暗雲 (2)

 夢に落ちた。

 双子の兄弟で、見た目はそっくり。気が合って、いつも一緒にいた。それが当然なのだと疑いもしなかった。

 兄弟はそれぞれ恋をする。好きな色も好きな本も好きな服も同じだったのに、不思議と違う相手を好きになり、それは良かった、争わずに済むと笑って打ち明け話を終えた。

 入れ替わりのいたずらは、双子の常であった。悪気はなく、本気で怒られたこともなかったので、双子は恋人に対しても同じいたずらを仕掛けた。

 結果、兄の恋人は入れ替わりに気づき、弟の恋人は入れ替わりに気づかなかった。そこから、双子の心は徐々に離れてゆく。

 弟は恋人に手を上げ、兄の悪い噂を吹聴しはじめる。兄とその恋人が説得しようと呼び出した公園に、弟はナイフを持ってゆき――

 シャイネは夢を離れた。急激に覚醒するのは、溺れているさなかに丸太を掴めたほどの安堵感がある。大きく息をついて弾む心臓をなだめ、上掛けを出て水を飲んだ。視線を感じて首を巡らせる。


「……起きてたの」


 ゼロが床に腰を下ろしたまま、浅く頷く。背にした寝台に乱れはなく、まだ横にもなっていないらしい。けっこうな夜更けだが、と訝しむ。


「夢を見たのか」

「うん」


 はぐらかされたのはわかったが、問い詰める言葉はぬるい水とともに喉を滑り落ちていった。こんな時間までいったい何をしていたものか、芯を絞った灯りが傍らにあるきりで、薬草を触っていたのでも、夜遊びに行ったふうでもない。


「うまく夢を抜け出せるようになったんだな。前みたいにうなされてなかった」

「ん、だいぶ掴めてきた。……うるさかった?」


 いや、と短く応じ、彼は灯りを消した。窓を覆う吊り布越しにほの青く夜が光り、暗い部屋に輪郭が溶ける。精霊の眼はすぐに暗さに慣れた。

 灯りを消しても、ゼロが寝支度をする気配はない。身じろぎもせずにこちらを……恐らくは光る眼を見ている。一歩、二歩、表情のない漆黒に吸い寄せられた。


「眠れないの?」

「寝かたを忘れた」

「困ったねえ」


 隣に腰を下ろすと、譲歩と逡巡を感じさせるぎこちなさでゼロが身を縮めた。どうして何も言わずにここまで自分を追い込むのか、と腹立たしく思う。困っているなら、悩んでいるなら、打ち明けてほしい。話を聞くくらいしかできずとも、力になりたい。

 必要とされていると自分を満足させるための連帯感であることは否定しない。彼が話したくないと言うならそれでもいい。


「……眠るまで手を握っててあげようか」


 また逃げ腰になるのを、腕を掴んで強引に引き留めた。冷え切った指先を両手で包んで温める。こんなに冷たい手では眠れないのも納得だ。

 ゼロはといえば、怯えすら浮かべていた。薄くくまの浮いた目が猛烈な勢いであさっての方を向くのにむっとする。僕がいったい何をしたっていうんだ。黙って一人で片をつけるのが格好いいとでも勘違いしているのか。秘密を抱えているなら、そうとわからぬよう徹底してくれればいいのに、中途半端に黙るからこうしてびくびくする羽目になる。


「べつに、何もしないよ」


 なぜ僕がこんな申し開きをしなきゃなんないんだ、と腹立たしく思いながら、ゼロを寝台へ押しやる。上掛けを広げると、彼は素直に横になった。


「全部終わったら、なにを秘密にしてるか教えてくれる?」

「……終わってからな」

「つまり、僕に言えないことがあると」

「いつの間にそんな知恵をつけたんだ」


 本気で驚いている。失礼すぎやしないか。


「精霊の力で人を眠らせることなんてできるのか」

「わざわざ精霊を召ばなくたって、何かぶつけたら寝るだろ。絞め落とすとかでもいいし」

「いいわけあるか、相変わらず考え方が野蛮だな」

「じゃあさっさと目を瞑る!」


 おっかねえ、とぶつくさ言いながらも、ゼロは素直に目を閉じた。寝台に投げ出された手を取ると、先ほどよりは体温が戻っていたのでほっとする。


「何かお話してくれ」

「お話ぃ? って、どんな」

「何でもいい。寝たいから、退屈なやつ。お説教くさいのとか」


 それもまた失礼な話ではないか、と頭を捻るが、これといって思いつかない。仕方がないので、故郷の鶏料理について話すことにした。これだとけっこう長い。それでも寝ないようなら川魚の捌き方にしよう。


「僕の故郷では、鶏を丸ごと焼いたやつがご馳走なんだ。お腹に木の実とか香味野菜とかお米とか、ぎっしり詰めてね、じーっくり焼くんだけど。だから、ご馳走を作りますよって決まったら、みんなそわそわするわけ。いちばん肥えてて、美味しそうなのはどれかなって吟味してさ。捕まえて絞めるところからもうお祭りって感じで、子どもたちが羽をわしゃーってむしって。……あれ、ゼロ? 寝ちゃった? 早すぎない?」


 声をかけても反応はない。さっき、握った手がぴくぴくしていたから、本当に眠ってしまったのだろう。

 納得がいかないが、眠れたのならまあいい。シャイネはもう一度水を飲んで、自分の寝台に潜り込む。



 ナルナティア一行が戻り、出発の日が迫っても、ゼロの表情は晴れず、しかし傭兵たちはなにも言わなかった。緊張ととったのか、気紛れと突き放されているのか。

 魔物の集まる西への旅とあって、準備は入念に行った。モルドヴァからの旅とは違い、荷車はなく生活用品の管理係もいないため、分担して持ち運ばねばならない。旅人にとって当然のことではあるが、久しぶりに荷物の山を見ていると、カッツ商店の配慮がしみじみ有り難く思えるのだった。

