第58話 拐しの巣窟
(一)
戦いが終わってからの道雪は、まるで呆けたようになってしまった。
四六時中ぼうっと外を見つめ、誰が何を言っても生返事。
飯は食い良く眠るため、健康に問題はなさそうだが、家臣皆首をかしげ、
どうしたものか、困ったものだと言い合う始末だった。
それは娘の誾千代に対しても全く同じで、困り果てた城戸知正は筑前一と高名の薬師を呼んだが、全く原因がわからない。あげくのはては、薬師自身が何かの呪いが原因ではないかと言い出す始末だった。
「この状態が龍造寺や毛利、また野心ある筑前国人どもにしれたら一大事ぞ。このことは極秘として、家中に緘口令をしかねばならん。」
由布惟信の提案で、道雪は城中深く人目につかない場所に隠された。以前のように六角棒を使って歩くこともしなくなったので、勝手に出歩いて人目につくということは避けられた。
「豊後へはいかがいたそう?」
薦野増時が心配そうに聞いた。
五年前、幼い誾千代を城主として届け出たが、女子の城主など大友家では正式に認可されていない。それが証拠に、大友本家から度々養子の話が来るのであり、その相手は名家の子ではあるが、ろくでもない評判の男ばかりだったため、道雪が自ら動いて蒲池家との縁を結ぼうとしたり、優秀な家臣である増時を養子にしようとしたのだ。
「黙っておけ…。何かお呼びがかかったら、その時は急病ということにしておけばよい。」
小野鎮幸が眉間にしわをよせながら言った。
「しかし、いつまでもは…。」
そういう増時に知正が噛みついた。
「お主は殿がいつまでもあのままじゃと思っておるのか!」
「いえ、決してそのような…。」
「だったら良いではないか。殿は必ず良うなられる。きっと…近いうちに…。何せ立花道雪なのじゃから。」
「父上!」
目に入れても痛くないはずの誾千代の呼びかけにも道雪は反応しない。
うっすらと笑って、ぽかぽか陽のさす庭を眺めているだけだ。
誾千代は唇を噛んでうなだれた。
そのとき、廊下をするする走ってくる衣ずれの音が聞こえた。
「誰じゃ!」
「使い番にございます。」
障子の外から声がした。
「構わぬ。そのまま話せ。」
「誾千代様に会いたいと言う者が城門まで来ております。」
「誰か?」
「蜊とか申す小娘で…。他に荷車に乗せた大女や数人の女どもも来ております。」
荷車に乗せた?
蜊にしては変な訪い方だと訝しく思ったが、誾千代はとりあえず城門へと向かった。
(二)
クムバル!、クムバル ウェイン イエ(金髪の外人の子)、チャンニョ イエ(遊女の子)、プチン プルミョン イエ(父なし子)!
近所の子たちが囃したて、からかってうわーっと逃げる。まるで蜘蛛の子を散らしたように…
金牛は必ず餓鬼大将格のひとりに狙いをつけ、追いついて組み伏せ、相手がワンワン泣き出すまで殴り続けた。
殴られた子の親は必ず妓楼に怒鳴りこんできた。そのたび妓主は金牛を縛り付け、倉庫に閉じ込めて何日も飯抜きにした。そのとき、そっと倉庫に忍び込み、台所から盗んだ握り飯を届けてくれたのが、同じ妓楼、同じく遊女の子である美馬や紅猿、飛天、蝙蝠そして北斗だった。
遊女の母は助けてくれない。母からは見放されている。この金髪を忌み嫌っているのだと子供心に感じた。
母は美しい人だった。朝鮮から海を越えた倭国の出身だと聞いた。れっきとした侍の娘だったが、さらわれてきたとも。そこは、貧しさのために売られた美馬たちの母とは違った。出自が違う母は遊女たちの間で浮いていた。母はいつか故国に帰るのだと言っていた。それを聞くたび、他の遊女は馬鹿にした。
「どうやってここを出ようっていうんだい?ここは地獄さ。男どもには天国、あたいらにゃ地獄!ここを出るには本当の地獄に行くほかない。死んで埋められるしかないんだわ。」
その母は、やがて病気になった。梅毒が脳まで回り、最後は金牛のことまでわからなくなった。やがて死んだ。…牡丹の花がぽとんと落ちるように。
金牛は別に悲しくなかった。
「やっと出られるんだね…。よかったね、あんた。」
だが、遊女の一人が母の身体を拭きながらそう言って泣いた時、なぜかぽろりと涙がこぼれた。
それからも、さらわれたり、売られたりして妓楼に入ってくる女たちを見て思った。
ここから逃げ出さなきゃ
遊女たちが言うようにここは地獄、深入りすると抜け出せない地獄だった。
客を取らされると商品になる。大事にされた。
その前に…価値が生じる前に逃げないと。
九つの金牛は、おそらく来年には初潮が来る。客を取らされる年だった。
「ふん…髪は異様、肌も白すぎるが、親に似て顔は美しいねえ。売りようによっては高くなるぞい。」
あるとき、金牛の顔をじっと見て、妓主の老女が言った。
金牛は、もう逃げなければと思った。
ある夜、金牛はこっそりと妓楼を抜けだした。
金牛を姐さんと慕っていた美馬たちもついてきた。
彼女たちの親もとっくに病気で死んでいたからだ。
港まで走り、船を盗んで海へ出た。
行く先は倭国…もう朝鮮は嫌だった。母の故郷に行けば何とかなると思った。
荒海を奇跡的に乗り越え、金牛たちは倭国へとやってきた。
