それぞれの理由 (2)

 その男がリンドの宿城に現れたのは、夏の盛りのことだった。

 短い夏を謳歌する旅人も、魔物狩りの合間のリアラたちも、吸い寄せられるように彼に視線を向けた。それだけの圧倒的な存在感と魅力があったのだ。

 注がれる視線の雨にも動じずに宿城の主と二言三言交わした男が、日向の色の髪を揺らして振り返った。あ、と客らの声が重なる。

 初対面だったにも関わらず、男の正体はすぐに知れた。キムもフェニクスも同じだったらしい。まずは驚きに、次に喜びに、表情が目まぐるしく変わる。


「やあ」


 金髪の男は笑顔で、リアラたちに手を挙げた。


「キムと、リアラと、フェニクス?」


 彼が名を呼ぶのに合わせ、子どものように大きく首を上下させて頷く。キムはすでに、感激で口許をむずむずさせている。


「娘が世話になったね。スイレン・アニス。シャイネの父だ」

「天雷の……」

「レン?」


 口々に尋ねるキムとフェニクスに頷いてから、彼は口元で人差し指を立ててみせた。

 二十年も昔のことなのに、エージェルの狩人たちは未だに彼を噂する。レンはこうだった、レンはこんなにも凄かった、と。本人が宿城に現れたとなれば大騒ぎになるだろう。現になりかけている。リアラたちは神妙に頷き、彼に椅子を勧め、場所を譲った。

 脚を引き、杖を突いていても彼の身のこなしに無駄はなく、優雅でさえある。狩人稼業から遠ざかって久しいはずだが、体は潔く引き締まり、在りし日の活躍と人気を思わせた。確たる芯と、溌剌とした生命力が目に見えるようだ。

 杯を交わし、料理が卓いっぱいに並べられるのを待って、スイレンは口を開いた。


「君たちの腕を見込んで、頼みたいことがある。狩人にお使いを頼むのが筋違いだというのはわかっているんだが、他にあてもなくて」


 頭を下げるスイレンに、慌てたのはキムだ。憧れの狩人との対面に、まったく落ち着きをなくしている。


「俺たちにできることなら、何だってします。もしかして、そのためにノールから、わざわざ?」


 父は足を負傷して狩人を辞めたんです、とシャイネが話していた。日常生活はともかく、旅暮らしや剣を使うのには少々障りがあるのだと。

 雪の季節ではないにせよ、ノールからの道程も易くはなかったはずだ。そうまでして頼みたいこととは何なのだろうか。


「食べながら話さないか。せっかくの料理が冷めちゃあ、もったいない」


 緊張で食も細まるかと思ったが、キムとフェニクスは普段通り、豪快に食べて飲んだ。スイレンは二人に比べれば控えめだったが、食が細いわけでもなく、場は和やかだった。


「もしかすると耳に入っているかもしれないが、モルドヴァからの東西街道に魔物が増えて、神都が包囲されているらしい。それなのに女神教は動く様子がないし、危険な状態なんじゃないかと思っている。最近はシャイネからの便りもなくて、どうも嫌な感じがするんだ。解決しろとは言わないから、様子を見てきてもらえないだろうか。妻がね、しきりに気にするものだから。何もないに越したことはないんだがね。もちろん、必要経費はきちんと支払う」


 彼は言い、ちらりと視線を寄越した。春の陽射しのように淡い色合いの金髪はシャイネと同じで、父娘は顔立ちもよく似ていた。男装が似合うわけだ。リアラも風の王たる父ではなく、母に似ている。精霊の外見はこちら側での仮面だから、子に受け継がれないのだ。


