33 仕掛け
まんぼう亭は、一日で最も店内が賑わう時間帯を迎えていた。茶化しつつもミカギが勝利に説明した通り、なけなしの収益はこのランチタイムに出る食事数が支えていると言ってもいい。
その為、湖守がキッチンから離れるだけで、即座に料理提供のペースが下がってしまう。かといって、三階にいる勝利の動向からは目を離したくないのが本音だ。
幸いにして、その両方を都合よく満たしてくれるアイテムが存在する。ライム達が使っているものと同型の携帯端末だ。
鍛冶神の手によるこの機械は、一見スマホと区別がつかない外観をしている。ただ、スマホに比べ軽量で、繋がる先も人間用だけではなく、湖守の会社が管理・運営している神々の為の独自ネットワークにも接続する事が可能だった。
心話と不老の能力を失っても不死の存在として地上にある限り、神々にも繋がる為の仕組みは必要となってくる。それを叶えたのが湖守の会社と鍛冶神だ。
一階の店から離れる事のできない主の為、乃宇里亜が気を回しているのだろう。命じた訳でもないのに、彼女は勝利とライム達とのやりとりを全てテキストに起こし、逐次ネットワークに上げている。
携帯端末の定位置となる調理台の端に愛用の品を固定し、湖守は料理する手を止めぬまま、次々と追加されてゆくテキストを器用に読んでいた。
この端末は、所持する事それ自体が、人間世界で湖守と接触した神の証となる。湖守は、端末の全てを本人に必ず手渡しする事にしており、縫修師と縫修機も例外ではない。
勝利の言動について、ミカギとチリも気になってはいる筈だ。
それを敢えて押し殺し、決して端末を手に取る事なく二人は店内サービスのみに集中している。アシスタントの身で悪戯に客の好奇心を刺激せぬよう、無難な行動を心掛けているのだろう。
「へぇ~」湖守は、五人分のパスタを同時に仕上げつつわざと感嘆の声を上げる。「こいつは、向こうさんの方が一枚上手だったかな」
ミカギとチリに届けんとして声に出した感想は、ライムが推理した勝率操作の件を短く纏めた言葉だ。
「そんなにまんぼう亭に来たかったのか」と付け加えておけば、二人には勝利が意図的な力を働かせていた可能性を伝える事ができる。
しかし、カウンターで料理を待つ男性客は、身近なネット情報の取得と捉えてしまう。湖守がキッチンで携帯端末をちらちらと見ている事には気づいているからだ。
「何か面白いネタでもネットにあったの? マスター」
そういう時に備え、湖守は事前に人間世界の新鮮な情報についても調べている。サービス業に携わる者として、抜かりはない。
「ええ。うちの店、特に宣伝はしてないんだけど、従業員の女の子の胸を隠し撮りした写真をネットにアップしたお客さんがいるみたいでね。別の評判が立ちかけてるんですよ」
店内が、どっと受けた。
「ああ、ミカギちゃんのプロポーションはインパクトがあるからね」と客達が話題に食いつけば、「それってセクハラ~」と笑顔混じりのミカギが唇を尖らせる。
先程よりも大きな笑い声が店内を満たした。客もミカギも、よく話に合わせ付き合ってくれる。
そんな人間が好きなのだ、と気づいたのは第二世代神となって間もなくの頃だった。鍛冶神の工房を出、人間の世界で一人、料理なるものを盛んに作るようになってから、湖守の周囲には老若男女が集まるようになった。
尤も、その頃から「湖守」と名乗っていた訳ではないが。
人の輪を殊の外快適に感じたからこそ、神である事を主張せずとも人間世界で居場所を見つける事ができたように思う。極めて幸運なケースである事は自覚している。
工房を出る時に持ち出しを勧められた鉱物で財を成し、表向き、人間には良質な住まいや料理を提供し、縁があって再び繋がる事のできた神々には携帯端末とネットワークを提供し続けている。全ては、二度と後悔をしたくないとの思いからだ。
吸魔との、いや、闇との戦いについても、湖守が鍛冶神を無理矢理巻き込んで今の体制を築き上げた。これは言わば、裏の仕事に相当する。
しかし、裏の仕事ばかりは順調と評価するには無理があった。現行の手法にそろそろ限界が見えつつあるように思う。
実際、思わぬ障害によって今日の縫修は失敗に終わってしまった。しかも、原因となっているものが格上の力だ。神機や異能では如何ともし難い。
結局のところ、勝利に残酷な現実を突きつけて理解をさせ、本人の内から協力的なものを引き出すしかないようだ。実に消極的な対策で、今後に大いなる不安を残す。
「う~ん」
話が終わっていないからと引き留めてしまったが、さて、過去を拒絶する勝利に縫修の話をどのように切り出したら良いものか。
ライムも考えを巡らせているのだろうが、湖守としては、もっと内側から激しく攻めてみたいところがある。
手を洗って、端末に触れる。テキスト入力を終えた乃宇里亜に、一つの指示を出した。
タイミングを見計らって、勝利に人間の嘆きの声を聞かせてやって欲しい、と。香の効果で仮眠をしているのであれば、感情を伴った音情報は無意識下で処理される。上手くいけば、夢への介入も可能だ。
一分と経たずに返信は表示され、椅子の倒れる音に紛れさせこっそり勝利の耳に送り込んだ、と書かれていた。
椅子の倒れる音ならば、誰の仕業か犯人の顔がすぐに浮かぶ。さては、ダブルワークがライムと衝突でもしたか。このビルの中では、年中行事のようなものだ。
理由は、縫修の話をどう伝えるかの方法論、或いは勝利に行う縫修についての方針。そのいずれかか、両方だろう。
ライム達にまで内緒というのは些か心が痛むが、事前の仕込みをした上で生真面目なライムに説得させる方法が、より高い効果を得られる気もする。痛撃の重ね打ちというやつだ。
勝利はすぐに混乱してしまい、その拒絶する様は話の腰さえ折る。しかし、縫修の失敗を繰り返す事は望ましくない上、時間の事を考慮すれば悠長な事も言っていられなくなる。
勝利の内に潜む第一神格の神が、鍛冶神づきの自分と接触したかったのであれば、願いは既に叶っているのだ。こちらが杯に注ぐ毒の一杯も、承知の上で呷ってもらおう。双方が望む良好な関係を築く事ができるか、否か。それは、向こうの出方にもかかっているのだから。
尤も、いずれ袂を分かつとしても、今更逃がす気などは毛頭ない。必ず今日、彼にも渡そうと考えている。神々の為に用意した携帯端末を。
「どうしたの? マスター。今にも鼻歌が出そうだ」
別の男性客が、カウンター越しにパスタの皿を湖守から受け取りつつ、微かな表情の変化を読み取ったらしい。
「今日のランチも美味しくできたから、嬉しくてね。みんな、いつも来てくれて、ありがとう」
「明日もまた来るよ」
テーブル席に料理を運ぶミカギが、「よろしくお願いします」と客達に微笑んで会釈をした。
当然の如く、胸もはきちれんばかりの挨拶をする。
客の帰ったテーブルでは、チリが皿とコップを重ねてゆく。彼の指の端が、はみ出したトマトソースの所為で赤く染まっていた。
「ふーん」
携帯端末の件に加えて、もう一つ。勝利を善意で包み込む企てが、湖守の腹の底に芽吹いた。
-- 「34 吸魔の正体 その1」に続く --
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