輝ける日々 (2)

「へ」


 間抜けな声が漏れた。声はさりげなかったのに、そう言ったゼロは毒消しの葉を噛んでいる時の苦い表情で、平静とはほど遠い。

 暗がりで迫ってきたくせに、気があるふうなことを言っていたくせに、どうして急に突き放されるのかわからず、何も言えなくなる。

 期限を切って同道しているのではないから、今後も彼と行動を共にするのだと漠然と思っていた。それは裏を返せば、いつ終わるともしれない間柄であるのだが、終わりを想像することを避けていたのかもしれない。

 細かな言い合いやすれ違い、意見の不一致は数限りなくあったが、ゼロとの旅路はおおむね良いものだった。男装をとやかく言われることもなく、半精霊だからと避けられることもない。踏み込まない代わりに踏み込まれない、安心できる距離を保ってくれていた。つまり彼も同じように思っていたはずなのだ。得がたい旅の連れ、相棒であると。

 いつもなら、じゃあここまでだねと言って席を立っただろう。けれども今ばかりは、自分から彼との関係を絶つことに抵抗を覚える。

 未練か。彼との旅路が快適だったからか。明言できずに腹に溜まる言葉はふつふつと煮える鍋に似ている。覗き込むだけで火傷しそうで、距離をおいて顔を背けた。


「……別に、あんたのことが嫌だとかそういうわけじゃない」

「じゃあ、なんで」


 ものすごく低い声が出て、ゼロが体を引いた。不機嫌なのは本当だし、怒ってもいるから言い直しはしないが、彼も動揺していることはいくぶんか慰めになった。


「あんたの目的は一応達成されたわけだろ。親父さんのこと。さっき言ったみたいにおれは西へ行くけど、あんたがおれと西に行かなきゃならない理由はない」

「まあ、そうだね」


 シャイネはハリスを探すために、ゼロは折れた剣を修理するために。カヴェからマジェスタットまで同道したのは、目的地が同じだったからだ。それ以上でもそれ以下でもなかったが、今はどうなのだと尋ねたい。


(つまり、僕はゼロに頭を下げてほしいってこと?)


 一緒に来てくれ、と。彼が頭を下げれば、自分は満足するのだろうか。しばし考え、違うなあ、と結論する。そうではない。


「僕にとっては、これまでの道中はけっこう快適だったんだよ。気を遣わないでいいし、いっぱい助けてもらったし、ヴァルツだっていてくれたし。ゼロもおんなじだって思ってたんだけど、違ったのなら残念だ」


 冬空の眼に光が射した。視線はすぐに卓に落ちる。


「違わない。おれだってずいぶん助けてもらった。長距離を旅したのは初めてだけど、一緒にいたのがあんたで良かったと思ってる」

「なら良かった」


 自然に笑えた。作為はない、と思う。頭を下げさせるとか、こちらが折れるとか、そんなことよりも先に、伝えておくべき言葉を伝えられて良かった。


「だからね、ゼロが嫌でなければ、僕も一緒に行く」

「へ」


 今度はゼロが間抜けな声を出す番だった。気のせいでなければ頬が赤く、いつもの冷静さや無関心はどこにも見当たらなかった。うぶい少年でもないくせに、何を狼狽えているのだか、とどんどん肝が据わってゆく。


「だって、今すぐにマジェスタットに戻るわけにはいかないし、ここには見て面白いものもあんまりないみたいだし。南はこれからの季節は避けたいし、じゃあ西に行くのもいいんじゃないかなって。僕がいれば、護衛一人分でもお金が浮くよ。悪くないと思うけどな」

「一緒に来てもらえるのはありがたいと思うよ。金銭的にも、戦力って意味でも。でも、本当にいいのか。おれの個人的な理由に付き合わせるだけになるし、あんたには何の利益も実りもない。危険なだけの旅路になるかもしれない。それに……もし何かのきっかけで記憶が戻って、昔のおれがどんなだったか、あんたに知られるのも怖い」

「ク・メルドルを滅ぼしたかもしれないって? それはないと思うけど……あっ」


 大声に、従業員たちの視線が刺さる。何でもないんです、と全方向に会釈をしてから声を落とした。


「僕が西に行く理由が必要だって言うなら、あの石の卵はどう。学問の都には大きな図書館があるんでしょ。そこで調べれば、何かわかるんじゃない。あれをゼロに押しつけたままにするのは良くないかなって!」

