復讐

復讐 (1)

 十日ばかり休むと、体調はすっかり良くなった。寝込んでいる間に失われた体力や筋力までは戻らないが、食べて動くことができるのだから、そちらもじきに取り戻せるだろう。

 イーラのしたこと、シャイネがこれからすべきことについて、割り切れてはいないものの、悶々と考えるだけではなく、実際にぶつかってみる気にはなった。

 答えが無数にあることについて考えるのはいつでもできる。ならばまずは、体当たりで試してもよいのではないか、と。

 もう一度神殿に行ってみると話しても、ゼロは平らかな無表情で、そうかと呟いただけだった。けれども彼の黒い眼はいつもよりずっと柔らかく、考えが固まっていたのを見抜かれていたのかもしれない。

 ハリスに会ってどうするのか。彼を前にしてどんな気持ちになるのか想像もつかない。怒りや憎しみは父ではなくシャイネのもので、それを理由にハリスを傷つけるなら、薬草屋を消し炭にしたイーラと同じだ。

 神妙な気分のまま朝食を済ませ、宿を出た。今日はミルたちの工房へ行くことになっている。ゼロがこつこつと工面していた剣の代金が揃ったそうで、精霊をんで宿らせてもらう日取りを決めねばならない。少しでも早く剣を手にしたかっただろうに、シャイネが歩き回れるようになるまで待っていてくれたなんて、妙なところで人が好い。

 からりと晴れた夏空の下、宿屋街は今日も賑わっていた。陽射しがきつく、海からの照り返しでくらくらする。風除け布を被ってふらついているシャイネからすれば、黒ずくめのゼロが汗も浮かべずにけろりとしているのが信じられない。暑くないのかと訊くと、暑いに決まってるだろうと言う。


「全然そうは見えないんだけど」

「よく言われる」


 平気そうなふりもできない身からすれば、羨ましい話である。

 辺りに青服の数がいやに多いのは、くだんの視察とやらのせいだろうか。どうにも落ち着かないが、堂々としているほうが怪しく見えないのは経験則からわかっている。

 青服は数こそ多いが、どこか上の空で、何か、あるいは誰かを探すという強い意志に欠けているように思えた。


「あ、ダグラス」


 視線を感じて振り返ると、人の流れに逆らって小走りにこちらにやって来るダグラスと目が合った。なぜこんなところにいるのだろう。仕事はよいのだろうか。

 彼はいつになく険しい顔をしていたが、シャイネの風除け布を見てほっと息をついた。通りに背を向け、ちらちらと周囲を気にしている。


「無事でよかった。神殿の触れ書きの話、知ってるか」

「お触れ?」


 首を傾げる。ゼロも知らないようだった。


「昨日のことなんだけど、金髪と黒髪の男二人連れを見かけたら通報しろって、触れ書きが出たんだ」


 話によると、ここマジェスタットでは女神教よりも王の権力が強いため、神殿から触れ書きが出ることなど未だかつてなかった。なぜ急にと誰もが疑問に思ったが、驚いたことに、触れ書きを発したのは大司教でも神殿長でもなく、よその街から視察に来る司教だという。神殿は騒然となり、青服たちは落ち着きなく街に散っている。


「視察に来る司教っていうのが、神都のお坊ちゃんで、各地の人事に介入できるほどの力を持ってるっていうから、とりあえずその連中を捕まえろって大騒ぎなんだよ。関係はないけど、迷惑な話だよなあ」


 今までマジェスタット神殿は半精霊に対して不干渉の立場を貫いていた。いくら女神教の中枢、神都と繋がりがあるからといって、よその街の司教がその方針に口出しできるものではないが、一体どんな力が働いたのか、青服たちは渋々その二人組を探しているそうだ。

