63 三つのシンボル  その1

 普段はほとんど話さない赤の縫修機が、勝利を気遣い言葉を紡ぎ出す。それらは聞き手の心の奥にまで染み込んで、寒気に晒されている勝利の体を内側からほんのりと暖めた。

 込み上げてくるものを押し留めている勝利の両目が潤む。

「あ……、ありがとうございます」

 ミカギが、ついと帽子のつばを上げた。

「私だってやりたいわ。あの子にあ~んって。いつかその機会があるって事なら、楽しみよ」

 唇を噛みつつ、勝利は首肯する。

 もしかしたら、ゴズ少年を知る全員が再会を願っているのかもしれない。テーブルに両足を投げ出し次の一口をねだっていた、あの小さな客人との。更には、少年が傍にいる風景との。

 今でも思い出すのだ。少年がカルボナーラを頬張る、ほのぼのとしたあの昼の店内を。

 美味しいものが提供され、それを美味しそうに食べる者がいる。朝でも夜でも世界中のあちこちで見かける極ありふれた光景だというのに、ゴズ少年との食事だけが誰にとっても遠いものとなった。

 いつか、の再会を楽しみにしたいと勝利も思う。たとえ、それが罠だとしても。

『僕達からもお礼を言うよ』年下に聞こえるツェルバの声が、勝利の肩を軽く撫でる。『ありがとう。勝利は、僕達のお願いを聞いてくれたんだ。感謝の気持ちでいっぱいだよ!!』

『ありがとう、勝利』は、巨大な少年縫修機の声だ。

 とうとう堪えきれなくなって、勝利の顔がくしゃりと歪む。

 頭上のダブルワークが更に降下し、機体を水平にして上から右手を垂直に伸ばした。

『そろそろ帰るぞ。冷えただろ? まんぼう亭で熱いコーヒーでも飲もうぜ』

「はいっ!!」

 不二をリングに戻し、軽く握って礼を言う。

「ありがとう。お前が頑張ってくれたから、今回の事は全部上手くいったんだ」

 後は、ダブルワークの機械指が勝利をそっと摘むに任せた。白と緑のヴァイエル内へと招かれ、優しく微笑むライムの横で短い帰路を共にすごす。

「成功しましたね、縫修」勝利も笑顔を向ければ、眼鏡の紳士が「君のおかげだ」と勝利に礼を返す。「私は、君の行動に賞賛を送りたい。闇の神と異常事態を相手にしながらも、最悪の事態を見事回避したのだから」

「そんな……」謙遜ではなく、勝利は本音の表現として首を横に振る。「縫修を成功させたのはライムさんですし、あの子が助かったのは湖守さんと白スーツのおかげです。スールゥーを助けたのは、あの子でした。俺は……、ほんのちょっとお手伝いをしただけです」