「いや……まあ、それもそうだけど。よく思い出したな。おれもすっかり忘れてたのに」

「割れてたりひよこが孵ったり、してない?」

「残念ながらな」


 レイノルドが欲し、ヴァルツでさえ言葉を濁す女神教の秘宝の詳細が公共の施設で判明するとも思えないが、口実にするにはうってつけだった。


「じゃあ、そういうことにしておくか。これからもよろしくな」

「うん。そういえば、おいしいものを食べて飲んでっていうのもあったような」


 そんな気もするなあ、とのんびりした口調のゼロはもうすっかり元通りで、これは貸しにしてもいいのではと思う。お酒のお代わりを一回足しておくべきだろう。


「じゃあ、ゼロのことが全部終わったらね。それまでお代わり分もちゃんと数えておくから。でさ、西に行くのって、やっぱり調べ物?」

「そう。ク・メルドルのこと、ちゃんと向き合ってみようかと思って。図書館にはあらゆる知識が集められてるって話だからさ。おれの知らないこともあるだろうし。それで記憶が戻るかどうかはわからないけど、だめならそのまま西に行って、一度街を見てみるつもりだ。その後はまあ、なるようになれ、だな。調べてだめならどうしようもない。取り立てて思い出さなくてもいいってことなんだろ」


 そう、と頷いて、お茶を飲む。まさに、なるようになれ、だ。人生設計をきちんと立てている旅人などそう多くはない。シャイネだってそうだ。その代わり、あてなく放浪していた者が目的を見つけて堅気に戻ることも稀ではない。


「あとで傭兵組合の方も行ってみようよ。様子見るだけでも。話が聞けるならもっといいし」


 ふたりで踏破できる道程なら、ふたりで何とかしたい。訳ありであることに変わりはなく、多人数での行動は避けたかった。「背骨」も越えられたし、どうにかなるまいか、と思っての言葉だったが、ゼロは眉間に皺を刻んで、あのさ、と重々しく切り出した。


「男装を解くのはだめか」


 いつか問われることだろうとは思っていたが、考えるのを先延ばしにしてきた。だから、いざその時を迎えても咄嗟に答えられないのは当然なのだが、遠慮がちにしている彼を前にしても、己の内面を深く掘り下げることはできなかった。

 自衛のための男装のはずだった。一人旅の女性は目立つ。輝く眼も目立つ。ごまかせるのは性別の方だったから、男物の衣服を着て、言葉も仕草もできる限り真似た。ゼロと組んでからも、シャイネと呼ばれれば返事はするけれども、気持ちの上ではずっと「シャイン」だ。

 身近に守ってくれる者のない孤独な旅路を見越して、キムは男装を勧めてくれたのだろうし、実際に多くの不利をいくぶんかましにしてくれた。田舎の出であるとか、年少であるとか、補いようのない部分で侮られることはあれど、これだけで済んだと自分を慰めることはできたし、決定的に危険な目に遭うこともなかった。

 自衛のためなのであれば、孤独な旅路でなくなれば、男装を解いても問題はないはずだ。性別を偽らなければ眼が光ることにさえ気をつければよいから、隊商に紛れるにせよ、護衛を雇うにせよ、西への行程の選択肢が広がる。ゼロはそう言いたいのだろうし、正論であると思う。旅の安全を優先するなら、かたくなさを捨てて柔軟に対応すべきなのだ。

 身の安全か、秘密か。考えるまでもなく、身の安全を選ぶべきだというのはわかる。わかるが、今までずっと隠してきたものをつまびらかにするのには抵抗があった。

 男性を装うことで、シャイネが守っているものは何なのだろう。

 身の安全やキムの助言といった建前を取り去った奥底には何があるのだろう。

 男装でなくとも短髪に旅装なのだから、見た目が大きく変わるわけではない。ゼロの後ろに立ち、守られ、庇われて、この前の夜の続きをと求められたら、自分は頷くだろうか。彼の眼に浮かぶだろう精霊の金茶を――。


「ごめん。それはだめ」

「そうか」


 拒否の言葉は、うちを見つめる思考をも中断させたが、それ以上は進めなかった。ゼロの答えは平坦なもので、残念がっているふうにも、厄介に思っているようでもなかったのが救いだ。


「じゃ、組合に寄ってから飯にしようか」

「うん。あの……ごめんね、僕の勝手で」

「気にするな」


 宿城の主には通りを北にと言われたが、四つ辻からもそれらしき建物は見えた。二階建てで、間口が広いせいか平べったく見える。三階、ものによっては四階建ての建物が並ぶ宿屋街にあっては地味だ。傭兵組合本部、と看板が出ている。


「支部もあるってことかな? 聞いたことないけど」


 通りからしばらく様子を窺うに、少なくとも一階部分は宿城の食堂と同じく、掲示板があり、卓が並んで飲み物や軽食を注文できるようだった。上階は商談のための部屋ではないか、とゼロが予想する。


「ちょっといいかな」


 背後からの声に首を巡らせる。金髪を首の後ろで束ねた大柄な女性が首を傾げていた。こなれた旅装に鋲のたくさんついた胸当てと鉢金、背中には大ぶりの剣と、荒事を生業にしているようだが、粗暴な雰囲気はなかった。

