アーレクス (2)

 読み進めていくと、筆者は学問の都が派遣した調査団の一員で、記録係として同行していることがわかった。ク・メルドル入りは滅びの一月後。調査団が得た数々の情報に加え彼個人の雑感が別紙に残されている。記録の方は製版を見据えていたのかあらかた清書されており、読み進めるのに支障はなかった。雑感の方はと言えば、走り書き程度だったが。

 ク・メルドルの地図に、細かく被害状況が書き込まれている。ページの隅の走り書きに、ゼロは目を留めた。


『火災の痕跡なし』


 なるほど、と思いながら雑記をめくると、箇条書きで記されていた。


『火薬を用いると、その効果範囲はおおむね、爆発地点を中心とする円内におさまる。中心から離れるほどに爆風の威力は弱まる(二次的な影響を除いて)ことから、中心点の特定は容易だが、ク・メルドルの場合、中心が存在しない。また、街の全長を直径とする円を描いた場合、東の森の一部もこれに含まれるが、森には滅びの影響が見られなかった』

『貧民街の木造家屋はひしゃげ、捻じ曲がり、木材の山と変わり果てていた。市街地や城も、まるで木か砂でできていたかのごとき有様だった』

『竜巻や嵐ではないかと意見を挟む余地もないほど、街は整然と、かつ完璧に破壊されていた』

『いかなる力をもってすればここまでの破壊が可能なのだろう。想像もつかない。まさに、人知を超えたとしか表現できない』


 記録には絵図もあった。瓦礫の山だ。その後、完膚なきまでに破壊しつくされた街の様子、天候や海の様子と対象が移り変わるが、筆者が次第に憔悴してゆくのがよくわかった。

 街は瓦礫と化し、物言わぬ数多の骸が散らばっている。季節柄、腐敗も進んでいたことだろう。それは圧倒的かつ徹底的な死の光景だ。

 理不尽な破壊の痕跡を前に、進展を見せない調査。滅びの原因を究明すべく選出された各方面の学者たちは、次々に心身の不調を訴え始める。ほどなく、結論は出ぬままに調査団は都に帰還した。


『続いて、いくつか持ち帰ることのできた事実を過去の災害と比較する作業が始まった。またもや心労で倒れる者が続出する中で、過去のとある事例が注目されることとなった』


 そして、石卵という単語が登場する。ごくりと唾を飲んだ音が、静かな館内にやけに大きく響いた。


『女神の遺産たる石卵が、炎や爆風に依らず広範囲に大規模な破壊をもたらしたとの記録が残されていた。以下転記である』

『――稲光と見紛う青白い光が見えたかと思うと、人のものとも思えぬ不可視の気配が現れた。それが近づくと、魔物も人間も、みな糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 気配は見る間に巨大化し、恐るべき速さで周囲の魔物を、人間たちを屍に変え、やがて忽然と消えた。呆然と立ち尽くす私の前には、無だけが残った。

 何を恐れることがあろうか。この石卵さえあれば、魔物も精霊も人間も、みな塵同然。

 見渡す限りの地平は明るく、美しかった。

 私はこの地に都を築こう。神の都と名づけ、女神の威光を広めるのだ』

『筆者はアースラ・ウォレンハイド氏。神都の創設者であり、女神教の開祖でもあるアースラ氏は石卵を用いて土地を拓き、魔物を滅ぼしたと記している。石卵とは何なのか、シン・レスタール神殿大司教猊下に話を伺うが、要領を得ない。

 ただ、石卵の使用には条件等があり、近年使用された例はないとのこと。しかし、当時のク・メルドルにはウォレンハイド本家の嫡子らが移住していたと記録が残っている。長子アレクシア、次子アーレクス各氏、どちらも生死不明である。

 神都二家として女神教首座「いとし子」を多く輩出したウォレンハイド家であるからして、女神教の秘宝たる石卵を所持していても不思議ではない』


 突然、知った名が出てきて驚く。物語を読むがごとく、どこか遠かった気持ちが冷や汗とともに吹き飛んだ。これは、現実の話なのだ。本当に起きた出来事なのだ。

 それに、石卵。

 カヴェで手に入れたあれに違いなかった。ク・メルドルを滅ぼしたものとゼロが持っているものが同一なのかはさておき、生き残りである自分が、滅びを為した元凶を所持しているのは偶然などではない気がした。どういうことだとヴァルツを問い詰めたいが、満足な答えが返ってくるとも思えない。

 彼女は石卵のことを知っていた。これがク・メルドルを滅ぼしたことも知っていただろう。カヴェで卵を手の正体を問うた時、そう言わずにいたのは、ゼロが石卵、滅びに深く関わっていたからだ。

 ではどうして、ヴァルツはゼロの――アーレクスの過去を教えてくれなかったのだろう。何も覚えていないゼロに付き合って、これまで無為に過ごしたのだろう。人の世に深く干渉しないという、いつものやつか。掌の上で踊らされていたようで、面白くない。

