03 闇の王  その3

 白く伸びた指の間から少量の砂が落ち、床に広がった銀髪を汚す。

「…鍛冶神の仕業か…」流石の時神も眉間に皺を拵え、穢れでも払うように滝のような銀髪を宙に浮かせた。「やってくれる」

 傍らで時神の様子を見守っている女神は、それを怒髪と受け止めた。

 時神の視線から、急速に好奇の輝きが失われてゆく。

「吸魔化した人間は、昨日の縫修によって全て失われてしまった。今回は、間を置かず増やさねばならんな」闇の王が、「空間神よ」とかつて同格であった神を呼びつける。

 白い柱の間から、白肌に金髪の麗しき男神が現れた。時神のそれよりもウェーブのかかった波打つ金髪を膝下までに留め、両方の瞼を閉じたまま、氷色の衣の下で膝を折る。

 空間神は、時神が最も信頼する側近だ。神々の喪失後、時神と共に光域を手放して闇を選び、生物も世界そのものも蠢くばかりだった闇に神の力をもたらした。

 時神を恐怖する虫や異形の類も、空間神を慕って近づく事はする。彼の人望なくして、闇は今の纏まり方を成しはしなかったろう。

 時神が闇の王なら、空間神は闇の柱だ。

「お呼びか」

 流石は聡い空間神、聞く前から用件の想像は済ませている顔をする。

「縫修機を追跡する為に、吸魔の存在が重要度を増した。地上に赴き、吸魔を増やして欲しい」

「それは構いませんが」と、空間神が但し書きを添える。「吸魔では、人と神の区別をつける事ができません。私にもう一手、お授けください」

 時神がほくそ笑んだ。

「お前も逢いたいのか? 一周勝利に」

「はい」と、男神が自身の好奇心について肯定する。更に続けた。「神造神に墜ちても、光域の神々は、我々闇の気配を纏う者の接近には敏感です。先程の下級神を籠絡する事ができたのは、素体として人間が使われていた為です。この手の神造体は最も低級ですから、こちらが慎重に接近しさえすれば、良い手駒が手に入るかもしれません」

「それでもアレは、心の隙を突けるようになるまで六年かかったわ」

 女神が苦労を強調した後、続けるつもりでいた言葉を咄嗟に飲み込む。

 多少の無理を強いてでも急ぎ連れて来るよう時神に促され、渋々この城に落としたというのに、たった数時間弄んだだけで時神は火を放ってしまった。それを批判したと映っては、次は我が身が危うくなる。

 しかし、時神は女神を咎める事などしなかった。

 目を細めて口端を上げ、一度は曇った眼に光を蘇らせ虚空を仰いでいる。いつの間にか、銀髪も全て床に下ろしていた。

 あの表情こそ、新たな遊びを思いついた時のものだ。

 時神が右手を上げると、白薔薇の葉の裏から三匹の羽虫が飛び出した。

 元々は、泣き喰い虫という異形の羽虫で、絶望に近い悲しみを抱く者に寄生する。大きさは、人間の頭程。それが、先程焼失した下級の少年神と全く同じ姿形を得、人の姿に羽虫の羽根を四枚背に生やした混在の外見でそれぞれが右手を胸に当てた。

 酷い話だが、時神は、拷問と実験を兼ね泣き喰い虫に少年神を与えてしまった。神因子を取り込ませる事で、次世代の虫が闇に住む者としての能力を高めつつ、地上に馴染み紛れる適性を備えさせる事ができるか否か。可能性を探る為の実験を行ったのだ。

 結果として次世代の卵は三個産み落とされ、全てが少年の容姿を持った闇の魔虫として三〇分で成虫となった。

 元は蜂に似た八本足の異形だけに、外見と気配で時神は大いに満足している。

「それらを連れて行け」体の横からゆっくりと右手を前に回し、主として、三匹に空間神という指揮官を教えてやる。「三日を取り上げた者らにつけていれば、鍛冶神なり一周勝利なりの動きが掴めるやもしれぬ」

「では、お預かり致します。しかし、その前に」と空間神が、三匹を厳かに指す。「彼等に名を与えてやってください。口はきけませんが、神との混合体として生を受けた者たち。彼等は、王の為に働く神造神です」

「そうであったな」時神は軽く首を捻った後、「左から、ビグニ、ゴズ、ガレダ、と名付けよう。空間神づきの潜行者。縫修師と一周勝利を探り当てる為の神虫だ」と宣言した。

 三匹の異形が、恭しく頭を垂れる。高位な神による名つげもまた、正式な神名乗りだ。

 闇の虫は、吸魔同様、人間には見る事が叶わない。その上、神因子が加わった事でどのような変化が起きているのか。連れ歩く空間神が、現地で初めて知る事になろう。

「では、地上に行ってまいります」

 そう告げ、空間神は金髪の虫、いや神類を従えて場を辞した。

 空間神の背を目で追う時神が、成果を期待し微笑する。闇の王という肩書きには似つかわしくない、高貴で見る者を陶酔させる表情であり、立ち姿だ。

 天井と言わず、無数に立てられた柱と床、それら全てが真っ白な空間で、闇による一つの企てが始まった。

 白一色の空間こそ闇の中心と知る者でなければ、長髪の男神と薔薇の組み合わせは、天上界の壮麗な一枚の絵と映ったろう。吸魔や三日吸いの発信地が清潔そのものの白一色で染め上げられているなど、皮肉と言うより他にない。

 女神から、時神の銀髪に押し出されたと思われる携帯端末の破片が見える。

 砂粒として白い城を汚す異物は、この部屋で最も高潔に生きようとした下級神の違灰に思えてならなかった。

 何を今更、と女神は自嘲気味に笑う。この城全体が違灰に覆われているも同然だというのに。

 時神は、遂に一度も女神の名を呼ぶ事はなかった。

 時神に従い、東京で潜伏活動を行っている神崎しゆうの名を。

 神格が下がって以降、かつての名を用い、また呼ばせる神は一人もいない。過去を切り落としながらも今ある現実を受け入れる事ができず、時が止まっているのだ。この城全体で。

 時の墓場に固有の名が響いたのは、数十年ぶりではないのか。

 名を与えられた神類以外で、繰り返し名を出された者がいる。

 一周勝利。

 羨ましい事だ。心話を一度使っただけの、海のものとも山のものともつかぬ新参者の分際で。

 捻れた感情の為、神崎の内面が次第に粘性にある赤黒い色を帯びる。



          -- 「04 不運体質」に続く --

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