第65話 鎮漣暗殺

(一)

「えっ!和睦ですと…。」

鎮久は意外な展開に驚いた。

「いや、正直もう肥前の熊と呼ばれた隆信も兜を脱いだようじゃな。あまりに強い、鎮漣は強すぎると言っておった。ここは改めて手を取り、蒲池家に筑後の支配を認めたうえで、共に筑前、そして肥後、豊前、豊後と分けどりにしていきたいと言っておるそうじゃ。」

田尻鑑種はそう話した。

「ほう…分けどりに…。」

鎮漣の食指が少し動いたようだった。

「とにかくな。蒲池鎮漣を天下一の武者と認めたうえで、これからは蒲池・龍造寺、両家で手を携えて行きたい。これが隆信殿の本心じゃ。」

鎮久は伯父の身振りがいつもより大袈裟なのが気になった。武辺一辺倒の伯父は、本来こんな芝居がかった話し方はしないはずだ。

「わしとしても、心より尊敬しておる義父上と争いとうはない。この間の玉鶴のことでも心を痛めておる。わしと義父上が争うことで、実の親に対してここまで言わせてしまったかとな。」

欲深なところはあるが、生来子供のように純真な鎮漣は、この和睦の話に乗っても良いと感じた。和睦すれば、玉鶴も喜ぶのではないか。

伯父が去った後、鎮久が目の前に座って言った。

「今の話、信用できるか?」

「なんじゃ兄者、何かおかしなところでもあったか?」

「おかしなところばかりじゃ。あの熊が筑前などを分けどりなどと言うじゃろうか?伯父上の態度もどこかよそよそしい。何か騙して策にはめようと言うのではないか?」

「考えすぎじゃ兄者。龍造寺家は蒲池家に敵わぬ。義父上はそれを認めただけさ。認めたうえで現実的な対応、外交交渉をしているに過ぎぬ。」

「そうであろうか?にわかには解せぬ。」

「ははは…。兄者、気苦労が過ぎると早く老けるぞ!」

鎮漣はそう言うと部屋を出て行った。部屋には納得いかぬ顔の鎮久が残された。


「うかつに信じてはなりません。父は恐ろしい人です!」

玉鶴の方が怪しんで言った。

「そう言うな…実の父ではないか。」

「実の父だから言うのです!」

「実の父ゆえ、わしは和解させたいのじゃ。」

玉鶴が何と言っても、親子の仲を取り持ちたい、それが良いことだと考える鎮漣は聞き入れそうになかった。

「父上…。」

法姫が駆け寄ってきて抱きついた。

そうしなければ不安でしょうがなかったのだ。

「法よ、どうした。父は大丈夫だ。父が強いのを知っておろう。」

「知ってはいますけれど…。」

知っているからなお不安なのだとは言えない。

その強さが油断を生んでしまうのではないか。


(二)

「どうや…これが四天王の初任務というわけやな。」

隆信の前に居並ぶ面々の顔は様々だった。

頭巾をすっぽり被った円城寺信胤の顔色はうかがい知れない。

江里口藤七は緊張で真っ青になっている。

成松信勝は静かに、しかし闘志に燃える目をしており

百武賢兼は何とも複雑な顔をしていた。

「なんや!何か言いたいことでもあるんかい。」

木下昌直の問いに何か答えようとした賢兼の裾を信勝が強く引いた。

水之江城を出る時も、賢兼は渋い顔を崩さなかった。

「どうしたのだ?」

信勝の問いに、賢兼は堰を切ったようにしゃべり始めた。

「納得いかぬのだ。いくわけがない。まず騙し討ちだと…武士の本分にもとる!次に蒲池家は大恩ある家だ。一族が騙し討ちにあい、少弍家に肥前を追われた隆信さまたちを匿ってくれたのは蒲池鑑盛殿ぞ。その子の鎮漣殿をこともあろうに騙し討ちするとは…武士の道にも人の道にも外れておる!」

「だがな…これだけの大事を殿に打ち明けられてやらぬとは言えぬ。それこそ、家臣としての道に外れよう。お主の家もわしの家も代々龍造寺家に仕えてきたのだ。大恩あると言えば、これほどの大恩はあるまい。」