 わからないことが多すぎる。けれども原因は、すべて自分だ。ゼロ・アレックスとアーレクス・ウォレンハイドが鍵なのだ。


『神都神殿からの回答では、石卵の存在については認めるも、女神の遺産とのことで詳細は明かされなかった。かつ、ク・メルドルの滅びと石卵との関与も否定した』


 しかし、と筆者は続ける。確信に満ちた筆致で、力強く綴られていた。


『否定したことこそ、石卵の何たるかを承知している証しである。石卵がどういったものであるか、どのような効果をもたらすか。

 推測に過ぎないが、唯一無二の破壊をもたらす石卵であるから、破壊された現場を見れば、その破壊が石卵によるものだとすぐに判断できよう。石卵を管理・保管しているのは女神教、つまり破壊は女神教の意思でなされることになる。仮にク・メルドルが石卵によって滅びたとすれば、女神教首座アンバー氏には何故ク・メルドルが破壊されたのかを説明する義務があろう。それが法や理に背くことであれば、アンバー氏は裁かれねばならない。

 そして、世論は一方的な破壊に必ずや非難の目を向けるだろう。女神教は、そういった理由から石卵の存在と詳細を隠蔽するのではないか。

 もとより、天災でなく石卵が原因であると確定した時点で、滅びたのではなく、かつて例を見ぬ虐殺があったのだと史実を書き換える必要がある。

 街全体を破壊し、全住人の命を奪い去るもやむなしと判断される理由は何なのだろうか。

 ただし、石卵が使用されたと明らかなアースラ氏の場合も、石卵の破壊はほぼ円形の範囲にもたらされた。ク・メルドルのような帯状ではない。それとも石卵は使用者の望むままに破壊をもたらすのだろうか。或いは、何らかの力(同種の力であるとも考えられるし、まったく別種のものだとも考えられる)が干渉したのだろうか。

 石卵を持つ女神教は、密やかに、そして確実に、この世界すべてを掌握しているわけである。最低最悪にして、最強の暴力によって』


 ゼロは紙束を書架に戻し、しゃがみこんだ姿勢のままきつく目を閉じた。

 ク・メルドルの東の森で、ゼロの記憶は始まる。あの森にはヴァルツがいた。それに、騎士であった昔の自分は、精霊封じの剣を持っていた。

 精霊に親しむ国。ウォレンハイド一家の存在。女神教。石卵。唯一の生き残りである自分。

 これだけ手札を揃えても、過去を形作るには至らない。まだ足りないのか。何が足りないのだ。


「……ゼロ? どうしたの、気分でも悪いの?」


 シャイネの声がやさしく耳を撫でるまでずっと、ゼロは書架の前で蹲っていた。



 とうに昼時は過ぎていたらしい。昨日と同じく、売店で弁当を求めて芝生に腰を下ろした。

 シャイネはしきりと体調を心配してくれたが、何でもないのだと言うしかない。肉体的な不調ではないし、こんなに不愉快でも体は空腹を訴えている。どう答えてよいものやらわからなかった。

 水を向けてやると、やはりと言うべきか、シャイネの調べ物は捗ってはいないようだ。精霊の王を片親に持つ彼女でさえつい最近知ったことを、書物に著している者はなかった。


「それなりに期待してたのに、ひどいもんだよ。日記みたいなのばっかりでさ。それか、『幻の精霊に出会った!』みたいな、胡散臭いの」

「胡散臭いのか? イーラみたいなのと知り合うことだってあるだろ。おれだってヴァルツに助けられたんだし」

「僕の知る限り、ゼロは例外中の例外。こんなに精霊や半精霊の知り合いが多い人なんて、いないよ」


 シャイネは断言した。そういえば、炎の精霊イーラとて、半精霊ミルのお守り役だ。こちらで実体を持てるほど力ある精霊が、用もなしにぶらつき、有象無象に正体を明かすことなどないのだろう。


「あとは、『土地が豊かな地域には精霊がたくさんいて、痩せた土地には精霊が少ない』とか、そんなの」


 意外に、真面目に本を読んでいたらしい。彼女は一通りの読み書きはできるが、あまり得意ではないといつも口にしている。薬草便覧を気紛れに眺めていても、静かだな、えらく熱心だなと振り向いたら寝ていたなど、ざらである。

 本の体裁をとっていない大量の紙束を読み進めるのは苦痛だっただろうに。いいやつだな、としみじみ思う。


「精霊の分布に差があるってことか?」

「うーん、そんなことはないと思うんだけど。たとえばさ、今ここに水がどのくらいいて、風がどのくらいいて、って多い少ないで感じるわけじゃないんだよね。漠然とこう……たくさんいる中から、呼びかける感じで」


 首を捻りながら話す内容は実感できることではなく、シャイネも言葉にしづらそうだ。感覚的な話なのであれば、想像するしかない。


「目を凝らすみたいに?」

「あ、いいね、それ。うん、そういうの。目を凝らすみたいに、耳を澄ますみたいに」


 晴れやかな笑みと流れる言葉につられて頷いたものの、理解できたわけではない。

 シャイネが見て、聞いて、感じる世界は、ゼロが捉えているよりもずっとずっと深く、色鮮やかで豊かなものである気がする。羨ましいとは思わないが、一度はその彩りを見てみたかった。


「目を凝らすように、耳を澄ますように……か」


 包装紙で切れた指先を舐めながら呟くと、ちぐはぐな大学府の情景が心なしか透明感を増し、陰影が鮮やかになった気がした。

 彼女の輝く金茶には、この何でもない光景が眩しく充実して映っているのだろう。そうして世界を見るために輝く眼を持っているのかもしれない。

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