 街道から魔物たちが減ったとは聞かない。隊商や旅人はよほどの事情がない限り東に迂回して北を目指し、狩人たちの多くも東へ向かうとのことだった。

 精霊の王たちに牽制された魔物たちがどう動くか、まったく予測がつかず、だとすれば最大限の備えをもって進まねばならない。

 消毒用の酒、包帯、化膿止めの軟膏、毒消し草などの薬品類を買い集める。保存食、調理用品、灯り油、砥石、晒し布。着替えに油紙、雨具。膨れ上がる荷物を小分けにして雑嚢におさめてゆく。


「本当に行くのかい」

「ここまで来て退けない」


 出発前夜、ヴァルツの物憂げな問いかけをぴしゃりと遮り、ゼロは薬の調製のための道具を梱包している。ひとつひとつ厳重に、紙で包んで布を噛ませているのはこれまでにも目にしたけれども、今回に限ってはどうしてか、もうこの包みを開くことはないのだという意思表示に思えて、胃が重くなった。


「止めても聞かないのは知ってる。くれぐれも気をつけて。神都は私たちの力の及ばない場所だから」

「そんなところがあるの」

「精霊を容れようとしないし、そもそもがあの呪卵で拓かれた土地だ。私たちとは相性が悪いんだよ」


 ヴァルツの声は諦めを含んでいっそ軽い。神都が造られたのははるか昔で、女神教の歴史も同じほど古い。そんな頃から呪卵が使われ、精霊や魔物が殺され、敵と見なされてきたのだ。歴史を遡ると目眩を覚える。


「ディーやエニィは大丈夫かな」

「死にはしないが……きみだって大丈夫ではないと思う。気を強く持つんだ。精霊に愛された存在だとね。押し負けちゃいけない。つらく思うことがあったとしても、気のせいだ。きみの何が損なわれるわけではない」

「うん」


 王の輝く翠のまなざしはまっすぐで強く、有り難く思うと同時に、こんなに言われるほど神都は酷いところなのだろうかと不安がいや増した。

 ゼロが何も言わなかったので、シャイネも何も言わず、ヴァルツをぎゅっと抱きしめるだけにしておいた。

 陽が昇りきらないうちに傭兵たちと待ち合わせ、出発する。街を発つ者は足早に東へと去り、西へ向かう人影はない。キースがやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。

 魔物と頻繁に遭遇するならと、荷馬を一頭連れているだけの徒歩の旅路だった。背中から照る太陽はまだ朝だというのに凶暴で、シャイネは首筋に軽い織物を巻いた。やはりこの気候には慣れない。


『いるな。高いとこだ』


 高い雲の合間に鳥型を見つけたのは、ディーが最初だった。思わず呻く。


「どうした」


 指を追って見上げたゼロも呻いた。またか、と思っているのがわかる。傭兵たちも次々に空を仰いでは嘆息した。


「でも、たぶん襲ってこないんじゃないかな」


 魔物たちの狙いは女神の子、そして神都。シャイネと精霊たちがゼロの傍らにあるうちは、魔物たちは手出しを控えるのではと思えた。

 精霊の力が及ばない神都で、一網打尽にする。気持ちのいい想像ではなかったが、自分ならそうする。それだけの牽制を、母もヴァルツもしてくれたはずだ。


「油断はするな。行こう」


 ナルナティアの声は固いが、過度の緊張はなかった。一行は歩みを再開する。

 昼を過ぎても、積極的な襲撃はなかった。魔物はぱらぱらと姿を現したが、さほど大きくないものばかりで、その程度ではこちらの相手ではない。


『……やな感じ』


 ディーが吐き捨てる。かれの話によると、シャイネの父スイレンは、あちこちを流れていたときも神都方面には頑として足を向けようとしなかったのだそうだ。精霊を敵視する女神教のお膝元に、好んで精霊封じの刺突剣を持ち込むことはなかろうと。


『オレがどうこうじゃなくてさ、もともと反りが合わなかったんだろ。そんな気がする』

「なんか、ごめんね。ディーとエニィがどうなるかわかんないし。しんどくったって僕には何もできない」

『だからさー、森の王も言ってただろ。あんたはまずあんたの身のことを考えろって。あんたに何かあったら、レンさんが悲しむだろ』


 毎回同じことを言われている、と笑うと、かれは『だっていつも危ない目に遭う』と膨れる。事実なので言い返せない。


『別にさ、オレはね、どうなったっていいんだ。たださ、アイツが何を考えてるのかさっぱりわかんないのは感じ悪いと思うんだよ。神都のことを知ってるなら、教えてくれたっていいだろ? 何に気をつけるとか、どうすればいいとか、神都でアイツはどんな立場だったのか、とかさ。何でこの期に及んで黙るんだよ、何か企んでますって言ってるのと同じだろ』

『やめてってば、ディーくん、ごしゅじんはちゃんとかんがえてるって! ひめさまをあぶないめにあわせるわけないだろ』


 ディーがぼやき、エニィがゼロを擁護する。その繰り返しだった。当のゼロは黙ったままで、だからシャイネも追求できないでいる。

 何かが噛み合わない、と思う。シャイネとゼロがあまり話さずにいることを、ナルナティアたちも気づいていただろうが、最初の宿場町で「何かあったの、あいつと?」「これといって別に」と短くやりとりを交わしたのみだ。

 こんなのじゃなくて、もっと。

 もどかしさが食い違って、ちっとも滑らかに回らない。潤滑油が何なのかも、どこにあるのかもわからぬまま、一行は旅程を消化し、神都の門を潜った。

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