 どこかで会ったような気もするが、はっきりと思い出せない。


「ねえ、もしかして、アーレクス?」


 息を呑むゼロの前で、彼女は白い歯を見せた。笑うと華やかさが増す。


「やっぱり! 何年ぶりだっけ? ええと、四年? 五年? 叙勲と結婚のお祝いをして以来だもんね、それくらいか。あれ以来音信が途絶えちゃったから、すごく心配してたんだよ。無事なら無事って、一言知らせてくれれば良かったのに。それとも、あたしのことなんて忘れちゃった?」


 ややかすれた、低めの声だった。輝く笑みに彩られた喜びの表情は、表裏なく旧知の者との再会を懐かしんでいるふうに見える。

 叙勲、というのは騎士のことだろう。結婚。半精霊と。あれ以来とは、いつだ? こんなに親密そうなのだから、知人友人以上の仲だったのか。それは、つまり。

 くだけた口調からは、アーレクスと近しい間柄にあったことが推測できる。久しぶり、と言うが、滅びのどのくらい前に知り合っていたのか、どんな付き合いだったのかはまったくわからなかった。

 久しぶりだな、今はどうしているんだ? そんなふうに、気軽に返答しつつ、探りを入れればよかったのかもしれない。適当に話を合わせ、この場を切り抜けることもできただろう。しかし、ゼロは答えなかった。答えられなかったのだと思う。機知に富んだ言葉が発せられることはなかった。

 手を取られて顔を近づけられ、半ばのけぞっているゼロが助けを求めているのはわかったが、唇が震えるだけで、何も言えなかった。下手に口を開いては夢を見たことがばれてしまうし、うまく言い繕えるほど冷静ではない。


「へーえ、ほんとに忘れてるんだ」


 女が手を離し、一歩下がった。面白がる響きと驚きが半々といったところか。


「ナルナティアだよ。おねーちゃんですよ。妹でもあるけど。わからない? あんなことやそんなことまでしておいて?」

「わからない。姉にしては似てなさすぎる」


 ゼロは不愉快を隠そうともしない。アーレクスと呼ばれたとき、大抵はろくでもない状況だったからで、うんざりしているのがシャイネにもわかる。また追われて街を出るはめになるのか。引きが悪いのは果たしてどちらなのだろう。


「ほんとに覚えてないんだ!」


 手で顔を覆って天を仰ぐ仕草に、通行人が奇異の目を向ける。このまま逃げようかなと思った。お取り込み中のようだし。

 けれども、姉でも妹でもあるという一言が気になる。夢で見たアーレクスの姉は黒髪だった。彼女は金髪で、眼の色は曇り空の――


「あ」


 レイノルドだ。彼の姉か妹、年齢からして妹だろう。つまりゼロの義妹にあたる。年齢から姉と呼んでいたのかもしれない。「うわあ、かわいこちゃん連れ? ……ああ、きれいな眼をしてるね。へーえ、なるほど、趣味は変わってないわけだ。ん、いや、ある意味変わったか。今度は坊やときたんだから」

 素っ頓狂な声をあげるナルナティアに頷くべきか首を振るべきか迷ったすえ、話を逸らすことにした。


「違ったらごめんなさい。レイノルドさんのお身内の方ですか。あっ、ええと、僕はシャイネといいます。彼はゼロ。昔のことを忘れてしまったのは仰るとおりです。なにかご存じでしたら教えていただけませんか」


 ナルナティアは表情を引き締め、薄く笑った。しかし眼は少しも笑っておらず、値踏みされているのがはっきりとわかる。


「レイノルドは兄だ。あんたたちを迎えに行くよう言われてきたんだよ。話を端折ると、ク・メルドルの滅びについて語れるのはアーレクスだけだから、何があったのか知りたい、記憶を戻す手伝いをしたい、ってこと。いま話せる? 傭兵組合に用事があるの?」


 レイノルドとは比べるべくもなく、彼女は地に足のついた常人だと思えた。会話の際の視点が同じで、話しやすい。飛躍せず、俯瞰せず、こちらの様子を見てくれていると感じる。


「西へ行くために、護衛が必要かどうか、うまく便乗できるような仕事がないか、確認に来たんです。僕たちもこのあたりは初めてだし、魔物が増えてるって話もあるし。急いではいませんけど……」


 自分のことのくせに傍観しているゼロに意見を求めると、彼は不機嫌そうなまま頷いた。


「話が聞きたい。今の段階でおれに話せることはほとんど何もないが」


 ナルナティアは破顔して頷いた。いい店を知ってる、と親指で西を示す。


「ついでに、傭兵なら目の前にいるよ」


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