第24話 敵本陣を目指して突っ走れ!

(一)

「敵の別働隊一万が現れたじゃと!」

親賢からの伝令を石宗は怒鳴りつけた。

「地に潜っていたか、天から現れたか?あれほど注意深く周辺を探っていたに、にわかには信じられん!」

石宗が自身の配下を物見として出したところ、小丸川の南には打ち捨てられた数千の旗が立っているだけ、親賢の陣があった辺りでは、高城の兵二千を中心として根白坂へ向けて進軍の準備をしているようだとのことだった。

「まったく、こんな子供だましに引っかかるとは!親賢に伝令を出す。すぐに軍を返せと伝えよ!」

 件の物見が伝令として出発したが、すぐ戻って来た。親賢はじめ大友軍本隊一万四千は、既に耳川を越えて北日向へ去っており、容易に戻ってこれる状況ではないという。

「体制を立て直すが聞いて呆れるわ!これではまるで撤退ではないか!」

 石宗は采配を地面に叩きつけた。


 幸いにもそのとき、執拗な島津の攻撃の手が緩んでいたので、石宗は臼杵鎮続と佐伯宗天を呼んで協議を行った。

「撤退が筋じゃろうな。」

 宗天が腕を組んで言う。現在優勢な大友勢だが、倍以上の敵相手の奮戦にすでに疲労困憊、体力的限界はとうに超えている。

「順当な手段かと、殿軍(しんがり)はこの臼杵鎮続が務めます。」

 鎮続の申し出に、腕組みした石宗は天を仰いだ。

「確かに戦の常道じゃが、街道上のわしらはともかく、先行している猪突騎、左右の森を進む吉弘、斎藤、蒲池、星野の隊にとって今からの撤退は容易なことではない。それにな…。」

 宗天、鎮続の両者は石宗に顔を近づけた。

「ここで撤退すれば大友家の惨敗じゃ。逃げ帰ったという評判で大友の威信は地に落ち、一方で勢いづく島津に九州の諸豪は靡くであろう。」

「しかし、このままでは先鋒隊全滅もありうる。我ら有力な家臣を失えばその方が大友家の痛手ではあるまいか?」

 宗天の反論に石宗は頷いた。

「そのとおりじゃ。だが、このまま撤退しても重臣何人かは確実に失われる。ここはひとつ、乾坤一擲の大勝負じゃと思う。」

「大勝負とは?」

 鎮続の問いに決意の瞳で石宗は応えた。

「この戦術、釣り野伏り返しを維持する。高城の軍二千が後ろを突けば包囲され、再び敵の釣り野伏りが完成し我らは窮地に陥るが、その前に左右を進む軍のいずれかが敵本陣にたどり着き、島津義久の首を上げることが出来れば我らの逆転勝利じゃ!」


(二)

