23 鍛冶神 その5
勝利なりの気配りが裏目に出た。
百合音に事実を教え苦悩させるより、今夜の安眠こそ彼女には必要な筈と。そう思っただけなのだが。
「あ……、と。ゆ、百合音ちゃん?」
「どうせ私は、部外者です。わかってますよ、そんな事は!!」
「百合音ちゃん、俺の話を!!」
「一周さんは……」
「百合音ちゃん!?」
「一周さんは、私と同じだと思っていたのに!!」
泣き声で話す憤懣を最後に、少女との通話は切れた。
時刻とアイコンが表示されるだけの画面を眺めつつ、勝利は凍った表情で自身の行為を責める。どもった事ではなく、嘘で丸め込もうとした思いつきの方を。
かけ直すべきか否か、判断に迷った。しかし、事実を看破した者に今更何を言えばいい。
(不器用だな、勝利は)
内なる勝負神が、勝利の声で思考に割り込む。
珍しい事もあるものだ。普段は、人にも神にも世界にさえ無関心で、数歩下がったところから情報を共有するだけの高位神が。
(女の子って、どうしてあんなに勘がいいんでしょう?)携帯端末を台の上に置き、勝利は胡座をかいた姿勢で溜息と共に項垂れる。(確かに俺も不自然すぎましたが、それでこっちの狙いまで見抜きますか? 普通)
(緑の縫修師に拒絶されたばかりだからな、彼女は。空気の変化に敏感になっているのだろう)
「でも……」と、体を使い敢えて発声する。台に乗せてあるメモと菓子を受け取ってから、まだ十分程度しか経っていなかった。
友好度の上昇に気分が上向いた直後、怒りの感情を投げつけられコミュニケーションを断たれてしまった。今夜のジェットコースターは、特別意地悪だ。
(俺、未成年の子……、というより、女性がよくわかりません。折角、彼女の方から番号とか教えてくれたのに。もう仲直りできない気がしますよ)
(……面白いな、性のある命の世界は)
(え、えと、勝負神。それは……?)
勝利は、反応に窮した。話の飛躍についてゆけない。
何故か、いつもの他人事とは違う雰囲気がこちらにまで流れ込んできた。そのぬるぬるしたものが感情の欠片と気づいたのは、浮遊する不二がメモに視線を落とした時だ。
しかし、変ではないか。神々の世界にも、女性神、つまり女神が存在している。勝利の内でミカギや君恵を見知った勝負神が、彼女達を除外する理由が何処にあろう。
その疑問を読み取ったのか。彼の神が、勝利の疑問に触れた。
(赤の縫修師のあの外見は、神造体が形成している容姿と体格だぞ。器の中にある神自体は、純化した、言わば光と神格の祝福体だ)ここで、勝負神は一度区切る。(生き物が持つ性別とは、根本的に違う)
(違うんですか? まんぼう亭には、男神と女神の両方がいるのに)
社交的なミカギとあまり笑う事のないライム。その二人を、性格と外見の両面でつい比較してしまう。
ミカギは、間違いなく女神だ。陽光に彩られた金髪の光域神で、やんちゃな黒組、冷静さと気配りの緑組に対し、無駄話の少ない良い仕事ぶりを見せる。
それが鋭利な刃物と映らないのは、無口なチリを補っている彼女の特長なのかもしれない。
ルビーの虹彩を戴く美貌に、形の良い唇。凹凸激しい体型は、人々の崇拝の対象になるレベルと言ってもいい。
実際に彼女目当ての客が男女を問わず何人かおり、頻度こそ低いが、来店するとミカギばかりを目で追っていると聞いた事がある。
だが、誰一人声をかける度胸のある者は現れない。青年神のチリがしっかりとガードしていれば、尚更か。
一方のライムは、と思考を切り替えた途端、勝利の血液が一瞬のうちに体内で沸騰した。寒くもない室内で自身の上半身に両腕を巻き、息を整える中で静かに放熱する。