「わしの父・戸田兼定も兄・兼政も…少弍家の騙し討ちの際、隆信さまの父・周家様を守って、最後まで戦い死んだのだ。大恩ある龍造寺家に忠誠を尽くして死んだのだ。そうであっても、わしの心が叫ぶのだ。騙し討ちは嫌じゃと…。」

「しかしな。これほどの秘密を打ち明けられたのだぞ!やらねば死だ。それもお主だけではない。小鶴殿も、子供たちも命を失いかけない。わかっておるのか!」

「そうであっても…な。」

「馬鹿なことを言うな!」

信勝は思わず賢兼の襟首を掴んでいた。

はっと気付き、手を離すと諭すように言った。

「わしらでやるは幸いじゃ。お主、戦場で出会うた鎮漣殿とは戦うじゃろう。」

「この前の如く、正々堂々の戦いであれば…。」

「そこじゃ!闇討ちでもなんでも討ち取ればいいのじゃから、討ちかかる前に名乗りを上げ、事実上闇討ちにせずばよい。わしらならそれができる。な、そうであろう!」

「うーむ、それでも…。」

「この頑固者め!よく考えてみよ!」

信勝は珍しく必死だった。


(三)

蝋燭の炎がゆらゆらゆれる。

目の前に置かれた雷斬りの太刀のきらめきも

それにあわすように明滅した。

「心を細く…心を太く…。目を閉じていても、今雷斬りの太刀の光がいかほどか常に感じられるようにするのじゃ。そして、思いに沿ってそれが大きくも小さくも成るようにする。あくまで冷静に静かに、思うままに力を操るのじゃ。雷というのは形に過ぎぬ。太刀を通しておのが心が発する力なのじゃから…。」

前に座った火巫女が言う。

修行を始めた誾千代は、火巫女が舌を巻くくらいの早さで上達した。

発する雷光の大小、調整は完璧に近い。

昼は火巫女と修行し、夜は黒馬と草千里、大観峰、阿蘇じゅうを駆け回った。

あの日の如く、雷に呪われた誾千代には妖しが寄ってきたが、

それらを神馬黒馬に乗って、雷斬りの太刀で打ち倒すのもまた修行だった。

人家が少ない阿蘇の闇は深い。

その闇に溶け込むような黒馬

跨る誾千代は、精神を研ぎ澄ますため、白い裸身に太刀だけ下げている。

雷斬りの太刀から発せられる青き稲妻

雨の日も風の日も

阿蘇の闇を切り裂いて進む人馬は

それだけで伝説となることを思わせた。

不思議なもので

金牛を失った悲しみは、黒馬と過ごすうち

次第に良き思い出へと変わっていった。

涙は悲しみでなく、感謝のそれへ変わっていった。

「地上は闇…けれど空には星や月がある。狭い視界を広げよ。虫や動物、草や木、川や山、空と海、生きている世界を一体として感じられるようになれ。そこを超えたところに、人の生の真実がある。」

火巫女の言うことは難しく、まだ理解できない。

それでも闇の中を走っていると

その一体という感覚が分かったような気になる。

「うぉおおおおおおお!!」

疾走しながら誾千代は空に向かって吼えた。

「ひぃいいいいいいいいいん!!」

黒馬も心を合わせるように嘶いた。

今日も誾千代と黒馬は、風に溶けるように阿蘇の山々を走り回った。


(四)

「いってらっしゃいませ。」

不安そうな顔の玉鶴、徳姫、法姫が城門で見送る。

平服の鎮漣は、右手を上げて応えると馬に跨った。

「留守を頼んだぞ。」

鎮久が末弟の蒲池四郎統春に言った。

優秀な兄たちの影に隠れて育った四郎は、何をやるにも自信がない男になってしまった。鎮久が自分のすぐ下に置き教育をしているが、頼りなさは相変わらず、今も不安そうに頭をペコっと下げたのみだった。

