それぞれの理由

それぞれの理由 (1)

 工房宛てにその手紙が届いたのは、夏の気配が遠くに去った、秋の涼しい日のことだった。

 各地の豪商が、権力者が、傭兵や狩人が、精霊封じの武具をいかに切実に求めているかを綴った手紙。あるいは納品した武具への礼状。定期的に届けられるそれらの開封と仕分けは、ミルとイーラの仕事だ。


「あーっ」


 事務所じゅうに響き渡る奇声をあげた少年の手から封筒を奪い取る。


「シャイネからじゃない。変な声出さないでよ」


 シャイネとゼロがこの街にやって来たのは、夏を迎える前だった。慌ただしく去っていったふたりのことは、今でもふとした時に話題に上る。どうしているだろうか、その後、少しでも進展はあっただろうか、ないに賭ける、それでは賭けにならない、等々。明るく瞬く金茶の眼が懐かしい。

 感慨をぶち破ったのは、傲慢かつのんきな声だ。


「何かあったのかな? 手紙なんてまどろっこしいことせずに、オレをべばいいのに。どこへでもすぐ飛んでくのにさぁ」

「行くなとは言わないけど、もうちょっと気位を高く持ちなさいよ」


 諌めるが、もじもじと身体をくねらせるイーラの耳には届いていないようだ。ため息をついて、封を切る。


「シャイネが、手紙ねぇ……?」


 何とはなしに引っかかりを感じながら、花の透かし模様の入った便箋を引っ張り出した。シャイネがこの便箋を、と考えると、どうにもむずがゆい。

 街を越えての輸送は高価で、ところによっては女神教の検閲が入る。旅に暮らし、多くの人と関わってきただろう彼女が手紙を送ってくるのは不思議ではないが、そうまでして知らせたいことがあるとは思えなかった。礼状ならばもっと早い時期に届いていただろう。

 それにシャイネなら、伝えたいことがあれば直接ここに来るような気がするのだ。距離や魔物といった困難を差し置いて。


「あの黒ずくめとケッコンすんのかもよ」


 イヒヒ、と歯を見せて笑うお目付役を拳でもって黙らせる。そんなのじゃない、と直感が告げていた。

 便箋には、お世辞にも上手とは言えない文字が連なっていた。文末と差出人の署名だけ、別人が書いたように流麗で整っている。


「何なの、これ」


 不自然すぎて、口が曲がった。イーラがどれどれと腕を組んで、肩越しに便箋を覗き込む。


「きたねー字。これ、ほんとにシャイネが書いたのか?」

「さあ。少なくとも、署名とは別でしょうね。どっちがシャイネなのかはわからないし、どうして別人が書いたのかもわからないけど」

「陰謀だ!」


 何が面白いのか、彼は大声をあげてひとりで笑っている。短い文面を声に出して読んだ。


「ミル、その後お変わりありませんか。皆様もお健やかでいらっしゃいますでしょうか。いろいろあったけど、メリアで一度落ち着くことにしました。メリアはご存知ですか? 神都の北、カヴェの南、見渡す限り小麦畑が広がっている、のどかな農業都市です。今年はもう収穫が終わり、畑の手入れを手伝いながら暮らしています。街はとても過ごしやすくて、素敵なところです。お仕事ご多忙のこととは存じますが、ぜひ一度遊びにおいでください。あなたの友人、シャイネ」


 ふん、鼻を鳴らした。つまらない手紙だ。これをあの子が書いたはずがない。


「陰謀よ!」

「オレが言った」


 手に手を取って、工房に向かった。半袖では肌寒い季節だが、作業場にはむっとする熱気がこもっている。ダグラスとマックスが作業の手を止めて汗を拭った。


「何かあったのか」


 ダグラスは敏い。それがときに疎ましく、先回りして優しさを与えようとする気遣いを、子ども扱いしないでと振り払いたくなる。それでも、彼は自分より十も年上で、弱いところも醜いところも全て受け止めてくれるだろうと無条件に甘えていた。ありていに言えば、心の支えなのだ。ミルがどれほど心強く思っているか、彼は知るまい。


「陰謀なのよ」


 兄弟の口がぽかんと開く。


「お茶にしない? シャイネから手紙が来たの」

「陰謀? シャイネが?」

「何の話だ」


 首を傾げながらも、いしの兄弟は素直に冶具を置いた。




 商談用の大きな卓に茶菓子と香り茶、それにシャイネの手紙を広げ、半精霊と精霊は一様に唸った。


「これのどこが陰謀なんだ? 不自然なのは認めるけど、これだけじゃ、何とも言えないだろ」


 マックスは渋い顔だ。いつも冷静で慎重だから、感情のままに突っ走り気味なミルやイーラ、ダグラスにとってはなくてはならない人で、苦労をかけているなあと思う。半精霊としての生き方の一例だし、頼れる兄であり、父でもある。言うと情けない顔をするから、黙っているけれど。