「そうは言うが、君の果たした役割は大きい。確率操作などしなくとも、君の言葉が縫修を成功させ、あの少年を消失から救ったんだ」

「え……と、そう言ってもらえると、俺も嬉しいです」

 ただの人間は非力だが、何もできない訳ではない。今夜、その事実に一番驚いているのは、他ならぬ勝利自身だ。

 『勝負神の器』という一面にばかり重きを置いていた自分を、少しばかり恥ずかしく思う。『一人の人間』という勝利の一面は誇るに値するものだ、とライム達は指摘した。

 別の喜びが胸の奥を熱くする。

 大声で叫びたかった。「一周勝利は、人間である事が嫌いではない」のだと。

 まんぼう亭の屋上で七人が揃う。そこで、ツェルバとスールゥーは別行動になった。

「僕達は寄るところがあるから。じゃ」ツェルバが、両腕をだらんと下げたスールゥーに付き添い、屋上に残ろうとする。

「ま、あの損傷じゃな」片手を挙げて応えるダブルワークの表情が曇った。「自己修復だと時間がかかりすぎる。鍛冶神のところに行くから、二人共、今夜は戻って来ないぞ」

「鍛冶神、ですか」

 敢えて追求はせず、勝利はライム達と階段を下り、通用口のドアを開く。

 最初に迎えてくれたのは、店内に満ちた照明の光だった。

 続いて、鼻をくすぐる香りが勝利達を包み込む。気を回した店主がコーヒーと紅茶の準備を進め、皆を待っていたようだ。

 但し、営業中の店内とは少しばかり雰囲気が違う。音楽が流れていない分、複数の靴音は意外と大きく店内に響く。

「おかえり。勝手に飲み物の用意をしているよ」

 穏やかな湖守に促され、五人でいつものカウンター席に座った。

 出されたコーヒーの湯気に視線を落としつつ、勝利は「すみません。勝手に約束をしてしまって」と、開口一番、咄嗟の行動の件に触れる。

「気にしなくてもいいよ。あの約束の事でしょ?」ライムに紅茶を提供し、湖守が茶葉の片づけを始めた。「安心して、というと変な言い方になるんだけど。人間の君がした約束は、おそらく君一人を縛るだけだ。僕達神々への影響は、ほとんど考えなくてもいいと思う」

「そうなんですか」

 内心、大いに安堵する。元々持っている不運体質の問題もあり、否応もなく他者を巻き込む気まずさというものを勝利は嫌という程繰り返している。

「それよりも。約束とかは関係なしに、僕の中に生まれた僕なりの思いってものが、意外と大切だったりするんだよ。あの子にもう一度、それに二人いる兄弟達にも、食べさせてやりたいじゃない。僕が自分で美味しいと思っている僕のカルボナーラを」

「……料理人ですね」

「そう思う? 実は、僕もなんだよ」と、湖守は裏のない表情で笑った。

 昼間聞いた「仕方ないなぁ」が耳の奥で自動再生される。

 白スーツとの戦いが始まる前から、湖守の気持ちは既に固まっていたのかもしれない。闇の為に開かれる食事会への参加、という方向で。

「ただ。問題なのは、勝利君。君の寿命だ。今の体のその先、をきちんと考えないといけなくなったね」

「一周勝利の約束、だからですか?」

「そういうこった」と、ダブルワークが続きを引き受ける。「勝負神じゃねぇ。勝利の、意識と記憶を長く維持する事を考えねぇとな」

「でも俺、人間ですよ」

「……謀られたか。あの白スーツに」紅茶を一口すすってから、カップを持ったままライムが険しい表情に変わる。「この件、闇でもあまり時間をかけるつもりがないのかもしれないな」

「そんな気もするわね」

 ミカギがスツールに座ったまま体を捻り、ツェルバとゴズ少年が昼間食事をしていたテーブルに視線を送る。

 誰も使っていない夜の四人卓はどこか物足らない感じがし、勝利は長く眺めている事ができなかった。

「そういえば、君恵さんは?」

 尋ねる勝利に、縫修師ではなく湖守が「僕の部屋で眠っているよ」と答えた。「石塚店長に謝ってから帰りたいのだそうだ。和也君の記憶を残しているようだし、彼女の内側は少しづつ癒していくしかないね」

「はい……」

 できる事なら明日の朝、彼女と一緒に食事をしたい、と勝利は考えた。ライム達や石塚店長が皆と食事をする風景は、君恵にとっての救いになるような気がする。

 ゴズ少年を拒み、石塚店長に怪我を負わせた。その記憶が彼女の中に全て残っていた、としても。

 湖守が信じる、それが食事の魔法だ。

 音楽を奏でていない店内で、勝利は大きく欠伸をした。

「そうか……」ダブルワークが、ライム、湖守と顔を見合わせ、勝利にわかるよう上階を指す。「お前はもう寝ろ。俺が部屋まで連れて行ってやるから」

 暖かなコーヒーが五臓六腑に染み渡った途端、勝利の体は強烈に睡眠を要求し始める。君恵の事を提案しようとし口を開ければ、声の代わりに出るのは欠伸ばかりだ。

 ダメだこれは、と自分なりに悟る。

「おやすみ」、「おやすみ~」などと口々に別れの挨拶をし、神々が勝利を店外にまで送り出した。

 粘性の強い睡魔に逆らう事ができず、ライム達と別れた勝利はダブルワークに引きずられるような格好で三階に昇る。

 続く筈の記憶は、そこで途切れていた。

 ただ、優しい腕力がベッドまで導いてくれたような気もするのだ。

 あの絵の掛かっている私室のベッドにまで。



          -- 64 「三つのシンボル  その2」 に続く --

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