171~180

171

 昔、夏祭に狐面だけを並べた露店があった。店のと同じ面を着けた店主らしき人に、美味いよ、美味いよと僕は林檎飴を勧められた。背後の面も唱和しているように思え、人の気配を不思議と感じない神社の参道を走って逃げた。

 親はそんな店はなかったはずと言う。きっとあの時、飴を食べなくて正解だった。

―ない露店



172

 ほろほろという言葉が好きだ。副詞の中で、もしかすると一番。

 ほろほろ崩れるクッキーが好きだし、ほろほろ花弁を散らす桜が好きだし、ほろほろ悲しげに涙を流す君も好きだ。だから僕はきっと、君を幸せにすることはできない。

 ごめんね。君の泣き顔を今後見られないのだけが残念、なんて考えてる僕で。

―ほろほろ



173

 猫が流体だと人が知る遥か昔から、猫が隙間に詰まる様子はよく観察されてきた。

 猫は小さな箱に詰まり、洗面台に詰まり、家具の死角に詰まり、鍋に詰まり、布団の狭間に詰まり、隙間風が吹き始めた夫婦の間にも詰まる。

 こうして猫が何らかの隙間に詰まる度、人間の世界は少しだけ丸みを帯びるのである。

―猫が丸める世界



174

 音楽室で楽譜を整理していると、準備室から透き通った歌声が聞こえてきた。美しいソプラノに誘われ、出来事で隣室を覗いてみると、学ラン姿の生徒と目が合う。

 え、男子?


「びっくりさせた?」


 そうはにかむ彼の地声は年相応に低い。何だろう、私、ドキドキしてる。

 屋内なのに透明な風が吹くのを感じた。

―ソプラニスタの彼



175

 仕事で疲労が溜まると、デパートの地下一階へ足が向く。専用の照明を受けて宝石ほどに輝く料理を眺めると癒されるから。

 でも、このきらきらの裏にも苦労があるのかな、とふと考えが過る。それを世知辛いと取るか励みに思うかは人次第なんだろう。

 私の仕事も、どこかできらきらを生んでいると信じたい。

―どこかできらきらを



176

 安楽椅子探偵アームチェア・ディテクティブ。室内にいながら事件のあらましを伝え聞いて真実を見抜く超人だ。

 でも、助手をしている私には分かる。概要を単に聞いただけでは真相を導き出せるはずがない、と。

 犯人を示す物証を足で探し、情報を取捨選択する私の手腕に全てがかかっている。目立つのが嫌いな自分には相応しい役回りだ。

―安楽椅子探偵の助手



177

 最終出社日に同期の男が餞別をくれた。


「こんな高い腕時計、受け取れない」

「いいから。俺たち縁が切れちまうんだ、せめてそれつけとけ」


 お前重いな、と言うと気づくの遅、と笑う。

 その彼が社長となって僕の勤め先を買収するとは。


「お、時計つけてるな」


 お前馬鹿だろ、と言うと気づくの遅、と笑った。

―時計が繋ぐ縁



178

 辺鄙へんぴな場所に無人販売機として日がな一日立っていると、私を発見してほっとした表情を浮かべる人間に数人は出会う。

 彼らは私の不可思議な品揃えに一旦は怪訝な顔をするものの、一服して英気を養い去っていく。その際の人々の様子が好きだ。

 私は言うなれば現代の迷いである。さて明日はどこへ行こう。

―無人販売機の一生



179

 採用面接で訪れたのは妖しい雰囲気の日本家屋で、明らかに人でない存在が出入りしていた。HPホームページでは無機質なビルだったはず。地図アプリでもここにピンが刺さっている。

 守衛らしき蛙頭かえるあたまが声をかけてきた。


「君はえてるね? すぐ社長面接になるよ。よほど問題がない限り採用だ」


 この会社……面白いかも。

―おかしな御社



180

 我々が普段読む書籍とは、単なる本の一形態に過ぎない。人が本を開き言葉を観測する時以外、ページやインクは境界を失い、さなぎの中身のようにどろどろに溶けている。

 そのさまを人間が見ることは叶わないが、本も時には誤る。年月をて本を再読すると、受ける印象や抱く感想が変化するのに原因があるのだ。

―本の変容

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