30 幸運と不運  その1

 大きな背もたれに上体を預け、謝り癖の強い客人は上を向いた姿勢のまま規則正しい寝息を繰り返している。

 昨夜、吸魔に襲われ、今朝からは得体の知れない訪問者の話に、更には吸魔との戦闘の現場、そして遂には隠れ家に、とよく付き合ってくれたと思う。勝利という人物が彼なりに必死であろうとした結果、今ここにいるのだ。

 ライムは、三日吸いの被害者に居場所まで明かした事はない。今回の湖守は許してくれたが、本来ならば許されざる独断であり、万一勝利が闇の者であった場合、背負い込むリクスの大きさは計り知れなかった。

「効果覿面だな」柚子茶を一口飲みながら、ダブルワークがテーブルに置かれている香炉を視線で指し示す。「三日吸いに始まって、昨夜から半日以上、ちっとばっかり強い刺激の連続でいい加減バテたんだろう」

「ああ。戦闘中に私が『遮断する』と言った時の顔は、よく覚えている」と、ライムが首肯混じりに回想する。「三日吸いだけでも負担が大きいのに、彼自身が自分の内なる何かと闘い始めている。だからといって、本人が克服するまで時間をかけてもいられない。…今後の方針に迷うな」

「俺は、ひたすらビックリだ。神格持ちなのに、神格を知らねぇって。普通ならあり得ないだろ? 食材の知識が全然ないのに、まともな料理を作ってるようなもんだ」

「ああ。だから私も、この先が怖いんだ…」

 ちぐはぐなものの未来を案じ、ダブルワークが気を揉むのも無理はない。

 元々、神格というものは、その神がどのような存在であるかを規定している。つまり、個々の存在の定義の一部であり、また力の源との繋がり方の規定でもある。

 同じヴァイエルという神造神の中でも、第二世代神の最高格である第一神格を持つダブルワークと、二つ下に相当する第三神格を持つチリやスールゥーとでは、手を染めていい仕事の範囲や引き出す事のできるエネルギーの総量が異なるのだ。

 神格の上下はそう簡単には起きないものだが、起きた場合、本人にはっきりとした自覚が現れる。それは、試験の合否などとは全く別の現象に相当する為、認定という過程を経ず容姿と能力にすぐ反映されてしまうからでもある。

 ダブルワークの髪とライム自身の虹彩が常時光を放っているのは、禁忌に手を染めた末、神格が二つも上がってしまった結果だ。

 尤も、この光を見る事ができる者は、神と妖精、妖獣の類、そして闇の者達だけなのだが。

「自身の神格についての自覚と、自分が神であるという自覚は、本来同一の根を持っているようだな」ライムは自説を口にする。「神々の喪失時でさえ、第一世代神は全員、神格の概念まで忘れてしまう事はなかったと聞いている。しかし、勝利君の中には無い。神格に関する知識だけでなく、神造神化から今に至る経緯までもが全て」

「差し当たっての問題は、今のこいつがどういう状態にあるか。一刻の早く突き止めなきゃならねぇ、ってところだな」長い付き合いの友人でもあるパートナーが、上手い具合に山積するものの中から最優先事項を選び出す。「神としての自覚を促すだけじゃ解決しねぇ。湖守さんもそれをやろうとして失敗してる。もっと別な方法を模索しねぇとな」

「そうだ」午前中の湖守が、事実の積み重ねで勝利の牙城を崩そうと目論んでいた事は間違いない。一時は湖守のやり方で解決すると、全員が思っていたのだ。「勝利君もだが、私達も得た情報は多い。少し整理してみよう」

 ライムは立ち上がり、事務机の引き出しから紙とペンを取り出してスコーンの入っている篭の横に置いた。椅子に座るなり、思案顔をする。

 ペンを取ったのは褐色の肌を持つ男の方で、紙面を四つに区切り、それぞれに「第一世代神」、「神造神」、「人間」、そして「疑問点」と見出しを付ける。

「要するに、こういう整理だろ?」

 心得ているパートナーに、ライムは「察しがいいと助かる」と頷いた。

「勝利君の持つ神格と神々の喪失前の記憶は、紛れもなく第一世代神のものだ。しかも、神造神としての彼が、引き継いだ形で今尚持ち続けている。そういう意味では、彼の場合、未だ第一世代神であり、光を内に閉じこめた神造神でもある」

「第二世代神としての神格は、何処に行ったんだ? 無い…訳はねぇよな」

「推察が難しいな」ライムは、ちらりと勝利の寝姿に目をやる。「それに、勝利君自身が最も重要視しているのは、人間としての自分だ。人間の実家と家族を持っていると信じているし、人間なのだからと真面目に時と共に歩もうともしている。その結果、前面に出ている『人間の一周勝利』が吸魔に襲われてしまった」

「ったく、皮肉なもんだ」ダブルワークが、勝利の生き方についての話を振る。「こいつの様子を見ている限り、残っていると困るものがあるとすれば、第一世代神だった頃の記憶だろ。人間として生きるなら必要ねぇ、ってのも確かだしな。ところが吸魔は、その人間としての記憶を三日分だけ抜き取っていった。大事な方をな。勝利風に考えるなら、そういう被害も、勝率が下がった結果って事になる。気の毒、じゃ片付かねぇよ」

「ダブルワーク」ライムの中で、不意に閃きの扉が開く。整理されている話を聞いているうち、ベールに覆われている何かが垣間見えたのだ。「その件を私も考えていたのだが、勝利君の神格で勝率を下げられたのは、一体誰なのだろう…?」



          -- 「31 幸運と不運  その2」に続く --

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