは言うものの、あっという間に彼女は身軽な下帯と、その上に羽織っている薄い肌着のみになったしまう。夜風に彼女の体臭が混じり、男どもは揃って息を呑む。炎に照らされた健康的な肌と、妖しく照らされる彼女の相貌が、一瞬で男たちの心にその爪を食い込ませた瞬間だった。

 そして彼女は――。

 そして彼女は、優雅に舞を始め、静かに、そして徐々に高らかな歌声を併せてその半裸の体を、一切の下卑たものを感じさせない美しい輝きを感じさせつつ舞わせる。

 はじめは下賎な娼婦の舞ということで、どこか好奇と好色の目を向けていた男たちだが、すぐにその舞が形式と系統だった正式な舞の一種であることを感じ取っていた。


「……すごい」


 感心したように呟いたのは、クライフだったか、他の男だっただろうか。

 誰しも同じことを感じ、声に出さずともそのようにもらしていただろう。

 軽快な足運びのリズムと歌は、次第に波紋が広がるように男たちのなかに同調という意識をなじませる。歌に合わせた手拍子であり、喝采であったり、熱を帯びた吐息であったり。その賑わいは賑わいを呼び、いつしかヴェロニカの周りには、焚き火を囲みほぼ全ての人員が集まっていた。


「これが盗賊の陽動だとしたら、一網打尽だな」


 苦笑をもらすクライフ。

 ヴェロニカは男たちの壁で見えないが、熱い気配が伝わってくる。


「彼女はね」


 アンナが呟く。


「もともと、各地を旅する一族の少女だった……らしいわ」

「十の風の一族……」

「そう、そんな名前だったかしら。この世界の十の陸地にあまねく住まう神秘の一族……とは言うけれども、その多くは流浪の民なのよ。彼女が緑葉に売られてきたのは、もう何年前かしらね」


 遠い目をするアンナ。


「旅芸人としての一面も持ち合わせている彼らに伝わる、古い踊りらしいわ。鼓舞と慰み。まるで私たちの仕事そのもの……なんていったら言い過ぎかしら」

「さあ、よくわかりませんが」


 と呟き、それでもクライフは言葉を続ける。


「あなたたちのような女性がいるおかげで、私たち男は再び明日を戦えるのだと思います」


 アンナの目を見て、彼女だけに聞こえるようにそう呟く。

 さすがにキョトンとしていたアンナだが、噴出すように苦笑する。


「そんなこと言われたの初めてだよ」

「そうですか、変なこと言いました」

「いいのよ。……あとでみんなにも同じこと話しておいてあげる」

「ちょっと、それは」

「いいじゃない、少し嬉しかったんだから」


 そういうものなのだろうか。

 ヴェロニカの乱舞は熱を帯び、雨滴の大河最後の夜は更けていく。

 人垣から漏れる熱気と明かりに、クライフは迷いを断つようにひとつ、頷いた。

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