第66話 柳川の悲劇

(一)

肥後菊池館の書院

大男がひとり寝転がっている。

「筑後国境がものものしかです!」

一法師智泰が走り込んできた。

「なんな?おるは眠かっばい!」

あくびする隈部親泰は、このところ毎晩、法姫に捧げる恋唄をひねっている。

「そるが、どうも柳川らへんに龍造寺が軍を動かしよぉごたるです。」

親泰は興味なさげに言った。

「またいつもんごつ、鎮漣に撃退さるったろうたい!」

一法師は食い下がった。

「ばってん、どうも蒲池鎮漣は和議じゃちうて水之江に向かったちう話で…。」

まだ少し眠い。頭がよく回らないと親泰は思った。

「ふうん………………なんちな!おかしかろうが…和議じゃっちうとに、軍ば動かす必要があっか…?…!」

親泰は跳ね起きた。

一法師が頷く。

「そがんです。騙し討ちちうもっぱらん噂で…。」

親泰は慌ただしく着物を脱ぎ出した。

「どがんなさるとで…?」

「出陣ばい!兵ば集めろ。とりあえず集められるだけでよか!法姫を…おるの姫を救いにいかんばならんたい!」

「承知!そうこにゃ!」

一法師は勇んで外へ駆けだした。

「…間にあうどか…。いんや、間に合わせないかん!いかんとばい!!」

親泰は、甲冑をつけながらおのれの頬をばしばし叩いて気合いを入れた。


そのころ、火巫女と修行中の誾千代のもとに、昼には珍しい黒馬が現れた。

「どうしたのだ?」

黒馬は何か言いたげな瞳をしている。

「どうやら、お主に乗れといっているようじゃな。」

火巫女がそう言うので、誾千代は跨ってみた。

「な…?」

その途端に黒馬は外へ走りだす。

「どこへ行くのだ?」

まさに飛ぶように走る馬は、一路北西を目指していた。


(二)

「なんじゃと…。」

蒲池統春は使い番の言葉を聞き返した。

「申し上げます。我が殿、水之江にて龍造寺方に襲われ、からくも虎口を逃れて須古城へ入られました。ついてはこの柳川にも龍造寺軍が来襲するは必定、とりあえず防備を固めるため、田尻鑑種殿にこの城を任せるようにとのお言いつけでございます。」

二番家老の大木統光がいぶかしがった。

「それを殿は直接知らせず、なぜ田尻様を通して言われるのだ?」

「危急の際ゆえ、そう御説明にございます。」

大手門の外には田尻鑑種以下、千の兵が控えている。

「伯父上をお待たせするわけにはいくまい。ましてや田尻勢を中に入れても、なんら問題ないのではないか?」

統春が言ったが、統光はまだ納得いかない風であった。

「わしが直接話をする。大手門を開けよ。」

大手門がぎぎぎと開き、平服の統光が甲冑姿の鑑種に歩み寄った。

「おお、統光!」

「これは田尻様…。いったいどういうことでございましょう?」

「秘密の話ゆえ、近う寄れ。」

統光がすすみよった。鑑種が合図し、武者数名が飛びかかって統光を縛り上げた。

「城内へ!」

鬨の声と共に田尻勢が城内へなだれ込む。


「統春殿、これはどういうことじゃ!」

右往左往する統春を捕まえて玉鶴が問い詰めた。

「どうやら裏切りで…。」

「誰が裏切ったのじゃ!」

「田尻の伯父上です。わたしはもう何が何やら…。」

「あなたがしっかりしなくてどうするのです!まず、殿に知らせを…。」

「兄上は龍造寺の裏切りに会い須古へ逃げ込まれたとか…。」

「なんですって!」

統春は逃げるように行ってしまった。

「お方様、こうなってはこの城は危険です。地下の抜け道を通って塩塚城へ参り、籠城して殿さまを待ちましょう。」

女中頭の常陸が言った。

玉鶴は徳姫や鎮漣の側室たちを連れ、護衛の兵に守られ、間道を抜けて塩塚に籠城した。その数、四百とも五百ともいう。

統春も供の者たちと一緒に柳川を脱出し、近くの佐留垣城へ逃げ込むと、隆信に向けて降伏の意を表明した。


焦げくさい臭い

何か嫌な生臭いにおいもする。

「姫様、姫様!」

お福の声がいつもと違う。

「どうかしたの…。」

「大変です。敵が…敵が攻め込んで…。」

「えっ!敵が…。叔父上たちは…?」

「母上様も…すでにお逃げになったようでがす!」


置き捨てられた。


想像はできるが…やはり現実となると重い。

「敵は…?」

「田尻勢と言う話ですじゃ。おら、もうわけがわからんで…。」

お福がわんわん泣く。

「父上は…父上はどうされたの?」

「わかりませんだ…。どっか逃げ込まれたとかいう話も聞きましただ。」

父さえ生きていれば、どうにでも盛り返せるだろう。何と言っても天下無双なのだから。

「落ち着いて…私たちも逃げましょう。地下の間道は伯父上でも知らないはずよ。」


(三)

