54 欠けていたもの

 神々の声が絡み合い、ヴァイエル達が衝突音を起こす。それら、勝利の表皮と鼓膜を振動させる音の全てが、脳で速やかに処理される事を拒絶した。

 突然勝利を囲んだ無音の世界で、張りつめた空気だけが剥き出しの皮膚を刺激する。心臓の拍動さえ遙か遠方に感じつつ、勝利は強ばった顔を無意識に小さく振った。

 繰り返し繰り返し左右に、と。

「ちぃ、ちが……、違います……。そん、な……じゃ、なく……なく」

 ライムから目を反らし、事実とは真逆な言葉で否定をしにかかる。滑稽な程、呂律が回らなくなっていた。

 勿論、澄み切った緑の縫修師に悪意など皆無だ。

 勝利を鎮めたい。その一心で「自分を取り取り戻せ」と揺さぶりをかけているだけ、と理解はする。

 しかし、正鵠を射る短めの言葉は、冷水というより冷たい刀剣だった。

 我に返る領域を通りすぎ、耳が聞こえなくなる程打ちのめされる。

「だって……」

 小さな不二が、本格的な対闇の現場で実によい仕事をしている。勝利は最初に指示を出したきりだ。

 機外にいるミカギさえ、虫の少年が入っているバスケットを必死に護っていた。少年の兄弟に決して手を上げずにいるチリの辛抱強さなど、表彰したい程のレベルにある。

 元君恵の吸魔に縫修をせんと、ライムとダブルワークが果敢に戦いを挑んでいた。子供と思っていたツェルバとスールゥーは、勝利と不二の名を白スーツの前で決して口にはせずにいる。

 そう。勝利だけなのだ。全てが不利に見える闇色の空で、当事者の枠外に一人棒立ちしているのは。

 できる事なら、今すぐにでも白スーツと話がしたかった。

 少年から翅を奪った者として。更には、少年がツェルバ達を友達のように思っている、と確信した者として。

 ライムが触れている右腕が、熱い。本当に熱を帯びているかのようだ。

「勝利君。君は今、ヴァイエルが戦う戦場の空気に当てられているんだ。不二はよくやっている。何故だかわかるか? それは、君が彼を信じ任せているからだ」

「俺が……」

「そう。そして、彼と私達の全てを見守っている。同じ現場の空気を感じながら」

「でも、それだけじゃあ……」勝利自身は物足らない、と言いかけるがやめにした。

 勝負神の代理を外されるのであれば、勝利はただのちっぽけな人間だ。神々の世界で一定の成果を上げたい、など分不相応な願いにも程があろう。

 しかし、その考えは違う、とライムは告げている。

「勝利君。今の君は、こうしてダブルワークの中にいる事に意味がある。不二の主として、勝負神の代理として、少し堪える事を学ぶんだ。たとえ君のやるべき事があったとしても、今の君の浮いた状態では、願う思いが絡まるだけだ。上手くゆく筈がない」

 滑らかな話しぶりに、残酷な断言が添えられた。

 彼だから遠慮がないのか。

 いや。たとえライムが飲み込んだとしても、パートナーのダブルワークが同じ内容の話をし、空回りする勝利を大いに落胆させただろう。

「間違っているのは、俺ですか?」

『正しいか間違ってるか、じゃねぇ。とにかく落ち着け、って話だろ』

 ダブルワークにも諭され、勝利はライムを見つめたまま悲しそうに唇を噛んだ。

「勝利君」眼鏡の紳士が、眼光に力を込める。「今の君にとって、一番の願いは何だ? 君恵さんを元に戻す事なのか? それとも、スールゥーを勝たせたいのか? 白スーツと話をし穏便に終わらせたい、という事も考えているのだろう」

 モニターに映る君恵吸魔の尾から、針状の炎が放たれた。

 身を翻して躱すダブルワークが、それでも避けきれなかったものを両刃刀で薙ぎ払う。

 勝利は、ようやく機外で盛んに音がする事実を思い出した。

 自分の愚かさ加減に嫌気がさす。欲張りだったのだ、と渇望が急速に冷え込んでゆく中ではっきりと悟った。

 ライムが小さく頷く。

「おそらく白スーツがこの場を支配している限り、君の内にいる勝負神でも多くの事象に同時介入する事は困難だ」そして、そっと添えていた手を離す。「改めて尋ねたい。今の君にとって、一番の願いとは何だ?」

「一番の願い、は……」

 冷静になれば、答えなど自ずと定まってくる。すっと息を吸った。

「君恵さんの縫修が成功する事です。でも、今の俺には代理を任せてはもらえません」

「そう。それが君の現実だ」

「だったら、代理ではない俺自身ができる事をしたいんです。……例えば、白スーツと話をするとか」

『おいおい』刺接点にピンを打ち込むと、ダブルワークが声音を下げ露骨に呆れた。『奴から漏れ出る力は、お前も覚えてるだろ。対面した途端に吸魔にされてお終いだ。話すってのは、その体を維持している事前提なんだぜ』

「んー」

『焦るな、じっとしてろ』

「はい」と答えはするものの、もどかしさに息が浅くなる。たとえ勝利が自分を取り戻しても、自身の役割を考え始めた途端、目前に大きく厚い壁がそそり立つ。

 状況は、ライム達に一方的不利を強いたままだというのに。

「済まない」

 ライムがモニターに向き直り、次の刺接点探しに戻った。

 その隣でシートに身を沈め、すっかり冷えた頭のまま勝利は思考を巡らせる。

 虫の少年を奪還され、スールゥーが敗北し、ライムが縫修に失敗する。勝負神は、本当に全てをよしとしているのだろうか。

 誰もが感じてはいるのだ。それは違う、と。

 勝利が唇を尖らせた時、『勝利君』とダブルワークの内に響くよう名を呼ぶ者の声がした。

 湖守だ。

『今、乃宇里亜がそちらに届け物をする。不二専用のシールドだよ。主たる君から、不二に伝えて欲しい。風を感じたら左腕を伸ばすように、って』



          -- 「55 声」 に続く --

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