第115話 板挟み

 王室茶会に出席するウィンガルド貴族の中にエディアネル公という人物がいた。


 意地悪が顔に張り付いたような中年の女性だった。


 いつもピリピリしていて余裕がなく誰彼構わずケチをつけては口論をふっかけるのでみんなすっかり辟易していたが、かと言って広大な領地を治める大貴族のため下手に逆らうわけにもいかず、みんな表面上はどれだけ罵倒されてもニコニコと愛想笑いを浮かべ彼女の機嫌を取らざるをえなかった。


「かつては権勢をほしいままにした魔導師だ。昔は500階層に所属する評議会議員でもあったんだがね」


 ヘルドはお茶会に行く道の途上、馬車の中でリンに説明する。


「しかし器ではなかったようだ。金の力でなんとか評議会まで上り詰めたが、実力不足を補うにはどうしても足りない。結局、地位を維持することはできずズルズルと階層を下げて、今では200階層に所属する平凡な魔導師だ。婚期も逃してしまってすっかり薹が立ってしまった。本人はそれを認めたくないから周りにちょっかいを掛けるばかり。すっかり王室茶会での厄介者だよ」


「今日はそのエディアネル公に挨拶するんですよね」


「ああ、魔導師としての力に翳りが見えるとはいえ、彼女は大貴族。その影響力は今でも絶大だ。そしてそのキャリアからウィンガルド王室の裏事情にも深く絡んでいる。何が言いたいかと言うと、彼女は僕達の任務を達成するために協力が必要な人物だということだ」


「はい」


「彼女もわかっているはず。この法案がウィンガルドに打撃を与えるということくらい。ただ彼女は自負心が強く、身分へのこだわりも強い。行儀良くするんだよ」


 二人が近づいた時、エディアネル公はいつも通り面白くなさそうに周りに当り散らしていた。


 今は、ちょうど気の弱そうな若い青年の魔導師を捕まえて説教しているところだった。


「いいかい。少し手柄をたてたからって調子に乗っているんじゃないよ。あんたなんか私が少し杖を振れば一捻りだからね。舐めるんじゃないわよ。分かっているのかい? ええ? 500階層の魔導師の力見せてやろうか?」

 かつての栄光が忘れられないのか、彼女の中では未だに自分は評議会議員であるようだった。


「失礼します。エディアネル公」


 ヘルドがうやうやしくお辞儀しながら会話に割って入ろうとする。


「ああん? 誰だか知らないが邪魔するんじゃないよ。私は今こいつに魔導のなんたるかを……。あらあ。ヘルドじゃないの」


 エディアネルは急に猫撫で声でヘルドに話しかける。


 若く美男で自分のことを敬ってくれるヘルドはエディアネルのお気に入りだった。


 彼女は彼を孫のように可愛がっていた。


 彼を見かけるやいなや今まで絡んでいた青年のことなどすっかり思慮の外に追いやってしまう。


 絡まれていた青年はホッとしてここぞとばかりに、そそくさとこの場を立ち退いていく。


「元気にしていたの? 最近全然見なかったじゃないの。それより聞いたわよ。イリーウィア様の側近になるって」


「まだ決まったわけじゃありませんよ。デューク殿もいますしね」


「私は初めから陰気なデュークよりもあなたの方が姫様にふさわしいと思っていたわ。本当よ。姫様にもずっと進言していたんだから」


「ありがとうございます。私が今日この場に居られるのもひとえに公のおかげだと思っております。なんとお礼の言葉を言えばいいのか分かりません。これは贈り物です。お気に召すかどうかわかりませんが……」