隈部親泰は八百の兵を率いて筑後国境までやってきた。

国境には龍造寺方の旗がひしめいている。

「あるは?」

「熊ん息子・後藤家信の軍のごたるです。五千ほどでしょか…。」

「おし、時間が無かばい。強行突破じゃ!」

一法師が慌てた。

「お待ちくだっさい!お気持ちはわかりますばってん、彼我の戦力差が激しか、自殺行為じゃ!回り道ば探しまっしょ。」

「なんば言うとか!愚図愚図しよったら姫が死んでしまう。突っ込むばい!」

親泰は馬上刀を抜き、雄たけびを上げながら、単身後藤勢へ突撃して行った。

「ああもう!こうなりゃやけくそばい!」

一法師ら兵たちも鬨の声を上げて後へ進む。


塩塚の城は龍造寺勢一万に囲まれていた。

「殿がお出でになるまでの辛抱じゃ!みな心を強く持ってな。」

事実上の大将・玉鶴の方が城中を回って督戦する。

「敵の中に馬印が見えます!」

馬印は総大将の証、そこに隆信がいることを示していた。

玉鶴は天守に駆けあがり馬印の方を見た。

禿頭の巨躯が見える。

たしかに父上…

唇をぎりりと噛み、端から一筋血が流れた。


「天守に女性が…。」

「ふん!」

隆信も玉鶴の姿を認めた。

そして一言

「返してやれ。」

短くそう言った。

ぎりぎりぎり

江上家種によって二十人張りの強弓が引かれた。

ぶんと放たれた鏑矢の先端には袋包みが結び付けてあった。

だん!

天守の窓近く、壁に食い込んだ矢を家来に引き抜かせ

玉鶴は自ら包みをほどいた。

「!!!!」

ぽたっぽたっ

床に水滴が落ちる。

声にならない号泣が辺りを支配した。

玉鶴は鎮漣の首を掻き抱き、再び天守の窓に向かう。

立ったままこちらをじっと見る父の姿…

「父上っ!これでご満足かっ!」

艶やかな小袖が、天守から静かに落ちて行った。

隆信はそれを感情の無い目でずっと見ていた。


その日、塩塚城は落ちた。兵たちは最後まで戦い、死にきれなかった徳姫などの一部の例外を除き、百有余名の女たちは殆ど自決したと伝わる。


(四)

空が曇ってきた。

雨が近そうだ。

「若、もういかんです。若だけでん、逃げられるうちにお引きくだされ。」

一法師が戦いながら叫んだ。

「姫を…姫を救うのだっ!」

「もうあきらめんですか!我らの力では、こん敵すら突破できんとです!」

「姫をっ!」

「若っ!周りばちゃんと見なっせ。若んために死んだ兵ん顔ば!」

親泰ははっとした。周りに転がる見知った兵の顔、顔。

「くそっ!」

滂沱の涙が流れた。

おるには法姫ひとり守れんとか…。

「あるは…。」

一法師が呟いた。

「あるは何な?」

だだだ だだだ だだだ だだだ

南から猛然と何か黒いものが走ってくる。

走ると言うより跳ぶような

あるは何な?馬?

人が乗っているようだ。

青い光

雷?

ぐわららきん!

地面すれすれを横に走った雷光は、龍造寺兵を打った。

焼け焦げた幾百もの死体が辺りに倒れる。

「この世のものではない凄まじい力ばい。…いったい魔か神か?」

親泰は呆けたように見つめている。

黒い影が迫ってきた。

「あるは!」

見覚えのある姿

「立花誾千代!」

馬上の誾千代は、親泰をちらっと見て走り去る。

雷光が開いた亡きがらの道を…

「法姫をっ…法姫を頼むっ!!」

親泰の必死の叫びは、確かに誾千代の耳に届いていた。


(五)

「ここは…。」

地下道から外に出ると見覚えのある風景が広がっていた。

あの大欅の木の根元、あの丘だ。

お福が手をかざした。

遠くに柳川の町が燃えている煙が見えた。

「姫様ぁ、これからどこへ…。」

「そうね…。」

想像の中だが、なぜか毛むくじゃらの大男の姿が浮かんだ。

田舎暮らしもいいかもね…。

ざっと草が揺れた。

ヒヒヒヒ

薄気味悪い声が響く

「お前らぁ、何もんだ!」

お福の声に緊張があった。

前確か…似たようなことが?


「手柄を立てるには遅かったが…これはとんだお宝があったもんだ。」

「この着物…蒲池家の身分高い女子に相違ないぞ。龍造寺に突き出せば褒美にありつける。目が見えないようだが超上玉だ!人買いに売っても高いもんだぜぇ。こりゃ運が向いてきた。傭兵暮らしともおさらばできるぜ!」

声の一人が近寄ってきてくんくん匂いを嗅いだ。

「突きだすにせよ、売り払うにせよ。その前に楽しもうぜ!いい匂いしてやがる。おらぁもう辛抱できねえよ!」

「肌なんか真っ白だぁ!そこいらの女郎の白粉塗りたくったのとは違うぜ。華奢なくせに出るとこ出てやがる。こらぁ最高の味だろうぜぇ。」

「姫様に手を出してみろ!おらが容赦しねえぞ!」

お福の怒声が響く。

「姫さまあっ!聞いたかよ。こりゃ運が向いてきたぜ!」

「手は出させねえ!」

ばしゅっ!!

