23 湖守と名乗る神  その2

 湖守が、水と手拭きを勝利達カウンターを占める者達全員の前に手早く整える。

 勝利にとっては、有り難い冷水だ。さっそく乾ききった唇を湿らせたいところだが、体の要求に反し、今は手を伸ばす心境にはなれなかった。

 チリ。

 もし。それが勝利の知るチリと同一の存在なら、三郷上空で勝利が目撃した赤いヴァイエルの正体、という秘密が自動的に浮上する。

 勝利にとって二機めの遭遇となるヴァイエルのチリは、ダブルワークとよく似たフォルムに黄金の装飾を施された巨大な赤い人型の輝星だ。ダブルワークに比べ幾分直線的ではあるが、全ての吊り橋に共通する機能美があるように、差異は差異の域に留まって全く別な物だと主張したりはしない。

 勿論、夜空に瞬く星の独光が群星の瞬きに劣る筈もなかった。まさか、若い男の姿でまんぼう亭に現れるとは。

 ダブルワークの中から対吸魔戦を見守っていた時、勝利はあの機体にも人間の形態があるのでは、と数瞬考えてはいた。

 しかし、同時に否定していた部分もある。始終、ミカギの声しか聞こえてこなかったからだ。

 飲み物の注文さえ自分で行わないチリは、部外者である勝利に対し、ライムやダブルワークに比べ自身の開示には消極的だ。秘めている筈の好奇心を勝利に垣間見せる事すらも。

 女性の陰に隠れ横顔はよく見えないが、ダブルワークよりも細身で、黒のダウンコートにオレンジ色のスリムパンツを合わせている。

 背後から見た時には、左だけ極端に延ばしているストレートの赤髪が強烈に主張していた。髪型だけで安直に想像するなら、吸魔との戦いよりもギターや楽器の類が似合いそうだ。

 しかし、気配は打の闘神たるに相応しい凄みを含んでいる。

 ダブルワークが精悍な美獣なら、彼はさしずめ手入れの行き届いた短刀を彷彿とさせる。無口な印象があるので、余計無機質な物に例えたくなるのかもしれないが。

 当然、彼の注文まで代行する親しい関係の女性については、チリの相方ミカギ、と推察するのが一番自然なのだろう。

 まんぼう亭の中は、既に吸魔の追跡者達で占められていた。

「あ、あの…」

 スツールから尻を外し、勝利は右手の二人に歩み寄る。

 勝利とミカギの視線が交錯した。想像していた通り、彼女もまた凄い美人だ。

 ウェーブのかかった長い金糸を腰までおろし、鮮血色の虹彩で男の関心を否応もなく絡め取る。白い肌、高い鼻、形の良い薔薇の唇。世が世なら、傾国の美女として歴史に名を残していてもおかしくはない。

 黒のハーフコートの前をはだけさせ、紺色のパンツ・スーツと黒のハイヒールという暗色系でまとめている。それだけに、豪奢な金髪の艶やかさは双眸や唇並に際立っていた。

 勝利は、チリとも目を合わせようとするのだが、受け取ったものは手厳しい一瞥だけだった。やはり、刺接点への攻撃を邪魔した事で不興を買ってしまっている。

「ごめんなさい!!」と、勝利は激しく二人に頭を下げた。「折角、最初の刺接点を刺したのに、俺がダメにしてしまって。本当にごめんなさい!!」

 立ち上がろうとするチリを、咄嗟にミカギが制する。代わりに、彼女が勝利の前に立った。

 モデルを思わせる背の高さだ。一八〇センチ以上はある。

 当然、勝利の視線は顔ではなく、彼女の胸に辿り着いた。コートの前を開け放っているので、スーツとワイシャツのボタンが弾けそうなほど大きく形の良い乳房が勝利の視線を掴み下方へと縫いつけるからだ。