「だって、署名と手紙とでこんなに字が違うのよ? それに、あたしたちに『お健やか』とか『ご存知』とか言う? 『いろいろあった』って何よ。知らせるべきは麦畑の状態じゃなくて、シャイネの状態でしょうが」

「そうだな。シャイネの印象とは違うな、この文面」

「そうよ、あの子はもっと素朴で、小賢しさとは無縁だもん。こんな、お手本みたいなつまんない手紙を寄越すはずない!」

「書き言葉と話し言葉は違うだろ。いざ手紙を書くとなって、緊張したのかもしれん。高価そうな便箋だし」


 マックスが水を差す。もー、とミルは茶菓子の包みを乱暴に破った。甘い香りの粉がぱらぱらと膝に落ちる。


「緊張するくらいなら、手紙なんか最初から出さなきゃいいのよ。だいたい、ゼロのことが何も書いてないなんておかしいじゃない。くっついたのか! 別れたのか!」

「じゃあ、オレ、見てくるよ。ここでどうこう言ってるより、見てきたほうが確実だしさ。な、ミル、いいだろ」


 シャイネとゼロが気がかりというよりも、彼自身の好奇心を満たすためなのは明らかだったが、事情を知りたいのはみな同じだ。

 イーラならば時間と金をかけて大陸横断の旅をせずとも、あちら側を通ればすぐだ。メリアがどれほどの規模の街なのかは知らないが、精霊の気配を追えばシャイネはじきに見つかるだろう。


「そうね、行ってきて。でも、寄り道は厳禁。シャイネを見つけても、余計なことは喋っちゃだめ」

「挨拶も?」

「挨拶は余計じゃない。『久しぶり、シャイネ!』、それだけでおしまい」

「その方が不自然だろー」


 唇を尖らせるイーラを睨みつけた。


「じゃあ見つかんないように行って、帰ってくればいいじゃない。ほら、行った行った!」


 難しいこと言うなよ、とぶうたれながら、彼はするりと姿を消した。

 手紙の通り、シャイネがメリアで新しい生活を始めていたなら、それはそれで結構なことだ。毎日働きづめで誰も「背骨」より西に行ったことがないから、気分転換に旅行するのもいいかもしれない。

 けれど、もし、メリアに彼女がいなかったら?


「あ、手紙全部が暗号になってるとか! 解読すると『タスケテ』ってなるの!」

「どうだろうな。手紙が本物で、シャイネがこの通りのんびり落ち着いてるなら、まあいい。問題は手紙が偽物だって場合だ。手紙が暗号だった場合も、一応偽物だと考えよう」


 マックスが遠くを見つめて考えながら喋るのに、ミルとダグラスは黙って頷く。


「偽物だとすると、この手紙が何を求めているか、なぜ俺たちのところに届けられたか、誰がシャイネを騙ったかってことを考えなきゃならない。ついでに、本物のシャイネの安否も」

「そうね。うん、そうだわ」


 そのどれにも心当たりがないから、こんなに悩んでいるのだ。


「女神教関連ってことはないか? モルドヴァからこっちに戻ってきてないってことは、街道沿いに西へ向かったんだろ。ゼロが滅びの生き残りだって確かめに行く途中で、神都で厄介ごとに巻き込まれたとか」


 神都は女神教発祥の地で、いとし子と呼ばれる最高指導者が統治している。半精霊であるシャイネが好んで足を向ける場所ではないが、街道を旅しているなら一夜の宿を求めることはあろう。

 東西街道に魔物が増えていると風の噂で聞こえてくるし、不安は増すばかりだった。


「それにしても、どうしてメリアなんだろ」


 メリアは神都の北にある中規模の都市だ。土地が豊かで、手紙にもあったとおり農業が盛んだが、マジェスタットともミルたちともこれといった縁はない。


「何かあるのか、メリアに?」

「さあ? でも、シャイネはあたし達がずっとマジェスタットで暮らしてるって知ってるのよ。急にメリアに来いなんて、おかしいじゃない。モルドヴァとかならともかく、『背骨』の向こうなんて、気軽に行ける場所じゃないのに」

「露骨に不自然な手紙を演出して、手紙が偽物だっていうことを伝える。つまりメリアには行くなってことか?」


 とりとめなく思いつきを語るも、どれもぴんと来ない。

 あの手紙はシャイネが書いた、あるいは書かされたのだろうか。それとも別人が書いたものだろうか。どちらにしても、文面と署名で筆跡が違うのは不自然だ。もし、誰かに脅されて手紙を書かされたのだとして、これだけ作為的なものを脅迫者がそのままにしておくだろうか。

 シャイネ。危険な目に遭っていないといいのだが。語り合った時間はほんの少しであっても、それは友人としての繋がりの強さを否定するものではない。交わした言葉や笑顔の重みは同じだ。