 石宗の考えは伝令を持って、田北鎮周、吉弘鎮信、斎藤鎮実、蒲池鑑盛、星野長門の四隊に伝わった。

「ふん!そんな回りくどい手を使わずとも、義久の首は我ら猪突騎が上げるわ。」

「それしかあるまい、我らに異存なしと石宗様に伝えよ。」

「吉弘隊と力を合わせれば、必ず敵本陣に至ることが出来ましょう。」

「我ら義に従い、卑怯未練なふるまいは致さぬ!石宗殿のお下知に従いましょうぞ。」

「わかり申した。」

 各隊の反応である。おおむね魂を燃やし、乾坤一擲の大勝負に臨もうと意気込んでいるようだったが、淡々と答えた星野長門が気になった。

「あの者、途中で寝返るやもしれん。蒲池殿に十分注意するよう伝えよ。」

 石宗は再び伝令を走らせた。


「敵の先鋒・猪突騎、ますます速度を上げ、四の柵ぃ向かっておいもす!!」

 緊迫した伝令に、清水康英が思わず不安げに言った。

「四の柵ん伊集院忠棟、利に敏く損はせんお人じゃっですが、犠牲を厭わんと正面かぃ猪突騎と戦こうとですろうか?」

「どうか?正面からん衝突は避くっじゃろうな。」

「そげん及び腰なら、ますます猪突騎を調子ずかすいだけでは?」

 義久は表情を変えずに応えた。

「心配はいらん。手は打っちょる。」


「こん雨で、徐々に小丸川が増水してきておいもす!小丸でこん調子なら、もっと流れん激しく、水量の多か耳川はじきに渡れんごつ成り申そう!」

 この有栄の言葉は、根白坂に取り残された大友軍が、袋のねずみになることを意味していた。

「釣り野伏りの包囲を、完成さすっとは俺(おい)たちじゃ、こんまま小丸川を渡り、根白坂を駆け上って、坂ん上ん味方と大友を挟み撃ちにすっど!」

 家久がさっと采配を振ると、梅北軍まで入れて二千百の味方は、根白坂に向けてひた走った。


 思えばわしの一生は猪突騎と共にあった。

 若き日の宗麟は領土拡大路線を取ったが、その結果は西国の旧勢力、防長の大内や筑後の小弍といった大勢力とのあくなき闘いの日々であった。その二強と比して小さかった当時の大友にとって、兵力の集中とそのための機動力の整備が急務であった。宗麟は山がちな豊後から豊前筑前に抜ける街道を整備し、攻め取った拠点拠点に勇将を配置するととも、豊後を本拠としつつ、遠方の戦にも迅速に対応できる機動部隊を創設した。それが猪突騎であり、田北鎮周はその勇猛さや指導力をかわれ、新設された機動部隊を委ねられた。

 山がちな豊後の侍たちは、騎馬での戦いに不慣れであり、鎮周は騎馬戦術を研究し尽くすとともに、豊後武士に相応しい戦い方を考案した。それこそが騎馬の高さと速度を利用した跳躍であり、騎馬が移動手段としてのみ使われていた当時は画期的な戦術だった。一歩間違えば、敵の槍衾の餌食になりかねないこの戦術に必要なのは、命を捨てる覚悟と勇気だけである。その副作用として、猪突騎に属する兵はよく死んだ。常に構成員が入れ替わり、訓練と実戦を繰り返して出来たのが今の猪突騎である。常に死の覚悟を強いてきた部下たちに鎮周が見せられる背中は一つ、危険な戦場に真っ先に飛び込むことである。鎮周は、どんな戦場でも常に一番最初に跳んできた。そんな鎮周だから、部下たちは喜んで後に続くのだ。


「四の柵が見え申した!」

 部下の一人が叫ぶ。

「な、これは何をやっておるのじゃ?!」

 続いて叫びが聞こえ、先頭を疾走していた鎮周も目を凝らした。

騎馬の立てる土埃の先に柵が見える。その柵に

「なんじゃ?人か?」

柵の上に木登りした子供のように突っ立っている大きな影が三つある。

兜は着けず鉢鉄のついた鉢巻をしめ、鎧も手甲や脚絆を外し胴丸だけの身軽な姿。

背丈は三名とも六尺を軽く超えているだろう。遠くからでも若く不敵な面構えが見えた。

「何者か?」

 鎮周はつぶやいただけだったが、そのつぶやきが聞こえたかのように柵の上に立つ男たちは猪突騎に向かって口上を述べ始めた。

「猪突騎を率いっ田北鎮周殿とお見受けしもした。おい(俺)は川上忠智が一子・忠堅!」

「同じく忠兄!」

「久と…!」

弟たちの口上を待ちきれない様子の忠賢は久智の名乗りが終らないうちに叫んだ。

「名高き猪突騎ば退治るため、薩摩に名高き川上三兄弟見参つかまつった。いざ!勝負じゃ!」


(三)

「嘴の黄色い青二才めらが!身の程もわきまえず命を捨てるか!」

「何とでん言え!忠兄、久智!猪退治じゃ、準備はよかか!!」

柵が五間まで迫った。

「猪突騎の猛者どもよ!柵の上で待つあの命知らずの青二才に、本当の覚悟と勇気を見せてやれ!しら真剣!」

「しら真剣!!」

 先頭の鎮周は、膝を曲げてさっと鞍に立つと、屈伸を利用して天空高く跳び上がった。鍛えこまれたその跳躍力は柵を軽々と越えるほど、猪突騎の誰より高く、柵より三間ほど高く跳べる。空中での戦いはより高い方が有利である。もし忠堅が柵上で待つなら、鎮周は、そのはるか上から攻撃してくることになったろう。忠堅が柵から跳び上がったとしても、鎮周の高さに届くか届かないかというところであったろう。忠堅はそのどれもとらなかった。

