第37話 キマイラとの戦い

 切り立った崖の端っこでペル・ラットが精一杯自分を食べようとしている魔獣を威嚇している。

 しかしその身の震えからキマイラにはペル・ラットになすすべがないことはお見通しだった。そもそも魔獣としての強さが違いすぎる。戦えば十中八九キマイラが勝つ。ペルラットは逃げる以外に生き残る方法はない。しかし彼は追い詰められていた。これ以上後ろに下がれば断崖絶壁から真っ逆さま。逃げても戦ってもどちらにせよ命はない。

 リンは茂みからキマイラの様子を見ていたがそのおぞましい姿に寒気が走った。ライオンの頭にヤギの胴体、蛇の尻尾を持っているがその姿はあまりにもいびつだった。ライオンには戦って勝ったことがあるが果たしてこんな化け物相手に自分の魔法が通用するのだろうか。今やリンの指輪は強い輝きを放って危険を警告していた。持ち主に対して逃げろと言っているのだ。

「リン」

 キマイラに身をすくめているリンにイリーウィアが声をかける。リンはハッとした。そうだ。自分にはこの人が付いているんだ。王族に伝わる精霊を使役し魔獣の森について知り尽くしているこの人が。

「先ほど精霊にこの辺り一帯に他の魔獣がいないかどうか調べさせました。どうやらこの近くにキマイラ以外の魔獣はいないようです。ラッキーでしたね」

 ニッコリ微笑むイリーウィアに対してリンもどうにか笑い返す。

「あのキマイラは自分の獲物を追い詰めた気でいるようですが、私たちからすれば彼の方が獲物です。彼にも逃げ場がありません。確実に仕留めるチャンスですよ」

「どうすればキマイラを倒せますか。」

「ヴェスペの剣でキマイラの頭を貫くのです。それで倒せますよ。ここからでも十分狙えます。気付かれないうちに倒してしまいましょう」

「分かりました」

 リンは茂みから音を立てないように体を出してキマイラの方を向く。まだキマイラはリンの存在に気づいていない。ペル・ラットと間合いを計ってジリジリと詰めている。リンは指輪に意識を集中させた。

 指輪の輝きが増し光が剣を形作っていく。リンが光の剣を放とうとしたその時、キマイラの尻尾の蛇がリンの方を向く。

「シャアアアアアア」

 低く呻くような蛇の鳴き声がリンを威嚇した。

「っ」

 指輪から光の剣が放たれる。

 しかしそれはヴェスペの剣ではなく、ライジスの剣だった。

 剣はキマイラの脇をかすめ、虚しく空を切り滝の中に消えていった。

(外した。しかもライジスの剣)

「グルアアアアアア」

 キマイラのライオンの頭もリンの方を向く。ライオンも今しがた追い詰めつつある獲物より大きくて美味しそうな獲物が現れたことに気づいたのだ。今やキマイラの敵意はリンの方に集中していた。キマイラが自分の身を守り、かつ空腹を満たすためには、この自分を狩ろうとした新たな獲物を食い殺すのが一番だった。

「ひっ」

 リンが短く悲鳴を上げる。

 キマイラが身を翻してリンに迫ってくる。その動作はヤギの胴体に似合わず思いの外俊敏だった。

 リンの全身は極度の緊張で硬直し、心は動揺しきっていた。頭が思考停止に陥らないようにするだけで精一杯になる。

「大丈夫ですよ」

 リンの肩にそっとイリーウィアの手がかけられる。リンはハッとした。彼女はいつの間にかリンの傍に寄り添うよにして立っていた。

「私がそばにいる限りあなたの身に危険はありません。体の力を抜いてリラックスしてください」

 イリーウィアがリンの耳元で囁きかける。それだけでリンは心が落ち着き、体から緊張が抜けていった。

「闇雲に剣を放つだけでは当たりません。敵のどこを狙うかもっとはっきり意識するんです。指輪の光を相手に向けるといいでしょう。集中して」

 イリーウィアの声はこの差し迫った状況にもかかわらず微塵の焦りも動揺も感じられない。リンはイリーウィアの触れた部分から体の強張りが抜けていくのを感じた。

(不思議だ。イリーウィアさんがそばにいるって分かるだけで心が落ち着いてくる)

 指輪が強い輝きを放つ。光の線はキマイラの頭部に照準を合わせる。

(つくづくユヴェンとは真逆だな)

 リンはそんなことを心の端で考えた。

 キマイラが突進してくる。牙をむいてリン達に躍りかかる。

 リンの指輪が強い輝きを発した。指輪から放たれたヴェスペの剣は今度こそキマイラの額に突き刺さり、頭部から胴体にかけて真っ二つに切断した。



 真っ二つに千切れたキマイラの死体が転がっている。キマイラは両断された後もしばらく苦しみにのたうちまわっていたが、やがて出血多量から事切れたように動かなくなった。

 イリーウィアの肩に乗っていたペル・ラットが「キィ」と短く鳴くと、飛び降りて駆け出す。崖の端っこで震えていたペルラットの方も自分の同胞がいることに気づいて駆け寄る。二匹のネズミ型魔獣は互いの鼻を突き合わせてお互いを確認した後抱き合い、再会を喜び合った。