「あらあ。いいのよこんなの。あなたはいつでもここに来ればいいんだから。そうだわ今度私の屋敷に来なさい。おもてなししてあげるわ」


 そのあとも二人はたっぷりお世辞を言い合った。


 ヘルドは彼女の功績の数々をつまびらかに話して並べ立てて見せた。


 おかげですっかりエディアネルは上機嫌になっていた。


 リンはその間、後ろでじっと我慢して黙って待っていた。


 しばらく経った後、ようやくヘルドが機を見てリンを紹介する。


「エディアネル公。今夜は一人紹介したい友人がいます。リン。挨拶して」


 ヘルドはリンを自分の前に連れ出した。


 急にエディアネルは苦い顔になる。


 その表情からは敵意さえ伺えた。


 実際のところリンは彼女の最も気に入らない招待客の一人だった。


「まだエディアネル公は彼と直接話したことはありませんでしたね。彼はイリーウィア様が特別に招待した客で……」


「知ってるよ。奴隷だろ」


 エディアネルは口さがなく言った。


 その声は周りに聞こえるほど大きなものでわざと聞こえるように言ったのではないかと思えるほどだった。


「彼には今僕の右腕として働いてもらっています」


「ふん。いいかい? 言っておくけれどね誰が認めようが私はお前のことなんざ認めないからな。少しイリーウィア様が情けをかけたからといって、調子に乗った日には……」


 それから彼女はリンに対してしばらくの間クドクドと説教をし始めた。


 リンは黙って聞き続ける。


「リン例のものを」


 しばらくしてからヘルドが助け舟を出すように言った。


「はい。エディアネル公。今日は是非お贈りしたいものがございまして」


 リンは箱を取り出してエディアネルに手渡した。


「お気に召せば良いのですが……」


 エディアネルは訝しげな顔で箱を見た後、受け取った。


 耳元で箱を振ってその音で中にどれくらいの大きさの魔石が入っているのかを確認する。


 それから顔をしかめてリンの方を見る。


「チッ。まあいいだろう。座りなさい」


 リンは座るのを許されてようやく腰掛ける。


 そのあとも彼女の説教は続いた。


「いいかい。誰のおかげでここに居られるのか。忘れるんじゃないわよ。お前なんて追い出そうと思えばすぐだからな」


 折を見てヘルドが彼女に耳打ちする。


「時にエディアネル公。法案改正の件についてですが……」


「待て。今、その話はまずい。警吏部のものも招待されているんだ」


 エディアネルはさっと会場に目を走らせる。


「話は奴らが帰ってから、精霊結界を張った部屋に入ってだ」


 しばらく三人は取り留めのない話をした後、招待客がまばらになり始めてから別室に移った。


「フローラ! さっさと歩きなさい」


 リンは彼女の引き連れている奴隷を見てハッとした。


 以前見たことがある少女だった。


(あの子は確かレンリルにいた……。エディアネルの奴隷だったのか)


「その子は?」


 ヘルドが聞いた。


「使えない子だよ。知り合いから斡旋されたからそばに置いているものの。遅いし要領悪いし。全く。フローラ!」


「は、はい」


 フローラと呼ばれた少女はいかにもビクビクした様子で返事した。


「ここはもういい。帰り支度でもしてろ」


「は、はい」


 少女は危なっかしい足取りでエディアネル宛の贈り物を持ちながら奥の方へ走って行く。


 彼女は途中チラリとリンを見た。


「リン。君も彼女について行ってエディアネル公の帰り支度を。どうも彼女は危なっかしく見える。ここは僕に任せてくれればいいから」


「はい」




 別室に移ったヘルドとエディアネルは早速話し合いを始めた。


「とにかく大事なのは法案を骨抜きにすることです。そのためには公の方でも働きかけていただきたく……」


「ダメだ。今回ばかりは私も下手に動くわけにはいかない」


「しかし……それではスピルナやラドスの思う壺ですよ!」


 ヘルドは少し大袈裟に叫んだ。


 国を憂う若者であるかのように。


 エディアネルの国民意識に訴えるように。


「お前たち王室付きの言い分も分かるがな。しかし諍いを起こしてばかりいてもどうにもなるまい。ここは奴らの言い分にも耳を傾けてだな……」


 彼女は若者に理解を示しつつ、自制を促す長者ぶった態度を持って接した。


 ヘルドは言葉を尽くして頼み込んだが、エディアネルは首を縦に振らなかった。


 エディアネルの領地はスピルナ・ラドスと国境を接していないため、二つの国の伸長はそこまで脅威ではなかった。


 また王家に臣従を誓ってはいるものの、独立した領地を持って独自の収入もあるためヘルド達のような王室付きの貴族とは温度差があった。


(ちっ。やはり正攻法ではダメか。イリーウィアやデュークの力を借りる手もあるがそれでは意味がない。かくなる上は……蛇の道は蛇か)




 リンはヘルドの言う通り、フローラと一緒にエディアネル公の帰り支度を手伝った。


 エディアネルの馬車に彼女宛てのプレゼントを積み込み、内装を整える。


 プレゼントには高価な魔導具や珍しい魔獣も含まれていた。


 作業の合間、フローラは何度もリンの方に目配せして何か話したそうにしていた。


 しかしこちらから近づくと彼女は慌てて別の仕事に取り掛かったり、離れて行く。


 結局、リンは一計を案じる事にした。


 密かにレインを彼女の方に向かわせる。


「きゃっ」


 フローラはいきなり自分の頬を舐める感触にビクッとした。


 見ると彼女の肩にはネズミのような魔獣が乗っていた。


(こ、これはネズミ?)


