37 誰の為にあるのか  その3

 勝利の口があんぐりと開く。突然始まったこの想定外の連続は、何故こうも今を狙って溢れ出そうとするのだろう。

 勝利も呆然としてしまったが、湖守の受けた衝撃に比べたらどれ程軽度に収まっているか知れない。不二による文字通りの機械的な受け答えに、まんぼう亭の主は、疲弊した心身で無体な硬直を強いられていた。

 数千年分の記憶を洗い直しているのか、微妙に定まらない視線が自室の空中を泳ぐ。

「……不二。君は、以前に僕と遭った事があるのか?」

 湖守の表情は、平素のものとは程遠い。湖守昇という存在の在り方が削げ落ち、失せ物の大きさに困惑している一人の不死神が、勝利の前に立っていた。

 藤色の小さなヴァイエルが、先程と同じように淡々と応じる。

「鍛冶神の工房で。不二は覚えている」

「その時、僕と君の他にも誰かいた?」

「鍛冶神と他にもう二人いたが、その姿は記憶から消去された。名については、全員のものが消去されている」

「二人…」

 一度口を噤んだ湖守が、既知の中から特に可能性の高い二人の組み合わせを高回転で絞り込んでいる。

 しかし、間を置いた後に「駄目だ、思いつかない」と呟いて目を閉じ、再び開く。「僕達が遭ったその場面は、おそらく『神々の喪失』前だろう。不二。君もその影響を幾らか受けているようだね。神々の全員が、喪失前に名乗っていた自分の名前を失っている。他人の記憶からも欠落しているその症状は、僕達と同じものだ」

「つまり。その時不二は…、まぁ、当時は違う名前だったんだろうが。姿と名前の両方を持った登録済み状態だった、って事か」

 ダブルワークの説を、ライムが「確かにあり得る話だ」と後押しする。「主従の契約は、名の存在に依存する。当時の名が失われれば、それは契約の強制解除と意味が同じだ。かつて主のいたヴァイエル。……勝負神縁の機体なのか」

 ライム達の話に耳を傾けつつ、勝利は自身の携帯端末を改めてじっくり観察する。

 レンズ周りのリングを外した事で無駄に大きく穴が開き、無色透明な端末カバーは出来の悪い周辺アクセサリーと化していた。

 昼間も思ったが、明らかにリングを差し込む事で完成するデザインになっている。

「あの…」ふとした疑問が、勝利の内で芽吹いた。「登録済みの小型ヴァイエルって、収納用の形を後から変えられるものなんですか? 神々の喪失前に、この携帯端末って存在してませんよね。不二のもう一つの姿、カバーに収納できるリングなんですけど」

「あ、それの変更はいつでも、どんな形にでもできるよ」湖守があっさりと小さな疑問の芽を摘む。「携帯用の形は、鍛冶神なら自在に変えられるんだ。鍛冶神なら、ね。ただ、勝利君の考えている通り、喪失前に誕生していた不二を今の時代に馴染む端末アクセサリーに変えたのは、極最近という事になる。ま、十中八九、昨夜かな」

「とすれば、だ」ダブルワークが、目前のヴァイエルにのみ存在する藤色の足首をしげしげと眺める。「不二が覚えている二人のうちの一人は、勝負神の可能性が大か? 鍛冶神は第一世代神で、『神々の喪失』前の記憶を残している数少ない神だ。もし、喪失前に勝負神と何かの約束を交わしていたとしても、覚えているし履行もできる」

「筋は通るな」頷いたライムが、それでいて今一つ釈然しない様子のまま更に付け加える。「だが、勝負神縁の登録済み機体から明らかに鍛冶神のものと思われる痕跡が読み取れる。勝負神という主が側にいながら、鍛冶神は何故そこまで積極的に干渉したのだろう?」

 そう。ライムの疑問は、勝利にリングが渡された経緯を知る者全員の疑問でもある。

 無縁ではないのかもしれない。黙している鍛冶神と不二の姿の関係は。

「現場で戸惑ったろうに。済まないね」

 仲介した者として、背負った湖守が今一度謝ろうとする。

「いえ。本当に、最初から形があって助かりました」

 半ば反射で手を振りつつ、勝利は頭の隅で別な事を考え始めていた。

 勝負神が不二と何らかの関係で繋がっている、という可能性について。勿論無いとは言い切れないが、勝利自身は、些か懐疑的に受け止めていた。

 突き上げを食らっていた時、勝利の内に流れ込んできた微かな、本当に微かな感情の意味を、今なら上手く変換する事ができる気がする。

 不二に対し、快も不快も抱いていない第三の感情。強いて言うなら、それは『よそよそしさ』というものだ。

 『エル・ダ』に続く固有の名まで覚えている勝負神が、もし過去に不二と契約していたのなら。より明確な感情の波が起こってもいいのに、と思ってしまう。

 でなければ、数千年ぶりの再会はあまりに悲しすぎる。

 加えて、もう一つ。

 勝負神に使用を禁じられた名の事が、脳裏を占める。

 心情的には、湖守やライム達に全てを話してしまいたかった。鍛冶神が必要な情報すら伝える事を怠るのなら、せめて新神の勝利は対照的な行動で湖守に報いたくなる。

 名付けの瞬間は猛烈な力で制止されたものの、勝負神からの制限は今のところ一切かかっていない。この件について勝利の好きにしてよい、という事だ。

「それで、湖守さん。まだ、あるんですけど……」

「質問かな」まんぼう亭の主が、「いいよ」と応じる備えをした。

「不二に名前を付ける時、何となくヴァイエルを捩った名前にしようと捻っていたら、勝負神に止められたんです。『その名は諱だ』って。あんな強い力で勝負神に止められたの、俺、初めてです」

「諱……」

 鸚鵡返しに呟く湖守の中で、とうとう負荷の許容量を超えてしまったのか。湖守の目元に黒い陰が差した。

 一方で、昼間、勝利と共に行動していたライムは、「神名乗りの時、そんな事が起きていたのか」と合点し頷きながら、当時の内なる衝突を柔らかな眼差しで労う。

 勝利は、思うままの行動を続ける事にした。衝撃の事実よりも、勝利が大事だと判断した言葉を今の湖守に聞いて欲しいばかりに。

「不思議な響きですよね、ヴァイエルって。過去に色々あるのかもしれないですけど。俺、不二って名前を付けたこのヴァイエルが気に入ってます」

「勝利君……」

「ありがとうございます、湖守さん。この俺に預けてくれて」



          -- 「38 夜に蠢く」 に続く --

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