 リンはヘナヘナとその場に座り込む。

「大丈夫ですか?」イリーウィアが背中を支えてくれる。

「はい。なんか力が抜けちゃって」

「頑張りましたものね。あとは私がやりますのでそこで休んでいて大丈夫ですよ」

 イリーウィアは優しく微笑むとリンから離れて横たわっているキマイラの死体に向かった。

 彼女はカバンの中から粘土の人形を取り出すと呪文を唱え小人を作った。小人にはキマイラの死体を解体するように命じる。小人は包丁と布を使って手馴れた様子でキマイラを解体していく。アイテムになる部分は傷つけたり、血で汚れたりしないよう布で巻いた上で慎重に切り取っていった。

 リンは魔力の著しい消耗、張り詰めすぎて疲れきった神経、ピンチを切り抜けたことによる脱力感でしばらくはしゃがみ込んでいた。その間はずっとぼんやりしながら彼女の作業を見ているだけだった。



 リンの体に活力が戻ってきたのは、イリーウィアが解体したキマイラの死体からアイテムを抜き取ってリンに手渡した時だった。リンはそれらの戦果を見てようやく勝利の実感が湧いてくる。

 キマイラから獲得したのはライオンの牙とたてがみ、蛇の頭部と毒牙、ヤギの体毛と蹄などである。

 彼女によるとこれらのアイテムはいずれも魔術の薬や魔法の衣服の材料として使え、 塔の市場で売ればそれなりの値段になるとのことだった。

 リンとイリーウィアは戦果を山分けした。

「いいんですか。半分ももらっちゃって」

 リンは自分の力で勝ったようには思えなかった。ほとんどはイリーウィアの力添えのおかげだ。

「いいんですよ。これはあなた自身の力で手に入れたものです。なかなか見事な太刀筋でしたよ」

 リンとイリーウィアは今日の狩りを終えキャンプ地へと向かっていた。

 先ほどまでと違い彼らの後ろには小人がアイテムを入れた袋を抱えながらついてくる。リンは小人をまじまじと見た。顔はのっぺらぼうのようで表情がない。身長100センチにも満たない。無口でただ淡々と作業をしているという印象だった。

 イリーウィアによると彼らは一体につき一つの特技しか持ち合わせていないのだという。この小人は魔獣を解体するのとアイテムを持ち運ぶことしかできない。

「小人は技能に融通が利かない上に歩く速度が遅いので使用をあまり好まない人もいます。私は力持ちで可愛らしいので重宝していますがね」

 確かに手に入れたアイテムを持ち運びながら森を歩くのは少しばかり骨の折れる作業だった。そういう意味で小人は歩くスピードが遅いものの抱えきれない荷物を運んでくれて便利だった。

 ただリンは彼女の可愛らしいという言葉に少し引っかかった。リンからすれば淡々と魔獣の死体を解体する小人は少し不気味だった。

「持ち運びできるアイテムの数は限られているので不要なアイテムは捨てて先に進むのですが、まあ今日はここまででいいでしょう。初めての狩りでキマイラなら上々だと思いますよ。今からキャンプ地に向かえばちょうど集合時間になるでしょう」

「イリーウィアさんはいいんですか? なんだか僕のことばかりじゃないですか」

「私の場合、もうブルーエリアの魔獣については一通り遭遇しましたからね。今回はリンが森のことについて勉強するということでいいと思いますよ」

 リンとイリーウィアには小人の他にもう二匹ほど従者が付いていた。キマイラから逃れた二匹のペル・ラットである。二匹はすっかりリンとイリーウィアになついてしまった。今は一匹ずつそれぞれの肩に乗っている。傷を負って治癒された方はイリーウィアに、キマイラによって崖に追い詰められていた方はリンにそれぞれ懐いていた。

「珍しいですね。ペル・ラットは人を怖がる生き物なのですが」

「どうしましょう」

「いいんじゃないですか。このまま連れて行っちゃって。魔獣をペットにしている魔導師は結構いますよ。私はせっかくなので飼ってみようと思います。リンもその子を飼ってみてはいかがですか?」

「はあ。じゃあ飼ってみます」

「ふふ。お揃いですね」

「……」

 リンとしては問題なかったがこの二匹は離れ離れになっていいのだろうか。二人は身分が異なり、本来異なる世界の住民である。

 しかし二人が一緒にいられる時間が極めて限られていることなんてネズミ達には理解の範疇外だった。彼らは二人を仲のいい姉弟か何かと思っているのかもしれない。

(イリーウィアさんはどう考えてるのかな)

 リンは彼女の表情を眺めてみたが彼女はいつも通りニコニコと余裕のある笑みを浮かべているだけだった。

 しばらく歩いているとリンとイリーウィアの目にうっすらと立ち昇る煙が見えてきた。

 キャンプ地で起こしている焚き火の煙だ。やがて近づくにつれ地面に立てられた旗やのぼり、テントやかまどまで見えてくる。

 人の声が聞こえてくる距離まで近づくと、ペル・ラット達はリンとイリーウィアの衣服に潜り込んで隠れた。



                   次回、第38話「2日目の組み合わせ」

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