「そもそも、ゼロは何をしてるのよ。シャイネが危ない目に遭わないようにするのが役目でしょ」

「別行動してるのかもしれない」


 そうだろうか。可能性を口にしたマックスでさえ、それを信じてはいないようだった。大勢で行動しているならばともかく、ふたりきりの道中だ。少々のことでは相棒を変えないはずだし、愛だの恋だのとは別にしての良い関係を築いているふうに見えた。彼女がゼロのことを話すとき、どれだけ優しい眼をしていたか、ミルはちゃんと覚えている。


「喧嘩してるだけなら、別にいいんだけど……いや、よくないか」


 沈黙が降りる。茶はすでに冷めて、香りもない。


「ただいまー」


 沈黙を破ったのは、表の扉が開く音だ。イーラが帰ってきた。出て行くときは急に消えるくせに、帰りはきちんと表玄関から戻ってくる妙な律儀さを、誰もが好ましく思っている。


「メリアにはシャイネもゼロもいなかった。代わりに、完全武装の青服がわんさかいた。石を投げれば青服に当たるってくらい。陰謀だよ、ミル。行っちゃだめだ」

「陰謀ねぇ」


 では、シャイネを騙った手紙の差出人は、何のためにミルをメリアに呼んだのだろう。青服たちに捕らえさせるため? わざわざメリアまで行かずとも、マジェスタットにだって青服はいる。捕まるのも時間の問題だとでも?


「なあ、どうしてゼロがいないってわかったんだ」

「そういえば、そうね」


 何気ないマックスの問いに、イーラはえ、と口を半開きにして動きを止めた。シャイネを精霊の気配で辿ることはできても、人の子であるゼロを探すことは難しいはずだ。

 彼は強張った笑みを浮かべているが、まずった、と幼い顔に書いてある。


「え、何でって、えーと、うーんと、そうだ、エニィがいなかったからだよ。エニィがいなけりゃゼロもいない。だろ?」

「うんうん、そうかもしれないな。じゃ、ここに座れ、イーラ」


 ダグラスが椅子を引き、イーラは額に汗を浮かべて浅くかけた。手を膝に置いて背を丸めている。誰かが顔を覗き込もうものなら、ふいと視線を逸らす。


「じっくり聞かせてもらおうじゃないの。ゼロが何だっていうの」

「別に、隠してたわけじゃないよ。本人も忘れてるんだから、オレが言うのはおかしいだろって、気を利かせて……」

「イーラ?」


 マックスの低い声が言い訳を遮る。観念したように、少年の容貌を借りた精霊は口を尖らせた。知らないからね、と。


「あいつは、本当はいとし子の片割れなんだよ。それでもって、女神の力を受け継いでるんだ。神都二家って知ってる? 神都を牛耳ってる王様みたいな連中。そこの坊ちゃんでさ、いとし子はふつうの人間じゃないから、精霊の気配を追うみたいにしてあいつのこともわかるってわけで」

「……なんですって?」


 ミルだけでなく、ダグラスもマックスも腰を浮かせた。ゼロが女神教の関係者? 女神教の司祭から逃げていたではないか。


「女神の力って、何だよ」

「ゼロは精霊使いなんだよ。女神がオレたち精霊を使役して、この世を創った。その力を授かってる。知らなかっただろ」

「なにそれ! 知らなかったわよ! っていうか、女神が精霊をって、どういう意味?」


 女神が精霊使いだとか、ゼロがその力を持っているとか、にわかに信じられる話ではない。問い質したいことは山ほどあるが、気づけば椅子を蹴って立ち上がっていた。


「あたし、メリアに行くわ。シャイネに会わなきゃ。もし危ない目に遭ってるなら、助けないと」

「危険すぎる。まだ何もわかっちゃいないんだぞ。それに、メリアに乗り込んでいって、どうするつもりだ」

「どうもこうもないわ! いま動かなきゃ、間に合わないかもしれないじゃない!」


 ゼロが女神教に連なる存在だなんて。それを知らされたときのシャイネの気持ちを思うと、何もかも燃やし尽くしたいほど凶暴な気分になる。

 手紙の謎は何ひとつ解けていないけれども、彼女の身に危険が迫っている。厄介かつややこしい状況であることもわかる。それだけで十分だ。

 友人を、シャイネを助けなければ。早く会って、あの細い身体をぎゅっと抱きしめてあげたかった。

 言い出したら聞かない頑固さを、ダグラスもマックスも承知していた。生まれたときから面倒を見てくれていた兄弟は、リトリの次にミルのことをよく知っている。ため息をついたのはふたり同時だ。


「じゃあ、俺も行く」

「……陰謀だって言ってるのに。仕事はどうするのさ?」


 気のないイーラの言葉では、もう誰も止められない。

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