 金髪で男装のシャイネと、黒髪のゼロは触れ書きにある特徴に一致している。心配したダグラスはわざわざ迎えに来てくれたのだった。


「どうしてここがわかったの。宿、教えてなかったよね?」


 尋ねると、ダグラスは質問の意味がわからないといったふうに瞬きしたのち、ああ、と頷く。


「親譲りだ」

「そっか」


 彼は多くを語らなかったが、それだけで十分だった。シャイネが「親譲り」で夢を渡るように、彼は人探しができるのだろう。


「急いだ方がいい。うちで匿うから、荷物を持って来てくれ」


 神都と関わりがある司教で、金髪と黒髪の二人連れを探していて、街の事情など鑑みず触れ書きを出す人物。

 残念ながら思い当たるふしがある。


「その二人連れは、いったい何をしでかしたの」

「それが、全然わからないんだよ。単に、通報しろってだけでさ」


 シャイネとゼロは顔を見合わせる。やれやれと言わんばかりの黒い眼に、軽く肩をすくめてみせた。

 視察に来る人物はカヴェ神殿の、アンリ司教だ。追っ手をかけるだけならばまだしも、まさか今になって本人がお出ましになるとは思わなかった。意外に執念深いというか、真面目というか。どちらにせよ厄介な事態であることに違いはない。


「工房に寄ってから神殿に行こうと思ってたんだけど」

「神殿に? 止めとけよ、捕まりに行くようなもんだぞ」


 複雑な事情があって、と曖昧に微笑む。ミルは彼に何も話していないようだった。可愛いうえに口が堅くて信頼できるなんて、最高の女の子じゃないか。

 風除け布で髪が隠れているから青服たちの目に留まってはいないものの、このまま神殿に出向いたとしても、触れ書きにある特徴そのままのシャイネらがハリスに会えるはずもない。アンリの到着とかち合ってしまうことも考えられる。ダグラスらに甘えて工房に拠点を移し、様子を探り、十分に準備を整えてから神殿に向かうべきだろう。

 意見を求めて見上げると、仕方ないとゼロが浅く頷いた。決まりだ。


「うん、じゃあ、お世話になる」


 来た道を引き返し、荷物をまとめて宿を引き払い、工房街を目指した。裏道を選んでくれたからだろう、青服たちに見咎められることはなかった。

 事情を話している時は早口だったが、ダグラスの歩みはゆっくりで、なるほど、ミルに合わせたらこのくらいの歩調になるのかと頬が緩む。


「シャイネ! ゼロ!」


 工房に到着すると、飛び出してきたミルに熱い抱擁を受けた。


「心配してたのよ。どこも怪我はない? 不埒なことされてない? イーラが余計なことをしたみたいでごめんなさい。きつく叱っておいたから。本当にごめんね。怒ってない?」

「ふらち? ええと、うん、僕は大丈夫。ありがとう、ミル」


 例によって、一度にたくさんのことを喋るミルに何とか微笑んでみせる。マックスとイーラは工房だろう、姿が見えない。


「カヴェのアンリ司教って人が視察に来るんだって。でも、視察なんて名目で、本当はお触れに出した金髪と黒髪の二人組を成敗してやるんだって言ってるみたい。どんな理由があるんだか知らないけど、迷惑な話よねぇ。神都育ちっていうだけで何もかも許されると思ってるなら、大間違いなんだから」


 友人の父が青服で、内部事情が手に入るのだとミルが胸を張る。威張るところだろうかと不思議に思ったが、合わせて頷いておいた。

 口を動かしながらも手は止まらず、彼女はてきぱきとお茶の用意をした。湯が一瞬で沸くから、早いものだ。


「その司教が『いとし子』のアンバーとも懇意にしてるっていうから、みんな慌てちゃってさ。とりあえず金髪と黒髪の疑わしそうなのを捕まえてるみたい」


 思わず、鼻で笑ってしまった。成敗とはずいぶん威勢がいいが、脚を負傷しているゼロにかすり傷さえつけられなかった男に、そんなことができるとは到底思えなかった。もちろん、黙って成敗されてやるつもりもないし、成敗されるいわれもない。


「え、あれってシャイネとゼロのことなの?」


 紅の眼が瞬いた。察しがよい。


「残念ながら、そうなんだ」

「成敗されるようなこと、したの?」

「僕が半精霊だから気に入らないんだよ。ゼロの剣を折ったのも、その司教」


 先ほど路上でシャイネとゼロがそうしたように、ミルとダグラスは黙って顔を見合わせた。


「何よ、それっ!」

「どうしてそこまでされて黙ってるんだ?」

「そうよ、半精霊だからって、そんなのが理由になると思ってるのかしら馬鹿馬鹿しい! ダグ、剣を仕上げてちょうだい。ゼロはそれで、司教をぶった斬るのよ! 『いとし子』って神都の偉い人でしょ。権威を笠に着るなんて、いかにも小物のしそうなことじゃない。侮辱は命をもって償うべきだわ」


