第五十二話 救出編【52】

 私は欄干らんかんに座ったまま、女子生徒の声がした方へ向かって返事をした。

「来たのね。私はここにいる」

「ここってどこですか?」

 あたりは暗い。私を目視することが女子生徒にできなかったのだろう。

「ここよ。橋の手すりにいるわ」

 私が声を出すと、女子生徒が橋の中央へと歩みを進めた。

 女子生徒は橋の中央に立つと、欄干に座る私を見た。

「何でそんな所にいるんですか?」

「これが最後の順番なの」

「最後の順番?」

「そう。ここで最後の大切な儀式をするの」

「儀式……」

 女子生徒は私の言葉を繰り返すだけだ。

 私は話題を変えることにした。

「それよりも随分ずいぶんと早い時間に来たのね。約束の一時より一時間くらい早いんじゃない?」

「いても立ってもいられなかったんです。何かをしなくては時間が過ぎるのが遅くて……。色々と時間を潰そうと工夫をしたんですけど、どうしようもなかったんです。時間が早いことはわかっていたんですが、ここに来ることにしました」

 私は心の中で笑った。

(女子生徒も私と同じ心持ちだったのか。確かに、夜中の一時に大事な用があるから来い、と言われたら、身構えるのが普通だ。私の時もそうだった)

 私は笑みがこぼれそうになるのを抑えて声を出した。

「さて、と。今日まで色々とよく耐えてきたわね。女子に告白されたり、学校というリアルの世界でのいじめとネット上での言葉の暴力。あなたには苦痛だったでしょうね」

「苦痛というか、びっくりしたというか。でも、確かにつらいことが次々と起きる日々でした」

「それも今日で終わりよ。今日、ここで最後の試練を終えて、あなたは解放される。そして、念願のモミカさんの命が助かるわ」

 女子生徒が声を少し大きくした。

「モミカさんは助かったんじゃないんですか? お母様がブログで様態が良くなったと書いてるじゃないですか」

「今は、ね。でも、いつ様態がまた悪くなるかわからないじゃない。緊急治療室から出たと言っても、油断はできない」

「でも、意識もあるんですよ」

 私は溜息ためいきをついた。

「正直に言うわ。この試練を乗り越えないと、モミカさんの容態はまた悪くなると思う」

「思う、ですか?」

「そう。これを乗り切れなかったら、モミカさんの容態は再び悪くなると予想される」

「さっきから、思う、とか、予想、とか、憶測の話ばかりじゃないですか」

「そうね。私自身もわかってないことが多いわ。でも、信じて。これを乗り越えなければモミカさんは助からない。それは私も経験したことなの」

「一体、何をすればいいんですか?」

 私は自分の太腿ふとももに視線を落とした。

「何でこんな所に私が座っているか、わかる?」

「さっきから疑問に思ってましたけど、さっぱりわかりません」

「あのね。あなたに課せられた最後の順番的試練は、私をここから落とすことなの」

「あなたを落とす?」

「そう。突き落とすの」

「この橋の上からですか?」

「その通り。突き落とされるために、私はここに座ってるの」

「なんですか、それ。意味がわかんないですよ。モミカさんを救うことと、あなたを橋の上から落とすのとどう関係があるんですか」

「さぁ。それは私にもわからない。でも、この試練を通過しないとモミカさんは一〇〇パーセント助からない」

何故なぜ、そう言えるですか?」

「私の時がそうだったからよ。考えてみて。告白を断る、いじめに耐える。人の命、一つを救うのに、それだけの代償で足りるかしら? この世に奇跡があるとして、人、一人の人間を死のふちから返すのにたったそれだけの苦痛を受けるだけで、事足りるかしら?」

「……」

 女子生徒は黙ってしまう。

「私はそうは思えない。人、一人の命を助けるのだから、それ相応の犠牲は伴うはずよ」

「つまり、あなたを橋から落として、あなたの命がなくなることでモミカさんは助かる、ということですか?」

「ま、そういうことね」

「あなたも自分の大切な人を助けたんですよね?」

「そうね」

「ということは、あなたも人を橋から落としたんですか?」

「落としたわ」

 私はすんなりと嘘をついた。

 私はこの嘘を上手く言えるかどうかを危惧きぐしていた。が、予想よりも私はなめらかな調子で虚言を吐くことができた。

 女子生徒の声は少し小さなものなった。

「落とされた人はどうなったんですか?」

「亡くなったわね」

「死んだんですか!」

「さっきも言ったように、人の命なんてホイホイ助かるもんじゃないのよ」

「それってニュースになりました?」

「さぁ。でも、事前に遺書を書いてたから、新聞とかには載らなかったかもね」

「つまり、あなたも……」

 私はまたしても、嘘をついた。

「遺書を書いてきたわ。私の部屋の勉強机に置いて来た。私が死んだら、単なる自殺扱いになるでしょうね」

 女子生徒は黙ってしまった。

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