感情の制御がきいた冷静さは、彼の基本だ。
ウェーブのかかった、肩にかかる茶色の髪。春の歓喜たる新緑の虹彩。その緑は常に眼鏡が保護しており、睫毛もまた、眼鏡越しにしか見る事を許さない。
やや痩せ気味の長身。無駄のない優雅な仕草。それら全てが、彼の為に造られている美の器が生み出しているものだ。
あの神造体の内に、器を必要とした本当の緑の神が存在している。
勝利も、その事を知ってはいた。人間社会に溶け込む為、彼等神々は人間を装う事を選んだという話も。
ただ、未だ疑問を拭い去る事ができずにいる。本質を反映しているが故のあの神造体の外見、といつの間にか勝手に決めつけていた。
しっくりくるのだ。その解釈で納得する方が。
「生き物のそれとは違う」とはつまり、「何らかの違いは存在する」という意味でもある。
(どう違う? 俺達とライムさん達とで)
例えば……。
男性の特徴を残したまま、既知の紳士の容姿と体格を若干中性的な方向に傾けてみる。神美の強化など人間ごときには困難な為、勝利の想像力で「傾ける」となると、中性化の方向に進むのは致し方ない。
ライムには、緑萌える森がよく似合った。
黄金の腕飾りと足飾りをつけた彼が、何故か眼鏡をかけたままの全裸で川の流れに両足首を浸している。
光が小川の流れを成す中、一人の男神が近づき背後から抱きしめた。紳士は、そこでようやく眼鏡を外す。
「ダブルワーク……」
甘い声で呟くのは、最も近しいパートナーの名だ。
「ライム……」
応えるように、精悍な容姿の男神が紳士の顎に右手を添えた。裸体の上半身が反り返るよう、背後からライムの姿勢をゆっくりと導いてやる。
「待った待った~!! やめやめやめ~ッ!!」
大声で喚いた直後、慌てて口を両手で塞ぐ。
我に返れば、ここは江戸川区にあるアパートの一室だった。ライムとダブルワークは怪しげな妄想の産物にすぎず、「どうした? 主」と武装した小ヴァイエルが勝利の顔を覗き込んでいる。
正直に明かした。
「勝負神と話をしていたんだ。もう終わったよ」
「何かについて決裂したのか?」
「いや」と、赤面しつつ「そっちは雑談の類」と軽く触れるに留める。
ふと、真顔に戻って、隣人が出す物音に耳を傾けた。
窓が開く気配はなく、勝利の携帯端末も静かなものだ。
「湖守さんに話さないとな。百合音ちゃんと、こんな事になったって」
「やむを得ない、主。優先すべきは、明日の工房行だ」
「……そうだな」
不二をリングに戻し、勝利は明日に備え寝る事にする。
布団の中に潜った途端、瞼の裏に再びライムが現れた。しかも、何故か妄想した方の姿で、お邪魔な恋敵付きなところまできっちり再現してくれる。
ふと考えた。縫修師としての役目を終えた後、ライムは今使っている神造体をどうするのだろうか、と。
鍛冶神が造ったという、あの容姿と体格の器を。
百合音が拗ねるのも当然だ。人間と神々の境界は残酷な断崖として両者の間を分断し、彼らは高貴で清浄な存在としてあまりにも遠いところにいる。
隣に立つになど分不相応、と理解していた。故に、せめて見る事が許される距離にいたい、と願う。
息苦しい思慕の念を抱いたまま、少しでも長く、と。
そう。例外なく、人間の方が先に死ぬ。勝手に慕い先立つからこそ、神々と出会った後の今この瞬間には宝石にも等しい価値がある。
「同じだよ、百合音ちゃん」彼女に言えなかった言葉を、勝利は布団に呟く。「同じなんだ。君と俺は、ね」
-- 「24 工房に繋がる道」 に続く --
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