 剣が折れたのは色々と悪条件が重なったからだと弁解するのも躊躇われるほど、ミルは過激だ。


「急だけど、今日でいいの?」

「構わない。うまくいけばすぐだし、だめなら日を延べるけど。マックスの邪魔をしたくないから、昼休憩の前でいいかな」


 ダグラスは鼻息の荒いミルをなだめ、まずは寮に案内してくれた。いくつかの工房が共同で管理しており、住み込みの職人らが利用しているそうだ。風呂も井戸もひとつきりで、それぞれの部屋も狭いが贅沢は言えない。

 荷を下ろして工房に戻り、昼食の準備をあらかた整えてから店舗の裏口を抜け、井戸のある小さな中庭を横切ってさらに奥の工房へと案内された。

 工房に足を踏み入れると、炉の熱気が一気に押し寄せてきた。工房、というから、どれほど賑やかしいところなのかと思っていたが、炉がふたつと水場、作業台があるきりだった。工房じゅうに満ちる、喉が焼けつくほどの炎といしの気配に圧倒される。息が詰まりそうだ。炎は賑やかにシャイネにまとわりつき、鉱はディーと気安く手を取り合っている。こんなに騒々しくて仕事になるのだろうか。

 作業台の前のマックスが真剣な面持ちで鎚を振り下ろすたび、汗が滴り落ちた。眼光鋭く手元を見つめる彼はこちらを一顧だにしない。イーラは壁に背を預けて立ち、腕を組んで目を閉じている。採光窓が小さく、薄暗い工房の中、炉で激しく踊る炎と熱せられた鋼、そして紫の眼だけが暴力的な強さで輝きを放っていた。汗が吹き出るほどの暑さにも関わらず、ぞろりと全身に鳥肌がたつ。

 触れれば切れそうな緊張と、あちら側の喧噪にも揺るがぬ作業音の中の静謐さは、研ぎ澄まされた集中の上に見事な平衡を保っていた。

 ダグラスは兄に声をかけず、マックスも弟やシャイネたちに何も語らなかった。なるだけ音をたてぬよう、整った空気を乱さぬよう、いつしか全身に力をこめて立っていた。部外者である自分たちの存在が、場を壊してしまうのではないかと恐れたのだ。

 促されてゼロが剣を抜く。精霊の宿らぬまっさらの剣身は輝きを抱かず、一点の曇りもなく澄みわたる鋼は背筋が伸びるほどの冷気と凛々しさを纏っている。

 シャイネが持つには長く、重すぎる剣を見つめ、うっとりと微笑むゼロはいやに色気があって、視線を逸らした。ずるい、と思ったのだ。どうしてかはわからないけれども。


「どうする、何を封じる?」


 ダグラスの声に隣を見上げると、まっすぐこちらを向いていた漆黒の視線に、不機嫌も何もかも絡め取られてしまった。


「闇を。……シャイネ、頼む」


 何よりも嬉しい言葉に頬が緩んだ。大きく頷く。




 召喚そのものは普段通りで、難しくはない。しかし、剣に封じるにあたって、過不足ない強さの精霊を招くのは、なかなか加減が難しいという。精霊の力が強すぎると御しきれずに失敗する。逆に力が弱すぎても、万全の剣には仕上がらない。

