13 赤と黄金  その2

「つい、さっき……?」

 曲げられた白く硬質な中指に左手を添え、勝利はよろける自身をかろうじて支える。

 体に力が入らない。そんな勝利を掌に乗せたまま、機体が垂直に上昇を始めた。

『ああ。襲われた男は変異を終えている。B系吸魔に、な。……もう疑いようがねぇ。あの白スーツにとって人間は、単なる無力な獲物って事だ!!』

「獲物……」

 ダブルワークの言うB系吸魔とは、四肢と頭を持つ獣型吸魔の略称だ。人間の少女・百合音と女神・君恵も、このタイプの魔物として一時はライム達の敵に回った。

 時を奪われた事で、時を奪う怪物となる。吸魔とは、残酷な連鎖を地上に広げる不可視の怪物だ。

 見える者は、神々、そして勝利のように三日吸いの被害に遭った人間に限られるという。

 あの白スーツは本当に、何の躊躇もなく人間を狩り、時を奪う魔物に変えているのだろうか。

『いい加減、受け入れろ』ダブルワークの声が、勝利に対する苛立ちを含んで雑に上がる。『あの白スーツにチビ助達への思いやりがあったところで、所詮は身内贔屓の産物だ。奴は、この地上世界に害しか及ぼさねぇ。奴が人間を襲いさえしなけりゃ、三日分の過去を奪われる被害も、吸魔が人間を襲う悲劇も生まれねぇんだ』

 勝利は項垂れ、反論の代わりに「不二」と呼びかけつつリングを夜空に放つ。

 直後、勝利の体が光の球に包まれた。巨大なヴァイエルは、光球を体内に取り込む事で縫修師以外の人間を機内に収容する事ができる。

 勝利にとって馴染みの場所になりつつあるその空間は、縫修師に多くの情報を提供するオペレーションルームだ。同席すれば、映像と音声など様々な情報を搭乗しているヴァイエルから得る事が叶う。

 ライムは既に、専用シートに身を預けていた。

 全方位を表示する球状モニターが、移動の開始を告げる。下方に映し出されている市川の夜景が次第に縮小され、前方から後方へと押し出されて消えた。

 顔を上げれば、左側には巨大な赤いヴァイエルが映っており、同じ速度で飛行している。

 一方、右側のモニターで常時小さく光を放っている点は、ヴァイエル化した不二だ。

 上空には満天の星々が冬の星座を幾つも描き出しており、その冷たい瞬きが大小二種から成る三機の神機隊を見下ろしている。

 夜空を駆けるヴァイエル達は、誰もが知る星座の偉容にすら勝った。

 神話に出てくる人や獣、人の英知を示す道具の形は、おそらくヴァイエルが誕生する前から地球の空を満たしていたに違いない。

 しかし、赤いチリは夜空に太陽を出現させ、ダブルワークは星座に組み込まれていない星々の美しさまでもを機体表面に溢れさせる。

 巨星機、そして群星機は、その存在自体が神々の祝福から成っていた。

 見ているだけで、勝利の内に勇気が湧いてくる。

 伝わるだろうか、獣の吸魔にも。奪われた者を救おうとする神々の決意が、ダブルワークとチリをこの姿にしているのだ、と。

 来訪者用シートに体を固定した時、隣席のライムが「君の目は曇った」と冷たく勝利に言い放つ。「情を逆手に取られ、闇行きの約束までされられた事を忘れたのか?」

「い、いえ」

 淡い思いを寄せる眼鏡の紳士に、二度三度と首を横に振る。

 覚えてはいた、はっきりと。引っかかっているのは、罠だと断定する行為の方だ。

 ゴズとの約束は、あくまで自身の自発的な行動の結果にすぎない。高ぶった感情を利用され巧みに引き出された、と解釈する事もできるが、それは同時に歪みをも生じさせる。

 もし、勝利が踏み出さなかった場合、ゴズ少年はあの場で消失していたからだ。

 スールゥー達に対する白スーツの激怒ぶりを見る限り、大切なものを失うかもしれない賭けに自ら手を染める男ではない気がする。

 心ある神々なら、皆気づいている筈なのに。

「では訊くが」ちらりと左に目を流し、ライムが勝利と目を合わせる。

 新緑色の虹彩が、暗所にありながらも自ら光を放っていた。ダブルワークとのリンクを果たすと、この輝きは更に増す。

「池袋上空に到着後、君は何の確率を上げたいと望む?」

「勿論、縫修のです。襲われた人が吸魔に変わってしまったのなら、早く人間に戻してあげたいです」

「現場には、白スーツもいるんだぞ」

「はい。それが……」何を意味するのか、そう尋ねたくなった。

「君は耐えられるのか? 白スーツと話したいが話せない、その時のもどかしさに」

「え……」

 自分の迂闊さに、勝利は眩暈さえ覚えた。

 ない話ではない。

 もし、勝負神の代理として確率操作を委ねられるとすれば、対象は縫修だ。それは、今既に決まっている事と言ってもいい。

 しかし、もし現場で白スーツを見かけたら。無視をし諦める事ができるだろうか。あの男神との対話を。

「今回、君の力は借りない」顔色で悟られたのか、ライムがぴしゃりと宣言する。「もし確率操作の必要を感じるのなら、勝負神が自ら動くだろう。私達は私達のやるべき事をするだけだ」

『そういうこった』ダブルワークも、言葉で冷や水を浴びせかける。『勝利。今回、お前の出番はねぇ。わかってるのか? 今のままなら永遠に、だ』

「そ、そんな……!?」

『もう着くぜ』

 思考の整理がつかぬまま、勝利は夜の繁華街を下に見る。

 明るい通りは本数が少なく、往来といっても人々は極端に一方向を選んで進む。新宿に比べると高層ビルは数が限られており、意外と暗所が目についた。

 ダブルワークとチリが減速し、空中の魔物と対峙する。

 そして、金髪を束ねた白いスーツの男とも。

『来たか』闇神は、何処か楽し気な様子で吸魔の右脇腹に手を置いて話し始める。『明日の朝まで時間が空いてしまったのでな。君達の相手でもしてやろうと、ここに呼んだのだ』

『ふざけんな!!』ダブルワークが、敵と認識している相手を怒鳴りつける。『そんな事の為に、人間を一人、吸魔にしたってのか!?』

『そうだ、と言ったら。どうする?』白いスーツの右袖が曲がり、自身を軽く指した。『怒りに全てを委ね、いっそ私を殺すか? 光域の神々よ』

 内部用に声を落とし、ダブルワークが勝利の頬を言葉で叩く。

『わかったろ!? 俺達と奴は、何処まで行っても平行線だ』



           -- 「14 赤と黄金  その3」 に続く --

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