62 小さな約束 その2
白スーツが、背を向けたまま笑うように肩を竦めた。
「勝利君。君という存在は実に面白い」
「え……?」
問いかけに代わる勝利の一息を、闇神が無視し一歩分歩み出す。そして、ようやくミカギの前に片膝を突いた。
「さあ、抱いてあげて」
ぐったりとした少年を、ミカギが両手でそっと差し出す。
闇神が、下から掬い上げる形で受け取った。更に持ち替え、左腕だけで姿勢の定まらない少年の全身を支えてやる。
勝利やヴァイエル達を囲む白片と薔薇精の群れが、ざわっと震動した。
空いた右手の指先が、一瞬の躊躇の後、ゴズの頬に触れる。ゆっくりと顎の下、耳の横にと男が指先を滑らせてゆく。
生気の糸端でも探しているのだろうか。後ろ姿を見下ろす勝利から、微かに金髪が揺れて見える。
動揺が伝わっているのだ。滝を成す金糸にまで。
男の願い空しく、少年は虚ろな半眼のまま既知の者の顔が側にある事にさえ全く気づこうとしない。
「くっ……」
次第に、白スーツの指が細かく震え始めた。
十二月の夜風に、濁った喪失感が淡く滲む。勝利は、それを少年の兄弟達が放つ声なき嗚咽と受け取った。
人間の目には決して映らない二人の少年がその全身を悲しみで満たし、乾いた風を湿らせているのではないか。そう案じてしまうのだ。
白スーツは、尚も虫の少年を眠らせずにいた。自身の悲しみに飲まれて溺れ、今ならば止めてやれる少年の時間を無為に進めてしまっている。
「ゴズ君!! ゴズ君」気がつけば勝利は、白スーツの両肩を上から掴んだ格好で必死に呼びかけていた。「美味しかっただろ? あのカルボナーラ。またあれを食べよう。今度は、君の兄弟も一緒に。みんないるっていいよな。もし、誰かが欠けたら、俺は悲しいよ」
ライムの行う縫修は、絶対に成功する。それにより君恵が生還すれば、ゴズとの食事会に彼女を招待する事も叶う。
誰一人欠けてほしくなどなかった。ゴズ少年も、君恵も。
是非ともゴズに見せてやりたい。君恵まで加わっているみんなとの食事風景を。
「その時まで、今は眠ろう」
勝利の祈りが言葉に乗って、虫の少年の瞼をそっと押さえる。
それを合図と理解したのか、黄金の髪を持つ闇神が「眠れ、ゴズ」と唱え始めた。「眠れ。空間を司るお前の主が命じる。闇の気が満ちた世界が、目覚めの時にお前を癒すだろう。闇の輝きに抱かれて、眠れ。友が起こす、その時まで」
緊張を強いられた勝利の背筋に、神域の美声が畏怖と快楽を同時にもたらす。
これが、先程まで自分を見失っていた者の声なのか。
ライムやダブルワーク、湖守の声を聞いている印象に近い。生命や精神の上から降り注ぐ超越者だけに許された声質だ。
それは高位の者が振るう強制的な力を帯び、少年から体の主導権を奪い取った。
しばらくの間半眼だった少年の瞼が、次第に閉じられてゆく。
やがて、勝利の耳が寝息を聞きつけた。憔悴しきった表情のままだが、寝顔の中央からは確かな呼吸音が始まっている。
吸い、吐き、刻まれるのは規則正しいリズムだ。
「ああ……」
命じた男が、大きく項垂れる。
背後に張りついたまま、勝利は白スーツの両肩を言葉で揉みほぐしてやる事にした。
「良かったじゃないですか。これで、ゴズ君はいなくなにずに済みます」
「目が覚めた時に兄弟がいないのでは、ゴズが寂しがる。ビグニ、ガレダ、帰ったらお前達にも同じ事をしてやろう。兄弟仲良く、眠りながら時を待つといい」
傍らで聞いていた勝利は、改めて闇神の評価を上げる。
良い上司ではないか。結果としてゴズは消失を免れたのだし、狼狽によって行動が遅れるところさえなければ、味方にとって自分を預けるに足る立派な上位神だ。
風から痛みが取り除かれ、次第に気温なりの冷気に戻る。二人の兄弟が、嘆きの叫びを手放したからなのだろう。