 ふっ。視線の辿り着いた先を悟ったのか、ミカギが口元だけで笑った。

「あ…、ごめんなさい…」

 慌てて自分の席に逃げ帰ると、右横から女性の声が耳を摘む。

「マサトシくんさぁ、『神々の喪失』って覚えてるぅ~?」

 何の事か見当もつかず、「え、えと…、よくわかりません」と正直に答える。

 何故か、ミカギとダブルワークばかりか、チリまでもが短く息をついた。

 表向き心の微動を隠し通しているのは、二人。湖守とライムだ。

 その湖守が、キッチンから手を延ばし、白いプレートを勝利の前に置いた。

「はい。モーニング。ぶどうパンは軽く熱をかけてあるから、暖かいうちに食べると美味しいよ」更に、ソーサーに乗ったコーヒーカップをプレートの右に整える。「はい、ドリンクのコーヒー」

「ありがとうございます」

 きれいに焼き目のついたレーズン入りのバターロールが、香気で勝利の鼻をくすぐった。思えば、朝からライムの視線で緊張したきり、コーヒーしか口にしていない。

 まずは腹ごしらえとばかりに、勝利は手拭きを使った後、さっそくパンを頬張った。固形物の噛みごたえが全身を歓喜させる。

 昨夜からの記憶が蘇った。三日吸いの被害に遭った後、ろくな過ごし方をしていなかった、と。脳が思考と意欲を取り戻せば、元々観察眼の優れた勝利の事、回想風景の中からも疑問の尻尾を鷲掴みする。

「あの」と、勝利は自分から質問に出た。「さっき、俺だけカウンターの前に立っていた時。スキャンとかしましたか?」

「あ、気がついた?」キッチンの中で、湖守が手を止め肯定する。「スキャンもループしたよ。ダブルワークの報告にあった通りだ」

「じゃあ、店のどこかに湖守さんのヴァイエルがいるんですか?」

 湖守は、いたずらっ子のように「そう、とも言えるし、違う、とも言える」と軽くはぐらかす。「僕のヴァイエルは、人間の姿に問題があってね。この国の法律に従うと、今の時間、小学校に登校していないとダメなんだ。すっごい美少女なんだけど、勿体ないよね。店を手伝わせられないなんて。それで粒子化させた上で、建物と中を全部覆わせている」

「粒子化…。そんな事もできるんですか?」

 暖房の中にいる筈なのに、背中、首を問わず冷や汗が出てくる。

「僕のヴァイエル…、乃宇里亜(のうりあ)は、ダブルワークの第二世代第一神格に比べると第四だから神格では劣る。だけど、『神々の喪失』前に造られている一番古いヴァイエルなんだ。ダブルワークやチリ、スールゥーとは違う、別の特技を持っているんだよ」

 コーヒーを手にしかけた勝利の手が、止まった。ここにはいないようだが、スールゥーもおそらくは別なヴァイエルの名だ。

 人型の芸術的機械ヴァイエルだけでも、湖守の下には四人も存在するらしい。

 ダブルワークにチリ、乃宇里亜、そしてスールゥー。そこに、ライム達パートナーがついているのだろう。一人に一人づつ、という形で。吸魔の追跡者というものは、想像していたよりも纏まった人数を擁しているようだ。

「じゃあ、まず自己紹介から始めようか」と呟きながら、湖守はチリとミカギにはコーヒーを、ダブルワークに柚茶、ライムに紅茶を出して改まる。「僕が湖守。湖守昇。まんぼう亭のマスターで、堕落前は、第一世代神だ。今は僕も不老の能力を失って、他の第一世代神と同様、こんな姿をしている」

 堕落。

 聞いた途端に、勝利の全身が粟だった。とても嫌な言葉だ。

 響きではなく、嫌な記憶がある、ような。そんな不快なものが全身を駆け巡り、皮膚の下で跳ね回る。

 内心取り乱している勝利を、何者かが監視していた。床といわず、天井といわず、あらゆる方向から。

 口調は穏やかだが、湖守の声に力がこもる。

「勝利君。君も僕と同じ、第一世代の経歴を持つ第二世代神という事ではないのかな」



          -- 「24 神々の喪失」に続く --

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