第二話 異国の少女
異国の少女-1
紫煙を咎める小言に辟易している。耳の中へ埋もれてしまいそうなイヤホンを引っこ抜いて通信機ごと粉々に砕いてしまいたい。
だがしなかった。見下ろす眼下に、待っていたものが現れたのだ。
ああ、見つけたぞ。通信機の向こうに適当な返事を投げておく。まだ半分残っていた煙草を下へ、行く先へ投げ捨てた。暗い夜道、小さな火花の飛んでいくさまに、メイズは口角を上げる。あれだけ苦しみながら、いまだ同じ形をするものを口にせずにはいられないなどと。
助走をつけ、足場のへりを足先で掴み蹴った。坂ばかりの小さな町。建物の列の、ひとつふたつ向こうはぼんやりとオレンジ色が瞬いている。眼下は灯りのひとつもない――投げ捨てた煙草の火を追い抜いて、駆けていた少年の前へ降り立った。
ひとにらみするだけで、少年は足を止めたまま動かない。ひゅう、彼の吸い込む息の音と、煙草の落ちる、ぽとり。その火を踏んで、少年の首根っこを掴もうと腕を伸ばす、さなか、少年の胸が血を吹いた。斜めに分断された身体は掴めず、メイズは煙草を踏み抜いて、半身と、片腕の拳を少年の向こう側へたたき込む。
拳は硬い物に当たった。細く、硬いもの。だが手応えはない。威力を吸われている、いや、踏ん張られている。もう一方の足を引いた。この道は狭すぎる。踵は壁を擦った。
押し込んだところで一度耐えられている。押し切ることはできない。拳を引き、上半身を引く。地面を蹴る足音が響いた。軽い音だ。あの拳を耐えるには重さの足りない軽さ。
おかしい。思うものの、思案するより先に夜闇の中を煌めく一筋がある。長物の刃か、しかし身体は退けない。踵の触れた壁を蹴る。イヤホンをむしり取り、掌よりは大きさのある通信機を投げ、あたりをつけた剣筋を避ける。
がっ、通信機は壁でも地面でもないものに当たったらしい。呑まれる息の音。だが剣筋は胸を斜めに掠めた。ばらり、鼻先を煙草の欠片が飛び散っていく。ただの、少し湿気った紙と粉。痛みはあるが致命傷ではない。建物の深い陰の中で、やっと捉えた人影に今度こそ拳をたたき込む。近くなって、この影が、あの少年よりも小さいことに気付いた。
銃弾が爆ぜた。続けざまに壁も地面も構わず降ってくる銃弾は、メイズの雇い主が差し向けたものだ。通信機がない以上連絡のつけようがない。彼らの目的はあの少年の生け捕りだった。その後少年をいつまで生かしておくつもりだったかは知らないが、標的を殺した――手を下したわけではないにしろ、みすみす死なせてしまった傭兵は無能で用無しに違いない。用無しは始末するのが鉄則だ。
生身で銃弾の雨は生きられない。少年の仇を義理立てする必要などない。走って、逃げるべきだ、と思いながら、少女の形をした人影へ腕を振り抜いた。
手応えはあった。入った。めり込み、押し込み、押し抜く。
ざあっ。銃弾の跳ね爆ぜる音の中、少女が拳に飛ばされながらも踏ん張り滑る足の音が聞こえていた。きん、銃弾を跳ね返す音までもする。そして銃弾の音は一層減り二層減り、多重だった音は少女との攻防の中でいつしか消えていた。
夜闇に慣れた眼でなら見える。メイズの半分もない背丈の、小さな少女。闇の中で浮かび上がるほどしろい肌。自らの背丈を超える長い、反り返った刀。袖が縦に長く、腹で太い帯を締めた筒状の衣装。
榊 麻耶に聞いたことがある。日本には変わった民族衣装があるのだと。特に袖の長いものは振り袖と呼ぶのだと。
日本人。榊 麻耶と同じ。あの、憎い女と同じ日本人。
拳に力がこもった。だが決定打にはならない。のらりくらり、瞬足に、だが緩慢に、避けはするものの少女は致命傷を狙ってこない。これだから日本人の女は。接着剤かなにかで固めたような少女の顔は目玉と、呼吸のために唇が浅く開閉して動くだけだ。細く切れ長のつり上がった眼は何を考えているのか読み取れない。
らちがあかない。だが倒す。日本人など、麻耶が屋敷を燃やしてから一目も見たことはない。こいつは手がかりだ。あの女の。憎い仇の。
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