「シャイネはあの通り、巻き込まれやすい性格だから……何もなければいいんだが」

「穏やかじゃないな」


 キムの言葉に一同が頷いた。スイレンの新緑の眼は憂いに曇っている。誰かが勢い任せにはいと答える前に、疑問を挟む。


「この街には多くの狩人や旅人がいます。あてがないと仰ったけど、どうしてわたしたちなんですか? レンさんの依頼なら、誰だって喜んで受けるでしょうに」

「そりゃあ、君たちがシャイネのことをよく知っているからだ。リアラ、君は半精霊だし、あえて他の誰かを探さなきゃならない理由はないよ」


 彼の言葉に嘘はなかった。仮に含みがあっても、キムは受けただろうが。

 慌ただしく荷物を纏めてひと月。久々の乗馬は皆を無口にする。街道を南に下りながら、リンドを発ってからの旅路に思いを馳せた。

 ずいぶん久しぶりに訪れたカヴェは、以前と比べて格段に治安が良くなっていた。事あるごとに賄賂を要求してきた柄の悪い青服など一人もおらず、船着き場も整然としている。

 港の市場を見て回っているときに青服が現れて、半精霊だ何だと揉めたときにはどうなるかと思ったが、乱闘も辞さぬ構えで挑発を繰り返すキム、寄らば斬ると威圧をやめないフェニクスにいっさい動じなかった神殿長レイノルドによって、思わぬ展開を見せることになった。学問の都シン・レスタールへのお使いである。

 方向が同じだから、と引き受けたものの、よからぬことに利用されているように思えてならなかった。

 馬に揺られながら顔をしかめる。妹への手紙をと語る神殿長の言葉に嘘はなかったが、何重にも本音を取り繕っているのが察せられた。ずいぶんやり手のようだし、きっと何か裏がある。

 副官の女性は精霊封じの剣を持っていたが、宿る炎は気位が高く、判で捺したような挨拶を寄越しただけだった。主人を守るためにぴりぴりしているらしい。シャイネの刺突剣ディーにもその傾向はあったが、かれ以上だ。

 依頼を受ける決め手となったのは、そのシャイネの名が出たことだ。しかも男子名ではなく、本名である。

 キムが前のめりになってしまったために、レイノルドがどのようにして彼女の名を知ったのかは訊けず仕舞いだ。腹の内を探り、手の内が知れるまで従順なふりをしようと意見をまとめ、カヴェを発った。

 南に下るほどに、空の色、波の音、風の柔らかさ、全てが違った様相を見せる。あらゆるものが色鮮やかで、太陽は情け容赦なくぎらぎらと照りつける。

 学問の都の傭兵、ナルナティア・ノジェスに手紙を届ける。依頼は簡潔極まりないのに、どうしてか素直に受け止められない。


「どうした」


 フェニクスが馬を寄せてくる。先頭のキムも歩みを緩めた。


「あの神殿長、何を隠してると思う?」

「リアラの勘が出たぞ」


 キムが快活に笑った。

 リアラは父譲りの力で人の感情を読める。嘘の有無や緊張の度合いが漠然とわかるのだ。このことを知っているのは幼馴染みのフェニクスだけで、組んで長いキムにさえ勘が利くとしか伝えていない。

 言うまでもなく、人と交わって暮らすうえで大きな障害となるからだ。こちらとしてもあけすけに敵意や下心、不審を抱かれると傷つく。疎んじたことは一度や二度ではないが、狩人としての交渉に利用したり、敵意を察して命拾いしたりと同じくらい役立ってもいる。

 誰にどう思われようと、世間話程度と受け流すのがいちばんだと割り切ってからはさほど苦にもならなくなった。


「青服の親玉が、わたしたちみたいな胡散臭い流れ者に大切な手紙を預ける? シャイネが神殿の色ガラスを割ったのだって、危険な目に遭ったからでしょう。誰がそうしたのか、あの人ははっきり言わなかった」


 生返事を寄越したキムは彼なりに考えを巡らせているらしかった。彼は直情的で、考えるよりもまず体が動く性質だが、欠点を補ってあまりある行動力と柔軟な姿勢で数々の危機を乗り越えてきた。魔物相手に完璧な計画はありえない。準備を調えた後は、状況に即応できるかどうかが狩人の生死を分ける。彼は二十年以上もそんなふうにして生きてきた。