鎮漣の供回りは、兄鎮久と気に入りの旗本二人、その他二十名の壮丁のみである。和議に物々しさは不要とはいえ全く警戒していない、そんな心模様が見えるようであった。


一行は水之江を訪問し政家の歓待を受けた。

「隆信公は?」

鎮久が政家に問うたが、返事は御不興(病気)により欠席というものだった。

鎮久は不審に思ったが、鎮漣は上機嫌で酒に酔い幸若舞などを披露した。

城内に寝所が用意されていたが、用心深い鎮久は城下の寺に泊った。

何と言うことはなく夜が明け、水之江に挨拶を済ませた一行は柳川への帰路についた。馬上の鎮漣は上機嫌だった。

「兄者や玉鶴は色々心配しておったが、何ほどのことも無かったではないか。伯父上から聞いた話は本当じゃったのだ。今回は病気でお会いできなんだが、早う義父上にも会うて今までの誤解を解かねばならん。龍造寺家と蒲池家、手を携えて筑前、豊前、豊後まで攻め取ってくれようぞ。」


行く手に赤い鳥居が見えてきた。

「ここは何を祭ってある神社か?」

旗本の窪田鎮吉が応えた。

「豊玉姫を祭りたる与賀神社にて候。」

「豊玉姫か…竜宮の乙姫じゃな。何か御縁があるかもしれん。参っておこうず。」

あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ

鎮漣が馬を降り神社に向かって歩き出したとき

神社裏手の森から一斉に烏が飛び立った。

しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ

「!」

突然、森から矢が降り注ぐ。

油断していた鎮漣の動きが遅れた。

た た た た た

肉に矢が食い込む嫌な音がした。

「兄者っ!」

飛び出してきた鎮久が鎮漣に覆いかぶさり全身に矢を受けた。

「…に…げ…よ。」

鎮久は口から血を流しながら弱々しくそれだけ言うと力なく地に伏した。

「おのれっ!」

鬨の声と共に森から兵が湧きだしてきた。

槍を手にまっしぐらに突っ込んで来る。

鎮漣は、兄に向かって黙祷すると、肩袖を脱ぎ大刀を抜き放った。


(五)

「賢兼、本当に行かぬのか!」

百武家の持仏堂前でいらいらした様子で成松信勝が叫ぶ。

堂からは、相変わらず般若心経を読経する声が聞こえる。

「賢兼、場合によっては一族郎党まで罪に問われるのだぞ。わかっておるのか!」

信勝の必死の呼びかけにも堂は開かれない。

信勝はやむをえぬとばかり、堂に押し入ろうとした。

「信勝様、そのようなわからず屋は放っておいてくださいませ!」

後ろから声がした。

信勝の幼馴染でもある賢兼夫人の小鶴が立っている。

「しかし、お子たちにまで災いあるやもしれん。よろしいのか?」

小鶴はにこりと微笑むと頷いた。

「このような馬鹿を好いてしまったわが身、生まれてしまった子たちの業とあきらめましょう。」

「しかし…。」

「信勝様、もはやこれ以上は成松様まで罪に問われまする。行って下さいませ!」

「小鶴殿…。」

小鶴の顔には強固な意志が見て取れた。


夫と一緒に死ぬ気か…まったく小さき頃から変わらない一途さよ。


百武賢兼の罪を出来るだけ軽くするには、信勝自ら鎮漣を討ち取るしかない。

成松信勝は、小鶴に一礼して駆けだした。


「ははははは!こんなものでわしを討ち取る気だったのか!」

刀を振るう度に血が辺りを真っ赤に染めた。

周囲に死体の山を築きながら鎮漣は笑う。

円城寺隊、江里口隊は鎮漣の供回り全てを皆殺しにしたが

肝心の鎮漣は健在、刀をぶんぶん振るいながら殺戮の限りを尽くしていた。

「早く突っ込みすぎたか…乱戦の中で囲むことも出来ず一方的に斬り殺されている。」

円城寺信胤は指揮の難しさを悟った。

「成松隊と百武隊はまだだか…このままでは本当に、たったひとりに二百名が全滅だぁ!」

江里口藤七が情けない声を出した。たったひとりだが、とても敵う気がしない。天下無双とはよく言ったものだと感心した。

「感心している場合か!」

信胤は刀を抜き鎮漣に対峙した。

こうなれば、私自ら片をつけるしかない…。

「ほうお前が噂の赤武者か、だが、この蒲池鎮漣の相手がこんなに小さく細くていいのか!」

「黙れ!」

 きん!

