第86話 本性

「視線が気になりますか?」


 リンが繰り返し後ろを見ているとルシオラが声をかけてきた。


 100階に来た時からリン達を監視している謎の視線は未だに彼らを追跡していた。


「ええ、危険がないことはわかっているんですけれど。やっぱり気になっちゃいますね」


 リンは後ろを見ながら言った。


「なぜ彼らは僕達を監視しているんでしょう」


「わかりません。しかし彼らが市街地に住めない人間であることは確かです」


「市街地に住めない?」


「ええ、迷宮都市には幾つか中継地点のように市街地があるんですけれど、市街地に住めるのは一定以上の収入と実力がある限られた魔導師だけです。それ以外の人間は迷宮内で野営してどうにか凌がなければなりません」


「はあ。大変なんですね」


「ええ、実のところ私も毎日の生活がカツカツでして……」


 ルシオラは庶民的なことを殊更強調するように言った。


「じゃあ彼らが僕たちをつけているのはやっぱり……」


「あわよくば何か金銭を奪えないかと思っているのでしょうね。彼らも無駄な争いを仕掛けてくることはないでしょうが、一応警戒しておいた方がいいでしょう」


「ふむ。しかし警戒しながら歩くというのは何というか……こう、神経が疲れますね。どうにかならないものでしょうか」


「では私の前を歩いては? もし後ろから攻撃されても私を盾にできますよ」


「盾だなんてそんな。ルシオラさんを盾にするなんて僕にはできませんよ」


「おや、そうですか?」


「むしろルシオラさんが僕の前を歩いてください。いざという時は僕が後ろを守りますから」


 リンは年上の女性の前でいいところを見せたがる例の性分を発揮して言った。


「あら。学院魔導師の方に守られるなんて。私も100階クラスの魔導師失格ですね」


 ルシオラが自信を無くしたように言った。


「えっ? い、いや、そういう意味で言ったわけじゃあ。ルシオラさんは充分立派な魔導師ですよ」


 リンが慌ててフォローするとルシオラはクスクスと笑った。


「ではこういうのはどうですか? 二人で並んで歩きましょう。もし何かあった時はお互いがお互いを守れるように。一蓮托生というわけです」


「なるほど。それはいい考えですね」


 ルシオラはリンの隣にポジショニングしてさりげなく他の4人からリンを引き離そうとする。


(十分に距離を取ったところで、私の迷宮魔法で他の4人から引き離す。他の魔導師が魔法を使ったように見せかければいいわ)


 一行は曲がり角に差し掛かる。


 ルシオラにとってリンと他の人間を引き離す絶好の機会だった。


 ルシオラは魔石のついたイヤリングを外して呪文を唱えようとする。


「ちょっとルシオラさん。離れ過ぎよ」


 リンとルシオラの間にユヴェンが割り込んくる。


「あら。ユヴェンさん」


「あなたはギルドで唯一の100階魔導師なんだから。ちゃんとみんなを平等に守ってもらわないと」


(なんなのよこの小娘は。邪魔しやがって)


 ルシオラは柔らかい笑顔を崩さないようにしながらも内心で舌打ちした。


 リンも少し迷惑そうにする。


(なんなんだよユヴェン。せっかくルシオラさんといい感じだったのに)


 一方でユヴェンはルシオラの態度を見てほくそ笑んだ。


(やっぱり。こいつさっきからリンを私達から引き離そうとしてる)


 ユヴェンはテオの方にさり気無く目配せする。


 テオもユヴェンの言いたいことを汲み取った。


「リン。悪い。ちょっと来てくれない?」


 テオがルシオラのいる場所とは反対側の方から言った。


「? うん。いいよ」


 リンはテオの方に駆け寄る。


 ルシオラとは離れる。


「どうしたの?」


「いや悪い。なんか足が痛くってさ」


「えっ。大丈夫?」


「ああ、大したことないんだよ。すぐ治ると思う。ただちょっとだけ支えててくれない?」


「うん。わかった」


 リンはテオの肩を支える。


 テオはリンの耳元で他の人間に聞こえないように囁く。


「ルシオラにあんま近づくな」


「えっ?」


 リンがテオの方を見ると彼は何も言っていないかのように素知らぬ顔で前方を見ている。


 それを見てリンも、何も聞いていないかのように前だけを見た。


 ルシオラはリンが移動したのを見て、自分もテオの方に移動しようとするが、ユヴェンがさりげなく間に入って遮った。


 ルシオラはまた誰にも気づかれないように歯ぎしりする。




「あら? おかしいですね」


 ルシオラが目の前の壁を見てつぶやいた。


「どうしたんですか」


「以前は確かここに階段があったはずなのに」


 ルシオラは地図を見ながら首を傾げる。


「本当だ。地図だと階段がありますね」


 アルマがルシオラの地図を見て言った。


「誰かが迷路を作り替えたようですね。何かギルド間で抗争があったのかも」


「迷路を作り替えたって……マジかよ。そんなことできるなんて」


「それが100階層クラスの魔導師の力なんだろうな」


「仕方ありません。迂回するルートをたどりましょう」


 ルシオラは地図の以前はあった道を指でこする。


 すると地図に描かれた道は消えて改訂される。


「本当に迷宮都市なのねぇ100階層は」


 ユヴェンが唐突にしみじみとした調子で言った。


「ねえルシオラさん。あなたどうしてエリオスのお墓の場所を知ってるの?」


「えっ?それは私がエリオスさんをここで埋葬したから……」


「そこがどうも引っかかるのよねぇ」


「ユヴェン何言ってるんだよ」


 リンが戸惑いがちに言った。


「考えてもみなさいよ。エリオスが街から追い出されたと知っていながら、放置していたんでしょう? そしてエリオスが死んでから遺体の元に駆けつけた。どうして助けに行かなかったの?」