 海の香りが消え、周囲に田畑が増えるつれて魔物の姿も多くなった。情報通りだが、襲ってくるものもいれば、遠巻きにこちらを窺うだけのものもおり、気味が悪い。

 怯える馬をなだめ、行く手を阻む魔物を蹴散らし、時には商人と同道し、ひたすらに南へと馬を進める。

 ところがメリアを過ぎると、魔物たちの襲撃はほぼなくなった。数こそ多いが何かを待ち構えている様子で、よほど接近しない限りは襲ってこない。


「何だ、こいつら。本当に魔物か?」


 キムでさえ気味悪がっている。狩人にとって、魔物とは無条件に駆除すべきものだ

った。しかし今はお使いの途中だ。魔物が道を塞がないのであればやり過ごし、先を急ぎたい。手当たり次第に挑みかかり、命を失っては本末転倒だ。

 街道はロス湖のほとりで東西へと分岐する。神都へと続く東の街道は幅も広く、新しい轍の跡も多い。比べてク・メルドルに至る西への道はずいぶんと寂れていた。

 一夜にして滅びたク・メルドル。その真相は人々が様々に噂するが、何があったのだと父に尋ねても、額に皺を寄せるばかりで答えてはくれなかった。父が話を渋る、つまりリアラに聞かせたくない事実。それだけで、女神教に関わるのだと想像できる。

 スイレンの依頼とはいえ、その女神教の中枢へ向かっている。正直に言えば、気乗りがしない。許されるならば今すぐにでも馬首を巡らせたかった。シャイネを案ずる気持ちはあれど、神都に近づくほどに漠然とした拒否感は頭痛と吐き気、胃のむかつきといった具体的な症状となって現れたからだ。

 不調に気づいたのは隣を走るフェニクスだった。疲れたか、と尋ねる声はいつも通り優しい。


「ううん、別に、何でもない」

「ならいいんだけど。顔色が悪い」


 付き合いが長いだけあって、彼に強がりは通じなかった。先へ進みたくないと正直に打ち明ける。


「何だか、気分が悪くて。風邪かもしれない」


 横に並んだキムがリアラと道の先を見比べる。珍しいこともあるものだ、と黒い眼が語っていた。


「神都はすぐそこだぞ。医者にかかるにしても、メリアに戻るより、進んだほうがいいんじゃないか」


 平原を吹き抜ける風にふと、違和感を覚える。原因を探ろうとして、背筋が粟立った。


「精霊が、いない」

「いない? そんなことがあるのか」


 いない、というと語弊がある。屋外のこと、風はふつうにあるのに、精霊の数が少なすぎるのだ。そばにいて当然だった精霊たちの不在が心許なく、両腕で肩を抱いた。


「ううん、いるんだけど……どんどん減ってる気がする」


 精霊使いではないふたりにはわかるまいが、言葉で説明するのも難しい。飲み水の味が違うような、寝台の固さが違うような、見過ごせない違いなのだ。帰りたい。戻って、精霊と語らって側にいることを確かめたい。

 ここまで来れば、キムとフェニクスだけでスイレンの依頼を果たすこともできるだろう。ひとりで引き返すか、黙って進むかはリアラ次第だ。ふたりは意見を汲んでくれる。

 気がかりは安否の知れぬシャイネだけだ。あの子はどこでどうしているのだろう。ほんの子どもだったのに、強くあらねばと自らを叱咤する姿を思い出して胸が痛んだ。


「大丈夫。もし神都に精霊がいなくても、そんなところにシャイネがいる方が大変だし。わたしも行く」

「わかった。具合が悪くなったら、すぐに言えよ」


 キムの言葉に頷いて、再び馬を走らせた。旅の間に季節は移ろい、秋の気配が迫っている。遠くに来たものだ、と乾いたため息をつく。

 街道の先におぼろげに神都が見えた。眩しいほど白く輝く街。清潔さがこの上なく不吉だった。

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