17 見せてはいけない  その3

 縫修機チリの球状モニターには、獣型吸魔の青い炎が表示されていた。寒風に研磨される星空の中で、移動中の飛行体は一際異彩を放つ。

 黒い炎を束ねたように見える吸魔だが、その全身が常時黒一色という事はまずない。内なる炎を放出する場所を最低一か所は体表に備えている為、常に若しくは時折、不定形の青い炎が黒い体から噴き出るのだ。

 その炎形は夜空に明るく浮かび上がるものの、激しい負の感情を帯びている分、美しいが目を背けたくなる悲哀の形を描き出していた。

 下界の人間には目もくれず、闇の魔物はひたすら風を切って先を急ぐ。まるで、破壊や汚染の呪いをかけたいが為に夜空を駆けているかのようだ。

 ミカギは、一刻も早く彼を助けてやりたかった。

 しかし、縫修師の情熱に反し、現実はそれが困難である事を赤の二人に告げている。

「やってくれるわね。あの白スーツ……」

 吸魔とチリ。両者の間には、距離だけでなく高度差も大きくついていた。光点の位置は、正面というより頭上と言ってもいい。

 至近距離から追跡を始めたダブルワークでさえ、敵と同じ加速で肉薄する事は叶わなかった。つい先程まで白スーツと対峙していた赤の縫修機では、スタートとゴール地点も同然の開きを今更どうにかできる筈もない。

 今日の出現中に縫修を行う事など、ほぼ不可能だ。不本意な結論の書かれた意識のボードを、ミカギは蹴り砕きたくなる。

「それにしても、変じゃない?」

 不死を持つ縫修師の中で、違和感が募った。遅れて追跡を始めたのだから、チリとの間にある距離は当然の結果だ。

 しかし、同位置にいたダブルワークでさえ追跡が困難というのは、一体どういう背景あっての事なのか。理解に苦しんでしまう。

 縫修専用ヴァイエルには、あらゆるタイプの吸魔に対応できるよう、吸魔の能力よりも数段勝るものが鍛冶神により与えられていた。それは、過去の縫修全てで存分に発揮され、刺接点の制圧は、緑、赤、黒、全機が例外なく成功している。

 それが、今回に限ってこの有様だ。

 縫修専用機が、縫修の前段階で対象に振り切られようとしている。

『同じ事を考えていた』チリの口調に感情が編み込まれてゆく。抱いているのは、困惑と、幾ばくかの怒りか。『速すぎる、あの吸魔は』

「打つ手無しとか癪だけど。見送りができるだけでも上等って感じね」

 魔物の持ち時間は、そろそろ五分を切りつつある。

 一部の時間を奪われた事で、吸魔の存在はこの地上では三〇分しか維持ができくなっていた。それを自覚しているが故、三〇分が経過する前に魔物達は逃れるのだ。

 闇世界へと。

 天界の代わりとして創造されながら、同じものにはならなかった、やはり歪な異世界へと。

『念の為、地上への急降下には備えておく』

「そうね」赤の女神は、一度だけモニターの下方に視線を落とした。長い睫毛が下がる。「このまま担当は私達って事になるんでしょうけど、どうする? あの速さをどうにかしない事には、再戦の機会を得ても縫修にまで持ってゆくのは骨でしょう」

 呼吸三つ分程の間が、置かれた。

『ああ』その後に、チリが短く肯定する。『ダブルワーク、スールゥー、誰が担当しても、今のままでは結果は同じだ。あの飛速を封じない限り、今の縫修機の能力では刺接点の制圧はできない』

「策、策……。何か必要よね?」

 星々よりは大きな光点が、球状モニターで孤独に輝く。

「白スーツとの戦闘ならまだわかるとして。縫修専用機が縫修をやらせてもらえないなら、私達が何かを変えなくちゃ」

 ミカギの脳裏に、ふと勝利の明るい笑顔が浮かんだ。

 確かに、確率操作で対応できない事もない。

 しかし、その対応の仕方では、縫修機としての不足部分はそのまま放置という事になる。当然、その機体の不足を補う為に確率操作は乱発使用が前提だ。

「バカな」と、ミカギは独りごちる。

 そもそも、確率操作の乱発を承諾する勝負神なら。対白スーツ戦でスールゥーの両腕が失われかける事態は回避できたろう。

 勝利の目を通し全てを見ていながら、縫修を諦めた二機の神機に今尚助力を惜しんでいる。

 現実的でない考えを破棄し、ミカギは敢えてパートナーに尋ねてみる事にした。

「チリ。あなた、今よりももっと高いレベルの力が欲しくない?」

『欲しい』返ってたきのは、短くも明確な即答だった。『不二はよくやってくれるが、やはり自分の身は自分で守りたい。役割を果たせない縫修機でいるのも嫌だ』

「わかるなぁ……」それだけを呟いて、ミカギは下方でも後方にあたる仲間の様子を気遣わしげに見下ろした。

 白い機体が小さな敵と対峙し、その動きを止めている。今日一番に縫修機として屈辱的な敗北感を味わったのは、彼だ。

「最高神格といったって限界まで能力を引き上げた、とかいう話じゃないし。辛いわよね」

『もしかしたらスールゥーは、その話をしているかもしれない』

「向こうで?」向こうとは、鍛冶神の工房の事だ。

 それはあり得る、とミカギも思った。

 何しろ両腕修復の為に、スールゥーとツェルバは件の工房に滞在中なのだから。機会など改めなくとも、現状の能力差を損傷の度合いとして突き付けている今こそが、交渉の好機ではないか。

 勝気が勝る少年神の気性は、更なる力の付与を求め、あらん限りの言葉と意欲で鍛冶神に訴えかけるだろう。

 ミカギも願いたかった。チリ達に今以上の能力を与えてほしいと。

 吸魔は人一人襲う事なく、遂には夜空に穴を穿って消えた。

 ダブルワークとチリを突き放し、闇に逃げるまで二九分。神々にとって、それはかつてない敗北の形となった。

 無口なチリが重苦しく黙し、ミカギは唇を噛んで感情が言葉として暴発するのを避ける。

 チリが上昇から降下に転じた。ダブルワークと合流するのが狙いだ。

 あの吸魔が襲撃と逃走を繰り返し始めたら、今の縫修機達では被害の増加を食い止められない。

 来るのだ、その日は必ず。

 湖守を説得し、鍛冶神に会わねば。強い危機感と共に、ミカギは「湖守さん」と呼びかけた。



           -- 「18 見せてはいけない  その4」 に続く --

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