第39話 楽園《エデン》の騎士
ドーム周辺を探っていた日影は困惑していた。この建物には入口らしきものが無いのだ。ドームの周りに建造された6つのビルのうち2つからドームに続く連絡通路のような物があるだけだ。
通常のドーム型球場の2倍以上の高さを誇るその建物には窓はおろか、通風口ひとつ見当たらない。
連絡通路のあるビルは大型コンテナの搬入口となっており、警備員の数が尋常ではない。人の通れる通路には無菌室のような物までありとても忍び込むのは無理だ。
また、運び込まれるコンテナも各種センサーであふれる通路を流れていく。全てのセンサーを誤魔化すのも難しい。
外側の壁を登って地道に上から侵入口を探すしかないようだ。こういう仕事は小森向きなんだが仕方あるまい。
手足に装備された磁力を利用した吸着装置を利用して建物の壁面を登っていく。光学迷彩を使っているとはいえ、周りのビルの様子をうかがいながら、上へ上へとあがって行く。
ドームを囲うように配置されたビルは円筒形の建物で、窓の向こうは通路になっているのかたまに警備員が巡回しているのがみてとれた。
『おまえ、そこで何をしている。』
もう少しで屋上という所でいきなり声をかけられた。こんな所でなんだ! 周りには誰もいる様子はない。光学迷彩も正常だ。
『ふふふ……、何処を見ている。』
声はすぐ近くからしている。右手の少し先の壁が急に盛り上がるとそこに目と口が現れた。口は人間のそれだ。だが、その目はトンボやハエのような昆虫の複眼だ。
顔の下半分は人間、上半分は昆虫、ひたいから伸びる太く平たい触覚は
「我々が配属されて初めての侵入者だ。熱烈に歓迎させてもらうよ。」
「我々?」
蛾人間の
空中に舞い上がった蛾人間は全部で6体。先程声を掛けてきたモスマンが呼び寄せたのか上空に翼をばたつかせて集まってきた。なるほど、奴等の複眼には光学迷彩も通じないということなのだろう。
このまま、足場の悪いドームの壁面ではこちらが不利だ。右腕に装備された粘着性の強いムチを射出すると、屋上にあった手すりのような物に巻き付けて一気に壁を駆け上がる。
ドームの屋上は中心に向かってやや傾斜があるもののほぼ平坦と言っていい。しっかりと足場か取れた事で戦闘体制がとれる。光学迷彩を切って上空のモスマン達を警戒しながら様子をうかがう。
上空を舞うモスマンの一人がドームの屋上へと降り立つ。顔の上半分が蛾のそれであり体も人より蛾のそれに近い感じだ。正直、気色の悪い生き物だ。何処を見ているか分からない複眼がこちらをねめつけているのが何となく分かる。
「トカゲ……いや、カメレオンという感じか? 全身が銀色というのが気色悪いがな。」
それはこちらの台詞だ。同じ昆虫系でも
「我々はこの地【
見た目は最悪だが、騎士などと名乗るだけあって正々堂々と名乗りやがった。だが、頭は悪そうだ。こちらにタダで情報をくれるわけだからな。こちらはそう簡単に名乗る訳にはいかない。
「俺はただのしがないサラリーマンだ。天気のいい日曜日に一緒に来てくれる彼女もいなくて一人で動物園に来た淋しい中年だよ。トイレ探してて迷い込んじまっただけなんだよ。出口まで案内してもらう事は出来んかねぇ?」
自分で言っておきながら、
「……っ!」
「我々は君の冗談に付き合うつもりはない。」
昆虫顔では表情を読み取る事は出来ないが、まあ怒っているのだろう。だが、俺が言った事はおおむね嘘ではないのだ。むしろ一人で動物園に来たという事が一番の嘘かも知れない。
今日の出がけに俺がタクトの尾行に出る事を姫とジョセフィーヌに感付かれた。
ついていくと言って聞かない彼女達をまくのが思いのほかしんどかった。あの二人が協力した時のしつこさは尋常ではない。
子供の頃、身代金目当ての誘拐グループに雪菜お嬢様が誘拐されてしまった事があった。我々護衛チームの大失態だったのだが、神獣様が単身救出してくれたのだ。その時使われたのが【ジョセフィーヌ】というコードネームなのだ。当時お嬢様が見ていた海外ドラマのキャラから付けられたという事しか俺は知らない。そしてお嬢様の監禁現場で何が起こったのかも分からない。
だが、二人はその誘拐犯グループはもちろん、そのバックにいた中国系マフィアまでも壊滅させてしまったのだ。
それ以来、雪菜お嬢様は神獣様をジョセフィーヌと呼ぶようになり、ジョセフィーヌは何故かそれを嫌がるようになった。
この事件が政財界に進出し始めたばかりの塩川会長の目に止まり、お嬢様がシャドウの大幹部【姫】となる事のきっかけとなったのだ。
あの二人を敵にまわすかと思うと、それだけで身震いしてくる。今朝もどれだけ必死であの二人をまいて来た事か。だがそれだけに、いま俺の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「あの二人を敵にまわす事に比べれば、どでかい害虫の駆除ごとき……大した事ではないさ。」
「ほざくな下郎!」
怒りを
軽いフットワークで次々と槍の攻撃をかわすと両腕に装備された
右腕を引き、ムチを巻き上げ捕らえたモスマンを引き付けると手に持ったクナイで斬りつける。その反動で次の獲物に向かって粘着ムチを打ち出す。次に左腕を引き付け同じようにクナイで斬りつけた!
