別れの前夜
タオル越しに桜花がうつらうつらしている。髪を拭くのが乱雑になってしまうのは、自分で自分の髪を拭くことさえ長いことないからだ。ぐらぐら、こする度、桜花の頭が前後左右にかくんかくん落ちる。
「船出は四時だ」
「いやに早いな」
「しきたりの上では、昼まで船を出すことができないことになってるから。大っぴらにしないためだろうね」
「それなら港までは送ろう」
「なんだ、やっぱり一緒に行ってくれないんだ」
ちえ。わざとらしくすねて見せているが、流風はわかっていただろう。それでいて誘われたのは正直誇らしい。
「元より私たちはあの女に対して真逆だったろう。こうなって当然だ」
そもそも桜花を説得できようはずがない。この少女にとって、榊 麻耶はアイデンティティに関わっているように思えてならない。復讐を目的とせずして、自分が生きていけるとは考えられなかった。あの女を殺すために生きてきた。あの女を殺すためなら、どこへだって行ってきた。今更それを、いっときの情にほだされて捨てることはできない。
「礼と詫びは朝まで取っておくことにしようか。それより、この町の情報はどこから仕入れた」
「夏子葉だ」
「・・・・・・罠だとは思わないのか」
「まあ前はね。そう思ったけど、今回はまだ連中を見てないし。これはたぶん本当。あいつは、環を危険には晒さない」
あの、榊 麻耶に似た女を守っていた女。桜花を知っている女。流風の妹だという。あれから何度か顔を合わせたが、妙なところのある女だった。敵になりきれないでいるような、情があるように感じるのだ。その情が環に向けられたものなら、なるほど頷ける。
「環以外をまとめて始末する気なのかもしれないけどなあ」
それもまたあり得る。夏子葉の、流風に対する憎悪は相当なものだ。娘を盾に生き延びたことも一度や二度ではない。十一ヶ月間でさえそうなのだから、それまではもっとあっただろう。
「そうだな、じゃあ置きみやげにいくつかあいつらのこと話しておく」
ベッド縁に座った流風が、こちらに向き直る。隣のベッド縁に腰掛ける桜花の後ろであぐらをかいている自分からすると、桜花ごしに見ることになる。流風の向こうでは、風呂上がりの環が荷造りをしていた。
「嘘は言うな」
「はいはい。そうだな、まずは夏子葉だけど。あいつは環の母親のために行動してる」
「なるほど、だからおまえを目の敵にするわけだ」
「次に会ったら間違いなく殺される。僕らの行き先を聞き出された後でね。せいぜい気をつけて」
「当然だ」
「連中の仲間に朱伊皐月って男がいる。医者だ。桜花と関係があるかもしれない」
「そうか、助かる」
なぜもっと早く。出し惜しみをするな。きつく締めあげたいが、堪えた。だが顔には出ているらしい。流風の顔がひきつっている。
「日本には行きたくなかったから。悪かったよ、黙ってて」
「そうだな。当然だろう」
それきり、その晩は話しを続けなかった。腹は立てていたが、流風には流風の事情がある。そこまで踏み込む間柄ではないのだから、それを当然と、言ったのは伝わらなかったかもしれない。
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