そこには、新たな地獄が待っていた。
金牛たちは地獄で戦うことに決めた。
さらわれたり売られたりする弱い立場
自分たちの親のような弱い者を守りたい。
そう誓って風盗賊を結成し、今まで弱者をしいたげる強者と戦い続けてきたのだ。
「おお、あたしとしたことが寝ちまったのかい。」
金牛は疾走する馬の鞍で目覚めた。
「どうしちまったのかねえ。今頃、忘れていた昔を思い出すなんてさ…。」
おそらく、敵の本拠がある水之江はすぐそこに迫っていた。
(三)
「隠し谷が…。」
誾千代は絶句した。
「あたいがしくじったんだ。それなのに姐さんは攻めもせず。全部をしょって、たったひとりでけりをつけに行ったんだ。なあ姫様、あたいは侍は嫌いだけど…こんな頭でよけりゃいくらでも下げるよ。姐さんをなんとか助けておくれ!」
頷いた誾千代は、その足で知正のところへ行った。
「なんとかしてあげたいです。じゃが、龍造寺家が絡んでいるとなるとなんともならん…。和睦したばかりで争いを起こすわけにはいかんのです。そんなことをすると、どこからも信じられなくなってしまい申す。」
「相手は拐しをするような連中じゃぞ。それでもか…。」
「その連中が龍造寺の庇護を受けている以上同じことですじゃ。拐しの連中なんぞと関わっている龍造寺が非難されることは別の問題ですがな。」
あきらめない誾千代は、増時のところへも行った。
「申し訳ない。城戸様と同じ考えです。そもそも、殿があの状態である以上、龍造寺と戦うことも考えにくいのです。」
暗い顔で城門を出た誾千代は、統虎を訪ねて岩屋城へも行った。
城代の屋山種速が出てきて、統虎の不在を告げた。
「若ならば、御師匠の甲斐宗運様を訪うため肥後に向かわれました。」
符牒が合わない。運が悪いときはこんなものかもしれない。
少し前の誾千代なら、何も考えず運任せで、単身水之江に乗り込んだかもしれない。だが最近の誾千代は、様々な戦いを見聞き経験もして、結果を考えながら行動するようになっていた。口惜しいが、今の自分が水之江に走ったところで、金牛の足手まといにしかならない。強力な協力者が必要だった。今まで、何をやるにも金牛の、風盗賊の助力を頼んできた。今回、金牛の危機に際し、立花軍を動かすことも出来ず、統虎の助力も得られないようだ。
誰か助けてくれる…強力な…
誾千代は知恵を振り絞って考えた。
風盗賊以外で誰かが助けてくれた記憶がある。
それも強力な…
思い出せ!
「いた!」
「姫様!」
突然、誾千代は北へ向かって走り出した。
意表を突かれた蜊は慌てて後を追った。
(四)
水之江で聞き込みを行った金牛は、郊外にある木下昌直の広大な屋敷にたどり着いた。新参の軍師として百石取り程度の身入りのはずだが、その構えは豪商屋敷に引けを取らず、拐しで儲けた金がここにも流れているのは明らかだった。
近くの大木に登って中の様子をうかがう。妙な造りだった。蔵がやたらと多い。まるで米問屋なみだ。
「おそらく…拐かされた女子供を入れる牢はあそこだね。」
屋敷の中の警戒は厳重だった。大小さした侍や、屋敷に似つかわしくない荒くれどもが、あちこちに立っており、侵入者を警戒しているようだった。
「美馬のやつ…いったい、どこをうろうろしているのかねえ。まさか、もう捕まっちまったわけはないと思うが…三途が捕まったことで頭に血が上って、無茶なことしなきゃいいけどね。」
金牛は深夜、警戒が緩むのを待って忍びこむことにした。
月の様子から丑三つ時になったと感じた金牛は大木を降りて屋敷に向かった。
警備の間隙を縫って忍びこむ。屋敷の中は方々に篝火が焚かれ、まるで戦の前のような緊張が走っていた。
蔵の前の見張りに、当て身を食らわせて気絶させた金牛は、警戒しながら中に入った。案の定、中は牢になっている。灯りも無く真っ暗な中を慎重に進む。この蔵の牢には、まだ人が入っていないようだ。しんと静まり返っている。いや…。
暗闇に目が慣れてきた。静寂の中、なにやら生白い塊が見えてきた。
なんだ…人?
長い黒髪も見えた。裸の…若い女のようだ。少し動いた…。
「!」
金牛は音をたてないように、出来るだけすばやくよって行った。
「美馬…美馬!どうした…!」
美馬は虫の息だった。両目をえぐられ潰されている。その状況でも、荒くれどもに凌辱されたのは、はっきりわかった。
「あ…姐さん…。」
「もうしゃべるな!ひどいことしやがる…。」
助け起こした右手がだらりと下がる。
「無茶しちまった。…ひ…ひとりで…乗り込むなんざ…。」
「馬鹿、もうしやべんなって!」
「さ…三途を…頼む…と…、と…な…りの…。」
「ばかやろう!」
硬直しかける身体をぐっと抱きしめた。
「む…か…し…みてえだな…。姐さ…んに、よ…く、抱いてもらった。」
見えぬ目で、血まみれの口でにっと笑いかける。
それが最後だった。美馬の全身から力が抜け、ただの塊になったと感じた。
静かに立ち上がった金牛の背中に、ゆらゆらと陽炎が揺らめいたように見えた。
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