敵の攻撃をかわしながら次々と空中にいたモスマン達を引きずり下ろし、クナイで斬りつける。まるで舞を舞っているような軽やかな動きであっという間に全ての蛾人間を地上に引きずり下ろしていた。
「くっ……やるな、銀色トカゲ! 全員ランス装備、フォーメーションDで包囲撃退するぞ!!!」
隊長モスマンの掛け声で全員が腰に着けた伸縮式の三ツ又を装備すると、俺から一定の距離を取る。奴等は半月型に陣形をとり、前衛が4体、俺の後ろの空中に2体と完全に包囲された形だ。
前衛の左右から鋭く伸ばした
体を捻って右へとジャンプしかわすが、一部かわし切れずに超甲武装に突き刺さる。そこへ後方の二体が羽根をばたつかせて毒鱗粉を降り注ぐ。
日影は腕をクロスさせると後方の敵に背を向けながら粘着ムチを射出して二体を絡めとり、ちから任せに前方のモスマン達に叩き付ける。モスマン達が怯んだ一瞬のスキをついて口から白煙を大量に吐き出すと、あっという間に辺りは白煙に包まれ彼はその煙の中に身を潜めた。いわゆる【霧隠れの術】というやつだ。
何かねっとりとしたこの煙はモスマン達が羽根をばたつかせても一向に晴れる気配が無い。煙に紛れ敵の背後を取ると首筋にクナイを突き立てていく。ものの数十秒で三体のモスマンが首から緑色の体液を流し崩れ落ちていった。
四体目の背後を取ろうとした時だ、強烈なめまいで身体がグラついた。……体が重い。
目の前のモスマンがこちらを振り返り、俺の腕を取る。
「ようやくか……。」
振り返ったのはあの隊長モスマンだった。仮面の中のデジタル表示が異常をきたし、映像にノイズが入り始める。……まずい。身体が痺れて意識が
意識を失えば変身は解けてし……ま……う。
「ようやく鱗粉と毛針の毒を吸い込んだようだな。それにしても恐ろしい奴だ。この短い時間で三人もの仲間を失い、我々もこの通りボロボロだ。あと少し遅ければ私も危なかっただろう。」
「隊長、こいつは一体何者なんでしょう?」
超甲武装が水銀のように溶けて流れ落ち、ひとつに纏まると体の中に吸い込まれるように消えて行った。それを眺めながら隊長は
「私は昔、博士に言った事がある。我々の力に対抗しうる者など、もうこの日本にはいないだろう……警察も自衛隊も敵ではないと。だが、博士は言ったのだ。我々、
「隊長はこいつが、そのシェイプ……シフターだと?」
隊長モスマンは『わからん』と答えた。
だが一瞬で仲間を三人も葬るような敵が博士の知る他にもいるとは思えないとも思っていた。
部下に仲間の遺体を運ばせる指示を出すと、人間体となった銀色トカゲを抱え、ここから一番近い3号棟の地下牢に運ぶ事にした。
人体実験用の生物はそこに運ぶ決まりになっているからだ。こいつの処遇は博士が決めるだろう。部下を殺したこの男を切り刻みたい衝動を押さえつつ、隊長は3号棟に向かって飛翔した。
ーつづくー
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