「兄者!」

「おう!」

 柵の上で忠兄と久智が、その右手と左手を交差させて握り合い足場を作る。忠堅はその上に飛び乗り、弟たちは、兄を放り投げるように、思い切り両腕を上空へと振った。

「!」

 忠堅の身体は鎮周より更に高く、その二間は上空にある。

「しゃらくさいわ!!」

 鎮周は思いっきり身体を捻りながら、上空に向けて勢いよく蛇矛を突きだした。数百の首を上げてきた無敵の突き。

「しゃっ!」

 忠堅は上空で振りかぶった槍を思いっきり鎮周に投げつけた。その槍は、うなりを上げながら突き出される蛇矛をすり抜け、甲冑の上から鎮周の分厚い胸板を貫いた。

「ぐわっ!!」

 猪突騎の武者たちは信じられない光景に凍りついた。上空から真っ逆さまにゆっくりと無敵の巨体が落下してくる。背中まで槍に貫かれたそれは、地面に叩きつけられると大きく撥ねあがった。槍の柄から龍吐水のように血が噴き出す。

「殿!」

「とのー!」

「鎮周さまー!」

 遠くなる声を聞きながら、鎮周の心は不思議と穏やかだった。

 長き戦いの日々じゃったが、やっとゆっくり眠れるのか…。


駆け寄ろうとする猪突騎の前に三つの巨体が降り立った。

「ちぇすとー!!」

忠兄は大刀を抜き放ち、気合いと共に馬群を掻き分けて斬りかかった。

久智はぴゅんぴゆんと矢尽き早に矢を放ち、馬上の武者たちを正確に射抜いて行く。

忠堅は鎮周に静かに近寄ると、息絶えた鎮周の見開かれた目を閉じ、その首を落とした。そして強敵の首を掲げると、息を大きく吸い込んで叫ぶ。

「豊後の猪・田北鎮周!川上三兄弟が討ち取ったど!!」

それが合図のように、柵を掻き分けて伊集院勢が噴き出し、足を止めた猪突騎に襲いかかって行った。


(四)

田北鎮周討ち死に

四の柵にて猪突騎全滅


その知らせは、島津軍を勢いづけ、大友軍に衝撃をもたらした。

戦術的には前線への大きな圧迫が減ったということである。

これによって義久は、勝敗を左右する重要な決断が出来た。

五の柵の放棄と、左右の森への五の柵守備部隊の陣替えである。

島津義弘など二千四百が左の森へ

島津歳久二千が右の森へ

それぞれ陣を移し、義弘は登ってくる吉弘鎮信、斎藤鎮実二千に備え、

歳久は蒲池勢、星野勢千五百に備える。

三の柵と四の柵の間の臼杵、佐伯、角隈の五千に関しては、四の柵から押し出した伊集院勢四千と、態勢を立て直した島津征久、同忠長、大隅国人衆など約八千に加え、家久率いる高城兵二千、併せて一万四千によって包囲殲滅する。

一時劣勢だった島津軍は、大友本陣の退却、高城兵の参戦、猪突騎の全滅によって完全に形勢を逆転させた。

一方大友軍にとっては、攻めるも地獄逃げるも地獄の戦況は変わっていない。猪突騎が全滅しても、他の諸隊はひたすら敵本陣目がけて突っ走るしか、この劣勢を打開する方法は無いのだった。


「鎮周よ、先に逝ったか。わしもすぐ行く、泉下で待て!」

手を合わす石宗。

「最後まで堂々たる戦いぶり、武士はこうあらねばならぬ。」

丘を目がけて歩きながら、蒲池鑑盛は久安に言った。

宗天と鎮続は次々とわき出る敵の対応に追われ、鎮周のことを考える暇もない。

鎮信と鎮実は、ただ無言で敵本陣を目指して足を速めた。












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