バスケットの蓋を閉じ、ミカギも立ち上がる。そして突然、白スーツを軽蔑の眼差しで睨み据えた。
座ったまま帽子で顔を隠し続ければ良いものを、立ち上がり敵と目線を同じくする。素顔などというものは敵に隠すべきなのに。
「あっ」と注意を促す勝利を、彼女は「いいのよ」と制した。「ちょっと腹が立っているから。……あなた、仕掛けて約束させたわね? 何も知らない勝利に」
「仕掛け? さて、何の事だか」頭を動かさず、白スーツが繰り返す。
話の見えない勝利は、険悪な雰囲気の男神と女神を見比べるのみだった。
一歩進んで、闇神の横顔を覗き込む。
そして気づいた。男の口端が小さな窪みを穿っている事に。
真一文字の口は線が少しばかり長めで、何かの感情を噛み殺していると受け取れなくもない。
『勝利』安堵に悔しさを編み込んだ声で、ツェルバが絞り出す。『勝利は、闇と関わる約束をしちゃったんだ。何千年後か、闇との戦いの前か後か。いつ、どんな時に果たしてあげられるのかも全然わからない約束を』
『そいつはきっと、勝利がじれったくなるまでわざと黙っていたんだ』スールゥーまでもが、残念そうに息を吐く。『もし、勝利が言ってなかったら、きっと僕達が約束してた。そういうずるい仕掛けだよ』
「違うな。最初から狙って仕掛けた事ではない」快活な声で白スーツは否定から入る。「しかし、食事の約束など償いとしてはかわいいものではないか。本人は至って乗り気だ。その時、まさかこの人間一人を闇に行かせたりはすまい。三兄弟と勝利君の食事会に加わってくれるのは、神々のうちの誰なのかな?」
「あーっ!!」大口を開けて叫ぶ勝利を横目に、白スーツがくいっと首を軽く捻る。
まず白片と薔薇精の全てが、勝利の視界から消滅した。
続いて、闇神が自身の左半分のみを異空間にねじ込む。空間の裂け目を敢えて作らず、空間神として持つその特殊な能力で異界に去ろうというのだ。
『てめぇ……!!』ダブルワークの声が怒気を纏い、上空から闇神を言葉で殴りつけんとする。『そこにいろって!! 今からてめぇをぶっ飛ばしに行く!!』
「また会おう、一周勝利君。そして光域の神々よ」
白スーツの印象的な美貌が、虹彩まで白い両目が、膝まで延びた長い金髪が、ゴズ少年と共にヴァイエル達の掌の上から完全に消える。先程までとは違い、凍った勝利達の前に再び現れる事はなかった。
「俺、また何かをやらかしましたね……」掌に汗を浮かべ、勝利はミカギ、チリ、スールゥー、そしてダブルワークへと視線を泳がせる。「もし、みんなを巻き込んでいたら、大変な事です」
頭上から、縫修を終えたダブルワークが降下する。
白と緑の機体から伝わってくるのは、成功させた者のみが醸し出す充実感と自信だ。
彼の女神の体は、ライムが選んだ何処かに人の姿を真似た神として転送されているのだろう。もしかしたら、日が昇る前に再会できるかもしれない。
ゴズ少年も消失を免れ、ほぼ全ての問題が解決したように思える。
ミカギ達の言う、誘導によってさせられた約束の件を除いては。
そのミカギが、繰り返し首を横に振った。
「今のは、勝利君が悪いんじゃないわ。もしあなたが言い出していなかったら、ツェルバかスールゥー、私達の誰かが声をかけていた。小さな存在を引き留める為にね」
『ミカギの考えに賛成だ』相方の後を受け、チリが続ける。『あの子に闇の命令が届いたのは、命じられる前に「カルボナーラ」と「みんな」という言葉を聞いたからだ。眠りを命じるのは遅すぎた。でも、あの子は眠った。間を繋いだのは、人間の優しさと強さだ』
-- 「63 三つのシンボル」 に続く --
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