 出足鋭い打ち込みを鎮漣は軽く受け止めた。

「ははははは、貧弱、貧弱ぅ!」

 片手でぐわっと押し返した。あまりの勢いに信胤がぐらついて倒れる。

「弱い、相手にならん。さっさとあの世に行くのだな!」

倒れた信胤の背に向けて、思いっきり刀を振り下ろす。

がきぃ!

「藤七!」

 割って入った江里口藤七が手甲を顔の前で交差させ、振り下ろした刀を受け止めた。受け止めきれず刃は肩に食い込む。

「なんだ…自分を犠牲に守るとは主筋への忠か!それとも美しい友情か!」

「ぐぬぬぬぬ!」

 肩から流れ出る血をものともせず、藤七は両腕の力を振り絞って刀を跳ね返した。飛びずさった鎮漣は感心して言う。

「ほう…馬鹿力は相当なものだ。味方を庇う心根も褒めてつかわそう。だが…ここまでだ!」

 青眼に構えた刀、藤七が両腕を広げて信胤を庇う。

 そのとき  彼方から馬蹄の轟き だがただ一騎

「ふん…新手か!」

 栗毛の駒に跨った信勝は、平服で髪を振り乱し馬を跳び下りた。


(六)

「なんだ…龍造寺の竜、いや小蛇か。」

「何とでも言うがいい!」

 鎮漣に向けて静かに槍を構える。

「今日は虎ならぬ猫はおらんのか…。お前一人でかかってきても結果は見えておろう。」

 鎮漣も信勝に向けて刀を構えた。

「ぬかせ!」

 だん!と土を蹴り槍を突き出した。

 穂先をギリギリですり抜け、柄に刀を這わして擦り上げる。

 仰け反った信勝は、そのまま後ろに蜻蛉を切った。無理に態勢を立て直そうとすると、鎮漣が振り下ろした刀、返し技の餌食となっていただろう。

「ほう、やるな。」

 鎮漣はにやりと笑った。

 信勝は連突きを繰り出しながら思った。


 やはり強い。それも常識外れの強さだ。


 鎮漣はニヤニヤ笑いながら槍を受け流している。


 この化け物に勝つには、通常の手ではだめか…。

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ


 信勝は槍をまるで刀のように上段に振りかぶった。

「お…やけくそか?命を縮めるぞ!」

 鎮漣のからかいを気にも留めず、信勝は槍を右上段に振りかぶったまま突進した。

 ぶん!

 槍の間合いに来たら思い切り振りおろす。

「猿知恵め!間合いを利しに来たか。」

 鎮漣は笑いながら槍の柄を斬り飛ばした。半分になった槍を振りかざし、信勝は飛び上がった。

「終わりだ!」

 上から落ちてくる信勝を鎮漣は斬り落とす。

 がしゅっ!!

 刀が肩で止まった。

 破けた上衣から鎖帷子がのぞく。

「なっ…!?」

 着地した信勝は手にした槍をくるりと回した。

 穂が鎮漣を向く。

 石突きを上に振りかぶっていたのか…。

 ず…っ!!!

 槍が鎮漣の胸に吸い込まれた。

「わ、わ…わしがっ!こんな…ところで…こ…ん…な!」

 鎮漣は槍が刺さったまま二、三歩進んだ。

 すちゃっ

 信勝が刀を抜いた。


「すんだのか…だどもこれは…。」

 藤七が絶句した。周囲はまさに死屍累々である。

 鎮漣の首を布で包みながら信勝が呟いた。

「いや済んではおらん。いまごろ柳川も…。」

 信胤が弾かれたように動いた。

「おい!」

 信勝の馬を奪い東南へ向けて疾走する。


 法姫…


 信胤には馬の走りがもどかしかった。

























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