「それは……怖かったし、当時は自分のことで精一杯だったので」


「へえ。自分のことで精一杯だったんだ。それで都合よくエリオスが死んでから手が空いたというわけね」


 ルシオラは困ったように微笑む。


 微笑んでいるもののリンは心なしかルシオラの表情が先ほどよりも少し神経質になっているような気がした。


「もちろんエリオスさんが本当に危ないと分かっていれば駆けつけました。けれど彼も大丈夫だって言っていたので。今思うと彼も無理していたのかなぁって思いますけれど」


「じゃあどうやってエリオスの遺体まで辿り着けたの? その場にいなかったのに。これだけ大きくてしょっちゅう地図も変わる迷宮の中、しかもそこらじゅうに骸骨がゴロゴロ転がってる。こんな中でよくエリオスの死体までたどり着いて彼だと認識できたわね」」


「嫌だわユヴェンさん。これじゃまるで問い詰められているみたい。何だか怖いわ」


「そうかしら? 気にしすぎじゃない?」


「何か私を疑ってらっしゃるの?」


「ユヴェン。その辺りで……」


「まあ待て。ザイーニ」


 ザイーニが仲裁しようとしたところをテオが制した。


「テオ?」


「僕も気になるな。どうやってエリオスの死体まで行き着いたんだ?」


「仕事で忙しかったでしょうに。エリオスがどう行動してどこで死んだかなんて。よくそこまで彼の動向をつまびらかにつかむことができたわね」


「それはたまたま運よく彼と判別できるものが近くにあって……」


「そして勝手に埋葬したというわけね。わざわざ協会の人間にも知られないように。おかしいじゃないの。どうしてわざわざそんなことしたの?」


「……」


「さあ。言ってみなさいよ。どうしてそんな事したの?」


「ルシオラさん。状況が状況だ。疑惑を抱えたまま行動するのは得策じゃない。話してもらえないかな」


 テオもユヴェンに味方するように言った。


 今やその場にいる全員がルシオラの方を疑るように注目していた。


 固唾を飲んで彼女からの言葉を待つ。


「ふー。どうして私がエリオスの墓場を知っているかって? そんなの決まってるじゃないですか」


 彼女は俯いて少し言葉を途切らせた後、再び5人に顔を向けた。


 その顔からは今までの控えめな印象が消え去り、残忍な笑みが張り付いていた。


「私がエリオスを殺したからだよ」


「「!」」


 ルシオラは音もなく後ろに跳躍して距離を取ると、空色のローブを脱ぎ捨てた。


 内側に着込んでいた紫色のローブが露わになる。


「紫色のローブ!? 200階層の魔導師だと!?」


 ザイーニが驚いたように言った。


「今までの空色のローブは……エリオスが着ていたやつか!」


 テオが鋭く叫んだ。


 脱ぎ捨てられた空色のローブの内側には黒ずんだ血がこびりついていた。


「中々、いいカモだったわ。孤立して困窮していたから狩りやすかったし」


 ルシオラは先ほどまであった柔らかい印象をかなぐり捨てて、その酷薄な本性を露わにした。


(あれはエリオスさんの血……)


 リンはローブの内側にある血を見てショックを受ける。


「ルシオラさん。なんでっ」


 彼女はメガネと右手に巻き付いていた包帯も外す。


 右手の甲にはギルド『不安を売る者達マルシェ・アンシエ』の紋様が刻まれている。


「うちの妹が大層お世話になったようね」


「妹? そうか。お前、ロレアの関係者か!」


 テオがギルドの紋様を見て合点がいったという表情をする。


 ルシオラにはロレアのように神経質な雰囲気はなかったが、よく見ればその目元は確かにロレアと似ているところがあった。


 今まではメガネでうまく隠していたようだ。


「初めから我々をはめるのが目的だったというわけか」


 ザイーニが厳しい表情でルシオラをにらむ。


「ふん。本性を現したわね。女狐」


「すげーなユヴェン。お前よくルシオラが嘘ついてること見抜けたな」


 アルマが状況に似合わない呑気な感じで言った。


「初対面ですぐに気づいたわ。こいつは何か悪巧みのために猫をかぶってるってね。表情の作り方、態度、仕草、言葉遣い。すべて男を誑かすための演技よ」


「なにぃ。マジか」


「男共を騙せても私の目はごまかせない。なにせ私も毎日同じことやってるんだから!」


(うわぁ。気をつけよう)


 リンはルシオラよりむしろユヴェンへの警戒心を改めて強くした。


「お前らはしゃいでる場合か。目の前にいるのは200階クラスの魔導師で、エリオスを殺したやつなんだぞ」


 テオが警戒を呼び掛けるように言った。


 そうこうしているうちにルシオラは杖の先を光らせている。


「予定が狂ってしまったけれど。まあいいわ。ここであなたたち全員葬り去ってあげる。『物質生成』」


 ルシオラが呪文を唱えると杖の先の光は連環となり、太い鎖を生成してゆく。




 次回、第86話「炎の鎖」

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