女の身勝手-1

 あの〝魔女〟に関してメイズの知っていることは少ない。不老不死だとか、竜に詳しいだとか、王宮に島流しにされたとか、様々な噂がある。明確な事実は、この世界で唯一水の魔術を自在に扱える魔導師だということだ。環――イオレと呼ぶのは人前だけでたくさんだ――の師匠であるらしい。

 まさか墜落に関係などしていないだろうな、と流風に釘を刺しておく必要がある。企みをするのは決まって流風のほうだ。だが彼には今そんな余裕などないはずだった。カレンと真剣に交際しているとわざわざ報告してきて、結婚するまで清い関係でいるのだそうだ。あの色情狂にはさぞ辛かろう。

 流風には、そのカレンに頼んだ仕事についても確認したいことがあった。この後時間が取れれば良いのだが。会議が大分押した。

 以後の時間調整を考えながら議場内の自室に入ると、先客が眼に入った。

 昼過ぎの強い日差しが締め切ったカーテンを透かし、机に足を投げ出す女をぼんやり浮かび上がらせる。この薄暗い中で、すらりとした脚のしろさが眩しい。

「将軍で満足できなかったから寄ってみた」

 声は久しく聞いていなかったものだ。この女には監視をつけていたというのに、出し抜かれている。白伊 颯。今はローレンツだったか。そう手配してやったのはメイズだった。

 仕事を得るために異人管理の役人と関係を持つような女。メイズが用済みになってすぐ姿を消し、将軍に乗り換えたと知ったのは近年のことだ。

「私はもう用済みではなかったか」

 面の皮の厚い女だ。この女があの朝勝手に出て行かなければ、あんな下世話な噂が流れることもなかった。流風と環へは未だに気後れする上、桜花がどことなくよそよそしくなったのもこの女がいなくなってからだった。ケイが異人管理局を辞め、仲間から抜けると言い出した原因に、多少なりともあの噂は含まれているだろう。

 憎んではいない。恨むのも、榊 麻耶へ向ける以外は持ち合わせていない。だから二度と会いたくないと思っていた。この女と一緒に暮らしているはずだった環は、未だ父親の流風と暮らしている。娘にさえ信頼されない。それも当然の女だ。

「あなたでないとだめ」

 だが、甘えた声のなんと甘美なことか。彼女は脚を下ろしゆっくり立ち上がって、歩み寄ってくる。

「私に何をさせたい」

 ぴたり、颯の足が止まる。ちょうど机の真ん前に立ったところだ。彼女は机に浅く腰掛け、腕を組んだ。薄笑いを浮かべ、へえ、感心した声を出す。類は友を呼ぶというが、その様子は流風のそぶりに似ている。

「もう馬鹿じゃないか。二、三聞きたい事がある」

「なんだ」

「娘の名前を変える手配をしたのは」

「私だ」

「軍が娘を援助するよう根回ししたのも?」

「私だ」

「その理由を聞いているか」

「親心だろう。母親にはないとみえる」

 環は名前を変えた。それは、母親である颯と一緒に暮らすためだ。颯の密入国の際、こちらの世界の住人であるように身分情報を偽造している。環は偽造書類の人間の養子となっているのだ。手配はメイズがケイと協力して行った。

 軍の援助に関しては、流風に知り合いを紹介してやっただけのことだ。グラウ以外にも軍に入った異人はいる。そこから繋がったコネだったはずだ。

 どちらも流風が知っていることだ。なるほど、彼は本当に颯と会っていないらしい。

「それを頼んだ男に伝えてほしい。今夜九時アトランタ」

 アトランタはエイローテで最も人気のレストランだ。料理が美味いのは勿論だが、人気の理由は完全個室にある。

「自分で伝えることだな。出て行け」

 颯は声を出して笑った。こちらに近づいてきて、ネクタイを掴む。

「礼ならする」

 上目遣いに囁き、指がネクタイの結び目を撫でた。

 女の手首を掴み、握った。ぎりぎり力を込めながら、そうしている理由にはたと気がつく。寒気が、鳥肌がたつ、嫌悪があつく胸の中をなぶった。

 乾いたノック。すぐ後ろだ。部屋に一歩二歩しか入っていなかったとは。

議員、確認したいことが。ドア越しにくぐもって秘書官の声が聞こえる。

 タイミングとして申し分なかった。これでこの女を追い出せる。ドアを開けきらないうちに秘書官はまくしたてた。

「瑠璃 たすくという人物が居住申請に来ていますが、お知り合いですか。備考欄にお名前が」

 覚えのある名前だった。昨日入国させた、流風の頼みの二人。その片方。以前彼が言っていた通り、弟なのだろう。実際会ってはいなかった。

 手続きに不備はなかったと聞いている。上手く本人に伝わっていなかったのだろう。ああ、あと、流風にもうひとつ頼まれていたのだった。

「話をしたい。どこか適当に通しておいてくれ」

「それが、」

 困り顔の秘書官を遮って、半開きのドアが閉まった。ドアを押さえる颯の手が視界に入る。

「翼をどうするつもりだ」

「関係ないだろう」

 颯は押し黙る。

 秘書官がドアの向こうで呼んでいる。ドアノブを引くが、びくともしない。血管の浮き出た細くしろい女の腕をもう一度掴んだ。

「探しているんだろう、榊麻耶を。私になら見つけられる」

 議員、魔導師が。秘書官の困り声はもはやどうでも良い。何よりも優先して探している仇の手がかりが、こんな所に落ちていたのだから。

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