笛吹き男-1

 その桜花が、選べずにいる。環もメイズも捨てられない。それなら残すべきは環だろう。

「交渉決裂だ。さっさと私を殺して消えたらどうだ」

 カレンは考えるそぶりを見せた。今の桜花にどちらも選べない。暴れられては困るだろう。だがおそらく、メイズが死んだとして桜花は一暴れする。どちらにしろこれ以上死ぬ。この場で桜花を脅迫することは悪手に違いなかった。これだけのことを想定していなかったのか、これまで流風までもを騙してきた女が?

「どうして、環まで、死ななきゃならない?」

 桜花の刀はぐらぐら揺れている。眉も眼も、頬も固まっているのに、唇だけが歪んでいた。

「必要だからです。彼の、娘と妻が死ぬことが」

 男のためだ。馬鹿らしい。カレンには桜花を言いくるめる気がなさそうだった。せめてもっとましな嘘をつけばいいものを。

「私の求めるものをつくるために必要だからです。私は、愛する女と娘を失ったあの人が欲しい」

「どうして? 流風なら勝手に持って行けばいい」

 いや、カレンはただ流風がほしいのではない。一度自分を捨てた男に復讐したいのだ。自分の代わりに選んだものを殺して。

「それなら自分の手で始末しろ。その方が燃える」

「そうですね、それも試しましたが、うまくいきませんでした。それに、やはりここまで育てた駒は活躍させてあげなくてはいけませんでしょう。そのために用意したのですから」

 意味がわからない。カレンがわざわざ隣国に亡命しておきながら異人部隊に潜伏していたことを言っているのか。颯と環の暗殺計画を練ったが実行できなかったということか。

「いい質問をするようになりましたね。彼らがしたことは出来損ないと断じただけでしたか」

「なにを、なにを、言って」

「宿主と引き合わすまでは私も介在のしようがあったのですが、これは良い成果を得られました。煙による魔術の摂取は効率が良い」

 桜花の刀が、カレンの肩に食い込んでいた。取り囲んでいた兵士のひとりとして反応することができない間に、桜花は斬りかかってカレンを真っ二つにしようとし、した。

 すとん、刀は込めた力の分だけ勢いよく落ちる。煙を斬るようにあっけなく、刀はカレンの身体を通りすぎた。あの煙草のにおいがする。あつぼったく、甘ったるい。

「銃で人も殺せないタマ無しが、よくここまで来れたものね」

 あの女の声。榊 麻耶。たばことささやいた、さようならとささやいたあの声。

 振り返りこちらを見るカレンは麻耶の顔をしている。頬を撫でる手つきが、よくやったわ、耳へささやく声が、息づかいが、記憶の中のものと重なる。

 あの煙草。呪い。今ここで死ななかった麻耶。メイズの仇は麻耶じゃない。

 これまでに眼にし、耳にしたものが頭の中で渦を巻く。ああ、だがこれだけは確かだ。これだ。この榊 麻耶が、探し求めていた麻耶。

「さあ最後の仕事ですよ、笛吹き男。あなたは命惜しさに少女へ命令する」

「颯と環を殺せと?」

 満足に歪んだ麻耶の顔を掴んだ。しなだれかかっていたのを引きはがし、投げる。桜花の足下へ。これで終わりだ。

 だが桜花は突っ立ってこちらを見たまま硬直していて、その足を麻耶が掴む。少女ははっとして刀を突き立てたが、手首は切り落とせず、掴む手は緩みもしない。

 メイズは一歩踏み出しただけで今度こそ兵士に肩を抑えられた。引き離そうともみ合っている中、竜の咆哮が頭上をかすめていく。アレイシアの連れていた竜だ。天井すれすれを旋回している。

 がっ。漏れる声は悲鳴のなり損ないだ。何度も聞いた。竜に気をとられ見上げていた頭を戻すと、麻耶の背中がある。立ち、天井を見上げている。背から刀の先が突き抜けている。悲鳴が上がった。兵士が浮き足だつ。

 刀は引き抜かれたが、麻耶は立っていた。手首から先がなくなった右手を宙に伸ばす。

 空気が震える。顔が、肌が、鼓膜がびりびりとして、これが咆哮であることに気がついた。

 麻耶の右手は獣のものに変わっている。かぎ爪、鱗。三本指の手は腕が短く、しろい翼をうった背、恐竜に似た直線的な獣の頭、大きな口。竜だった。カレンから麻耶へ、竜へと姿を変えて、それは天井を飛ぶくろい竜へ突っ込む。人ほどの大きさをした竜だ。人の頭より一回り小さい程度だったくろい竜よりも身動きがきかず、尾は人をなぎ倒し、翼で目隠しして狭い道をぶつかりながら飛ぼうともがいた。

 身動きがきかない。前を竜が塞ぎ、左右に出口を迷う兵士が団子になっていて、壁際に追いやられてしまった。壁沿いを這うことはできそうだが、桜花の姿が見えない。小柄な少女は男たちの中では埋もれてしまう。手を掴まれた。ちいさな手だ。引く力は強く、引かれるまま走る。

 息も絶え絶えで地上へ着くと、すっかり夜になっていた。地下道は途中から、追手も同じように逃げる兵士もいなくなっている。人気のある場所に出るまで、桜花は手を離さなかった。走っているならまだしも、歩いているとかなり前屈みになるために腰が痛い。

 桜花。何度も呼んで、やっと少女は手を離した。見上げてくる眼はにらむものだ。

「もっとうまくできた」

「あの場で皆殺しにしてか。そういうことばかりで」

「違う。言いくるめられた」

 桜花は不機嫌に声を挟んだ。あれで? 説得力のない。そんなわけがない、できた、と言い合ううち、ある診療所に着いていた。

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