風向き

 環はそれでも父親から眼を逸らさない。

「なんでも聞いたらいい。嘘はなしだ。これでいいか? 明日早いんだから、お子様は寝なさい」

 声はこちらに向けているようで、娘向きのものだ。環は急かされて渋々ベッドの奥に入っていく。娘の座っていた場所に座るつもりの流風を、桜花はじっと睨み付けたまま横歩きする。そのまま、メイズの横におさまった。上着の裾を巻き込んで座るのはやめてほしい。

 わずかに触れる桜花はがちがちだった。普段驚くほど指が冷たいのに、伝わってくる体温はあつく、肌は張り詰めている。身体中を緊張が覆っているのだ。微かに聞こえる息づかいは浅く、早くなるのを抑えているようだった。

 生き急ぐな、とは言えない。この少女にとってもこれは重要な意味をもつ。

「環の母親は、名家のご令嬢なんだ」

 流風は娘の眠るベッドに目隠しのカーテンを引いた。その裾ごとベッド縁に腰掛ける。

「身分違いの恋ってやつ。今時、それくらいのことで人を殺すかねえ。榊 麻耶は、その名家に仕える一族の猛者ってわけ」

「は?」

「わかる、荒唐無稽なのはわかる。でも本当。嘘は言ってない」

 あまりに現実離れていて、メイズは思わず声が出ていた。身分違いの恋? 名家に仕える一族だと?

「一度駆け落ちしたんだけど、環ができて連れ戻されたんだ。この家がまた、頭がおかしくて、近親内で子どもを作って血を濃くしようって考えの連中でさ。・・・・・・娘だけでも、守ってやりたくて」

 話す内容とかけ離れた軽薄な声音が、ずんと重くなる。彼の背でカーテンが揺れた。向こうで彼の娘が揺らしたのだろう。

 流風は信用ならない。詐欺師ではないかと思う。だが、彼の娘の環は信用できると思っている。子どもだから騙せないだろうという目算もあるが、環は、父親を反面教師にしているように感じられた。あの子は、身を守る以外では嘘をつかない。

 そして、その環に対してのみ、流風は信用に足るのではないかと思い始めている。我ながら甘い。親子の関係に幻想を持ちすぎている。

 流風は環の前で、娘の頼みで、嘘はなしだと言った。これは、信用していい。いや、したい――する。するのだ。

「あの子が生まれてからずっとか」

「生まれてすぐだ。七、八年は日本にいられたけど、それくらいが限界だった」

 引き離したのは、父親である彼自身だったということか。そして母のいる国にさえいられなくなった。幼い子どもには酷だ。母親にも、父親にも。

「環は母親を知らない。榊 麻耶に連れ戻されたら会えるかもしれないけど、そうさせるつもりはない」

 連れ戻された環にどんな仕打ちが待っているのか。吐き気がする。榊麻 耶がそんな連中に使われているとは。

「仲間がほとんどやられた。正直、二人きりじゃ次逃げられると思えない」

 ひくり、桜花が肩を上げる。なぜなのかは知るよしもないことだが、怖がっているように思えた。刀に手をかけているのは、すがりついているからなのだと。

 桜花の背をさする。ぱっとこちらを振り向いたが、何も言わず彼女はゆるゆる俯いた。

「事情は理解した。協力できることがあるなら手を貸そう。あの女の犠牲者をみすみす出したくはない」

 言葉を選んだ。環に同情している。だから手を組むのではない。そう、自らの内外に言い聞かせるためだった。

「ありがとう。昼間はすまなかった。手段を選んでいられなかった」

「それとこれとは別だ」

 八割本音だが、残りは冗談だった。流風は一瞬動きを止め、口角を上げる。

 メイズもそれに続いた。煙草を一本くわえ、しまう動きの中で桜花がかくん、頭を下げる。いつの間にかもたれかかってきていた桜花の身体はふにゃふにゃとしている。

「あとは任せて眠るといい。何かあれば起こす」

 かくん、再び頭を下げて、桜花はベッドに這い上がった。奥、壁まで這い進んでいく。

 カーテンを引く。窓を少し開けた。ごう、列車の出す音が大きい。吹き込む風が速く、流風と二人で煙草の煙が出ていかないと笑った。

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