第三話

                    *



 現在から約2年前の事。


 『王国』陸軍教育隊の卒業試験である教官との模擬戦で、最終となる5次試験において、エリーナはやっとのことで合格点をもらった。


「お疲れさま。何とか卒業出来たね」


 ただ1人、夕日でオレンジ色に染まる、更衣室のベンチで放心していたエリーナの元へ、スポーツドリンクを手に作業服姿のジェシカが現れた。


 ちなみに彼女は、1次試験どころか首席次点の成績につき、試験免除になっていた。


「やっと家に帰れるわ……」

「ん。長かったね」

「どうも。あ、そうそう。お母様が明日帰ったらパーティーするって言ってらしたから、ジェシカもくる?」

「いいね。お邪魔させてもらうよ」


 ジェシカはドリンクのボトルを渡し、もう片方の手に持っていた紙カップと、エリーナが開封したボトルとで、締まりの無い動きで乾杯する。


「えっ、ちょっ、熱くない?」


 一緒にグイッとあおったので、少し焦ってそうジェシカに訊いたエリーナへ、


「ははっ。良い感じに冷めてるから大丈夫だよ」


 ジェシカは彼女にカップを渡しながら楽しそうに笑う。


「あっ、本当だ」


 エリーナがそれを少し飲むと、程よい感じの熱さだった。


「お。間接キスとはなかなか大胆だね」

「ね、狙ってないわよ!」

「知ってるよ」


 ちょっとからかってあたふたしだす彼女に、さらに目を細めてジェシカは言う。


 もー、と膨れながら、エリーナはジェシカをべしべしと平手で叩き、ジェシカは、ごめんね、と避けもせずになすがままになりながらそう謝る。


「それで、エリーナはこのまま軍に残るのかい?」


 たたくのを止めて、ストン、と座ったエリーナへ、ジェシカは特にふざけた様子もなく訊く。


「まーねー。結婚する気なんてさらさらないし、お母様にも好きにしなさい、って言われたし」

「ん、そうかい」


 少し羨ましそうにそう言うジェシカはコーヒーを、ズズズ、とすする。


「ジェシカは?」

「ボクはそうだね……。少なくとも相手が見付かるまでは、居るつもりだよ」

「えっ、そうなの?」

「いや、見つけるのはお父様とかだけどね」

「ああ。なるほど」

「まあしないで済むなら、その方がボクの性に合ってるんだけどね。エリーナもそう思うだろう?」


 このときは理由が分からなかったが、エリーナは内心ホッとしながら、その通りね、と言って彼女はクスリと笑う。


「ま、ボクは顔の女子受けが良いだけで、男子受けは良くないらしいし、まあお見合いの話も来ないだろうけど」

「そんな事言わないの。あなたの本当の良さは顔じゃなくて性格なんだから!」


 誰よ顔の受けが良いだけって言ったの、とっちめてやる、という勢いのエリーナを、ジェシカはまあまあ、と言ってやんわり制止する。


「いつもボクのために、そうやって怒ってくれてうれしいよ」

「当たり前の事してるだけよ。あなた苦手でしょ? 怒るの」

「そっか」


 さらりとした物言いだが、その特別感のなさこそがジェシカには余計にうれしく、これ以上にないほどに愛おしげな目をエリーナへと向ける。


「ねえエリーナ。いろいろと、いつもありがとうね」

「……改めて言われると照れるわね」


 隣に座ってきたジェシカの屈託など一切無い笑みを向けられ、エリーナは少しトギマギした様子を見せる。


「よし。一足先に祝勝会でもやろうエリーナ。ま、パーッとまではいかないけどね」

「賛成ね。デリバリーでも頼みましょ」

「うん」


 そう決定したところで、エリーナはドリンクのボトルを置いて、自分のロッカーの前でパイロットスーツのファスナーを下ろした。





 翌日。


「おう、よく帰ってきたな孝行こうこう娘よ」

「はいはい。ただいま」


 大荷物を持った執事と共に帰宅したエリーナへ、エリーナの母・マリリンは両腕を大きく広げて迎え入れた。


 しかし、エリーナはそれをしれっと流して、執事に部屋へ荷物を置いてくるように指示し、リビングのソファーに深々と腰掛ける。


 エリーナの家があるのは『王国』貴族が住まう、郊外の住宅地の最外郭エリアで、土地は広いがほとんどが緩やかな斜面の森林にある。

 建物も鉄筋造りの庶民の家をそのまま大きくした様な物で、見た目の華美さよりも実用性重視の設計となっている。


 ちなみにコラソン家は、商業で財をなした古豪の家ではあるが、没落して現在までは貧乏貴族に甘んじている。

 しかし、後にマリリンが一代で再興を果たす事になり、彼女は『コラソン家中興ちゆうこうの祖』として名を残す事になる。


「なんだい。つれない子だねえ」

「当たり前でしょ。私今何歳だと思ってるのよ」

「親にとっちゃ何歳だろうと大差ないもんさ」

「老眼鏡の度が合ってないんじゃないの?」

「まだつけてないよ!」


 実に久しぶりの再会ではあったが、以前と同じように軽口を言い合うと、母娘ははこはお互いにカラカラと笑う。


「それはそうと、パーティーの準備ほぼ出来てるから、ジェシカちゃんを早く呼んでやりな」

「さすが準備が早いわね」


 自分も楽しむ気満々の母親に、エリーナは半分呆あきれながらそう称賛する。


 マリリンの指示通り、エリーナは端末を取りだして、ジェシカのそれへ発信する。


「……あれ。出ないわね」


 しかし、3分程発信し続けても、ジェシカは全く出ない。


「忙しいのかね?」

「んー。ジェシカが私より優先する事なんてないと思うけど……」

「エリーナあんた、あの子のご主人様にでもなってるわけ?」

「何言ってるの?」


 母親がさらっとおかしい事を言った、と思ったエリーナは目を丸くして返す。


「ま、メッセージ送っとけば分かるわよね」


 ひとまず、準備は出来ているから早く来て、と送っておいた。しかし、2時間経っても全く返答が返ってこなかった。


「流石に心配になってきたわね」

「うん……」

「じゃ、ちょっとブレットのヤツに聞いてみるわ」


 不安そうにソワソワする娘を見かねてマリリンはそう言うと、幼なじみのジェシカの父・ブレットに通信をかける。


「おーブレット。私だよ」

『……分かっている。なんの用だ』


 テキトーな感じの第一声を受け、ブレットはいかにも苦々しそうな声を出す。


 鉱業で財をなすキーオ家は、コラソン家の隣に位置していて、建物は小高い丘の上に伝統的な城、という見た目重視のものだ。


 両家は遠縁の関係で、経済規模は大差ないものの、切れ者のマリリンと違ってブレットはどうにもうだつが上がらず、ついでに同じ当主でも彼女に頭も上がらない。


「あんたんとこの娘、なんか事故ったりとかしたわけ?」

「いや、先頃帰ってきた。それがなにか?」

「ウチの娘とパーティーする予定なんだよ。早く来なって言ってもらえない?」

「少し待っていろ」

「オーケー。40秒以内にだぞー。それ1!」

「無茶言わないの。やめて」


 ブレットを電話越しにグイグイ押すマリリンに、エリーナはスパッとそう言って止めさせた。

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