 フローラはビクビクしながらもレインの愛くるしさに見惚れとしまう。


「やあ」


「あ、魔導師様」


「やっと目を合わせてくれたね」


 フローラはすっかり緊張が解されてリンのことをじっと見つめていた。


「君のことは覚えているよ。レンリルにいたよね」


 フローラはリンの方をじっと見た。


(私のことを覚えていてくれて……)


「よかったら向こうで少し休まない?」


 リンはベンチを指し示す。


 二人はベンチに座った。


「君を見ていると昔の自分を思い出すよ。僕もこの塔に来た時は君のようにいつも怯えていた気がする。周りで起きていることが理解できずにただただ不安だった」


 フローラは不思議そうにリンの方を見た。


「僕も君と一緒で奴隷階級出身だったんだ」


「えっ? そうなんですか?」


「うん。だからもし何か悩んでいることがあるなら相談に乗れるかなと思って」


 フローラは少し逡巡した後、意を決して話をし始めた。


「あの。魔導師様。一つお尋ねしたいことがあって」


「ん?」


「二つの考え方の間で板挟みになった時、人はどうすれば良いのでしょう」


「えっ? な、何でそんな事聞くの?」


 リンは内心ギクリとなった。


 それは今まさに平民派と貴族派の間で揺れている自分のことではないか。


 彼女は暗に自分のことを指摘しているような気がしてならなかった。


「二人のエディアネル様が別々のことを私に求めて来ます。私はどうすればいいのですか?」


(なんだ。エディアネルのことで悩んでいたのか)


 リンは一先ず安心した。


 どうやら自分のことを指摘しているわけではないと分かったからだ。


 しかしその後で彼女の言っていることに戸惑う。


 どういうことだろう。


 二人のエディアネルとは?


 同性の別人か?


 しかし彼女以外にこの塔にはエディアネルなんていないし……。


 だとすれば同じエディアネルが別々の命令を出している?


 確かに矛盾した事を言いそうなタイプではあるが……。


「二人のエディアネルっていうのは?」


「分かりません。私にもよく分からないんです。ただエディアネル様は時々別人のように見える時があって……。相互に矛盾した指示を私に出して来て板挟みになってしまうんです」


「うーん、ゴメン。よく分からないや。というのも実は僕も今同じような悩みに陥っていて……」


「そう……ですか」


 フローラはがっかりしたようにうなだれた。


「魔導師様でも分かりませんか」


 リンは彼女のために何かしてあげたくなってきた。


「フローラ。次までにきっと答えを探してくるよ」


「次……ですか?」


「うん。今、僕がとっている講義に法律の先生がいるからさ。その人に聞いてみるよ。やっているお仕事の都合上、エディアネル公とは今後も付き合うことになるし。次会う時まで待っていてくれないかな」」


「……」


 フローラが何か言いかけたところで、エディアネルがヘルドを伴ってやって来た。


「リン。帰り仕度はできているかい? できているようだね。エディアネル公。帰り仕度の方が整っております。リンが手伝ってくれました」


 エディアネルはしばしの間、馬車の中に目を走らせて、姑が嫁の粗探しをするようにリンの仕事ぶりをチェックしたが、特に何も瑕疵がないことが分かると無表情で馬車に乗り込んだ。


 フローラもエディアネルの後に続いて馬車に乗り込む。


 彼女は中に入る直前、もう一度リンの方に目配せした。


 リンとヘルドは馬車が往来で見えなくなるまで見送る。


「リン。そろそろ行くよ。次の人に会いに行かなくては」


「あ、はい。今、行きます」


 リンは移動の最中、彼女の問いかけと態度が頭の中からずっと離れず、何度も何度も思い出すのであった。




 次回、第116話「行き詰まり」

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