ぎゃあああああああ

この世のものとは思えない悲鳴が響いた。

「お福…おふく?」

よろよろと倒れた法姫は辺りをまさぐった。

「ひっ!」

ぬるぬるした感触

本能的に血だとわかった。

その瞬間

どさっと何かがのしかかってきた。

はぁはぁと

獣のような生臭い息

なめくじのような感触が頬のあたりを這う。


「よいですね。侍の男子は元服の際、まず切腹のやり方を学びます。女子も同じ、ただ刀を持たぬ私たちは切腹ではなく…。」

誇りを守るために

まだ母と睦まじかったころに教わった。

こう舌を歯の前に出して…

涙がこぼれた。


「おい!気をつけろ!そいつ…。」

法姫の上で蠢いていた傭兵に、仲間が声をかける。

「あーあ、噛み切りやがった。」

「こんなきれいな娘、死体でも構わねえ。まだ温かいうちに…。」

「おいっ!」

突然、馬が踊りこんできた。

赤い甲冑の武者が転がるように馬を降り、娘の死体にかけよる。

じっと座り

頬を撫で何かを語りかけている。

その武者を、戦場で傭兵たちは見たことがあった。

龍造寺隆信の落とし子

最近、四天王に任命された剣の達人

「あのぉ、円城寺様、その娘、知り人で…?」

隊長格の男が尋ねる。

ざぁつと土砂降りの雨が降り出した。

赤い鎧の武者はよろよろと立ち上がる。

天を向いて、兜、そして面頬を外した。

「!」

美しい黒髪が流れる。

白い肌、切れ長の美しい瞳、花のような唇

どことなく、そこに倒れている娘に似ていた。

「…お前たち…たな?」

「へっ!」

あまりのことに呆気にとられる男たちに長い黒髪の武者は言った。

「私の顔を見たな…。」

「えっ…へへ、なんのことで?」

「私の顔を見たなと言っている!」

「ひっ!」

どしゅ ばしゅ

目にもとまらぬ動き

逃げ出す男たちの首が宙に跳んだ。

「ひぃやああああ!」

逃げ惑う男たちを仙はひたすら斬る。殺す。

激しくなる雨の音

周りに動く者がいなくなってもなお仙は刀を振り続けた。

足を取られて転ぶ。

泥まみれで起き上がり、膝でにじって法姫のもとへ向かった。

静かな死に顔を見ると涙があふれた。

守れなかった  私が守ると誓ったのに

血がつながっている。叔母にあたると打ち明けることはついになかった。

なにより かけがえのない友だったのに

法姫を抱いたまま、天を向き声を上げずに泣いた。


(六)

しばらくして仙は走ってくる黒い馬を見た。

お誾 ああ お誾

懐かしい友の姿をそこに見た。

守れなかった。法姫を

悲しみを共にしたかった。

「これは…。」

誾千代は馬から飛び降り辺りの光景を見た。

「仙…仙ではないか?どうして…。」

仙が着ている赤い甲冑、脱ぎ捨てられた兜、面頬

全て覚えがあった。

あの日 水之江で

振り下ろされる刀

飛び上がる金牛の首

「うぉおおおお!!」

怒りが湧いてきた。

雷斬りの太刀を抜いて斬りかかる。

「ちょ…ちょっと待て!」

「お前が…お前がお前がお前がぁつ!」

「違う…違うのだ。お誾!!」

仙も刀を抜いて打ち合った。

「法姫も…金牛もっお前がぁつ!」

誾千代は、怒りにまかせて無茶苦茶に斬りつける。

土砂降りの雨の中

仙は違うと言いながら受け続けた。

「誾千代っ!」

隈部親泰が駆け付け、法姫の遺体を見て何とも言えない顔をした。

愛おしそうに抱き上げ馬に乗せる。

「鍋島勢が迫っておっぞ!ここにいては危なか!」

誾千代は太刀を納め、黒馬に跨った。

「仙、いや龍造寺の赤武者!決着は次だ!」

そう言うと親泰と一緒に駆け去った。


降りしきる雨の中、座り込んだ仙はぶつぶつ「違う、違うのだ。」と繰り返していた。

頭の中に響く声

自分の宿命と戦え!宿命に勝つんだよ。

「大丈夫だか?」

いつの間にか後ろにいた藤七が声をかけ、信胤は「はっ。」とした。

脱ぎ捨てられた兜、面頬を見る。

「そうか…違わない。なにも違わないのだな。」

私は龍造寺の赤武者

蒲池鎮漣を騙し討ちにし

柳川を焼き討ちにして蒲池家を滅ぼした

肥前の熊

龍造寺隆信の子

円城寺信胤だ。


















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