 一回で成功させなくてもいいから、気長に、気楽にと説明を受けても、緊張はなかなかほぐれなかった。


「頼むから、俺に制御できる強さのやつにしてくれよ。張り切られると、こっちもやりづらい」


 苦笑するダグラスに、少しだけ肩の力が抜けた。大きく深呼吸する。

 ゼロの剣に封じるのだ。よい剣に仕上げたい。強く従順で、彼を慕い、守ってくれるもの。

 呼吸を止めて目を閉じた。ざわめく精霊の息吹がある。強い親愛を示す闇たちをぐるりと見渡して、語りかける。


『誰か、ゼロの力に』


 声に驚いたのだろう、兄弟が弾かれたように顔を上げた。精霊たちもまた揺らめく。我先にとシャイネに押し寄せる狂熱、その最中に冷静に問うた。


『僕ではないんだ。僕の大切な人のために、僕へのものと同じだけの親愛を――』


 応じる気配がある。目が眩む歓喜と熱情の渦の中から、それを召んだ。


『こっちに来て。……お願い』


 手元に招いた精霊が、よくしつけられた猟犬の獰猛さと怜悧さでたたずむ。ダグラスの声が焦りを帯びた。


「強すぎる、シャイネ、無理だ!」

「大丈夫」


 闇が滲み広がり、採光窓から射し込む光を飲み込んで工房内を染めてゆく。様子を窺う闇に、待機を命じた。


『そう、そのままでいて』


 うまくいく、うまくやれると自信があった。その心意気が伝わったのか、ダグラスは頷いて強く指笛を吹いた。

 高く低く、抑揚をつけた音色が工房の熱気を揺らす。闇がぞわりと身じろぎし、彼に興味を示した。すかさず、命じる。


『ダグの言うとおりに。ゼロの力になって』


 闇はシャイネの支配を離れた。精霊をふたりで共有するなんて初めてだ。指笛に従って、闇が剣にまとわりつく。ゼロは精霊の気配を感じられないはずだが、騎士としての勘がその存在を捉えたのだろう、肩を震わせた。

 形状や材質を確かめるように、闇は剣に覆いかぶさったままだ。ダグラスが指笛で何を命じたのか、闇はこちらに留まることに戸惑いを感じている。それはそうだろう、精霊たちはあちら側の存在なのだから。

 ダグラスも作業の手を止めたマックスも何も言わず、なりゆきを見守っている。精霊は剣の周囲を取り囲んだまま動かない。一回で成功させなくてもいい、ということは、失敗することも多いのだろう。

 兄弟の様子から察するに、精霊を「封じる」とはいっても、無理に追いたてて閉じ込めるのではないようだ。精霊が剣に宿るよう誘導はしても、強制はしない、そんな気がした。

 闇は決めかねている。留まるべきか、それとも帰るべきなのか。封じられてやるべきなのか、それはできないとそっぽを向くのか。闇に親しむからこそ、シャイネには精霊の迷いが伝わる。それがもどかしくて、思わず声に出していた。


『僕を助けてくれたひとの剣だ。なにも怖くなんかないよ』


 口出しすべきではなかったとすぐに後悔が押し寄せてきたが、ダグラスは何も言わず、非難めいた目を向けるでもなかった。


『――姫様のお力になれるなら、喜んで』


 精霊の気配がぐんと濃くなって、ゼロがわずかによろめいた。

 と、鋼の色をしていた剣身が、夜明け前の空の色に一瞬にして染まった。白み始める前の、透明感のある藍色。劇的な変化に、目と口がぽかりと開く。これが、名高い精霊封じのわざか。


「よし」


 満足感の滲むダグラスが拳を握る。精霊は、封じられたのだ。終わってみればあまりに呆気ない。張りつめていた緊張が緩み、誰からともなく深くため息をついた。


「……きれい」


 夜の色彩に目を奪われる。ゼロも同じく、瞬きもせず剣を見つめていた。


「もう大丈夫だ」


 ダグラスに促されてゼロが剣をきちんと構えると、刃を震わせて涼やかな音が鳴った。それが精霊の喜びの声だと、新たな主を歓迎し、忠誠を誓うものだと彼に伝わっただろうか。


「エニィ」


 彼の呟きは、歓呼が響いたからこそ。それは闇の名、剣の名だった。精霊がくすぐったそうに笑う。

 光を孕んだ闇の色は、黒の旅装によく似合った。きれい、としか言えない語彙の乏しさが悔しかったが、満足げなゼロを見ていると、些細なことに思えた。


「ありがとう、シャイネ」


 シャイネはもう一度、大きく頷く。

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