第23話 戦いの潮目

(一)

「申し上げもす!一の柵が突破されもした。北郷時久様、久盛様、岩満重直様、高野刑部様、市来軍助様お討ち死に!北郷勢は総崩れごわす。」

 味方戦死の伝令に、義久は床几に座ったまま顔色も変えずに言った。

「一の柵ん左右に伏せちょった平田光宗、島津征久ん家臣たちはいけんしたとか?」

「柵に駆け付けち時には、既に北郷勢はちぃぢぃで、柵も壊さぇておったそうごわす。」

「あん頑丈か柵をわずか四半刻の間にか!にわかには信じられん。」

 近習の清水康英が唸ったのと、次の伝令が天幕に入って来たのは同時だった。

「申し上げもす!敵方ん佐伯、臼杵、角隈ん軍併せて五千が一の柵付近に進軍、平田勢及び征久さまん配下の本田勢、廻勢併せて五百と交戦!我が方の本田親治様、廻三国様討ち取られ、平田勢、征久さまん勢とも一旦林ん中に退却した模様!」

 さらなる伝令が天幕を突き破らん勢いで転がり入った。

「敵・吉弘勢、斎藤勢併せて二千が左ん森に侵入、また蒲池勢、星野勢千五百が右の森に侵入。一の柵脇の伏兵を追い散らし、丘を上がっち来よいもす!」

 動揺して立ち上がった康英を義久が一喝した。

「うろたゆんな!」

「わかっちょいもすどん。敵は明らかに釣り野伏りを見破り、逆手にとっちおいもす。囮と伏兵を別々に攻められたぁ、こん戦法は働きもはん!こんまま手を拱いちおれば、大友ん戦上手たちによって、こん戦…。」

 義久は微動だにせず、床几に座って目を閉じている。戦の序盤は、明らかに島津劣勢で推移していた。


「一の柵は突破されたようじゃっどん、こん城からでは、森が邪魔になって戦況がわかいもはんな。」

 鎌田政近が珍しくじりじりした様子で言った。

「眼下の敵は一万四千に減り申したが、特にこん城を抑える動きは無かようでごわす。いや、そいどこいか全く動かんと言っても良か。敵は何を考えておっとでごわそう?」

 有信の問いに家久は首を振って答えた。

「どげなもんか。何かを考えて動かんとか、なにも考えられなくなっととか。」

 家久は頭の中では違うことを考えている。


 あん土埃、二の柵もあっさい突破されたか。

 どうやら兄上が一番恐れていたこっ、角隈石宗が直接采配を振るっておっようじゃ。

 釣り野伏りも見透かされておっごたっ、まずかど、こいはまずか。 

 四の柵辺りまで敵軍が無事で、あん一万四千が根白坂を包囲にかかれば、こん戦は島津の負けじゃ。


(二)

「猪突騎、一の柵、二の柵を軽々突破し、三の柵の島津忠長二千と交戦中!これも、柵を飛び越えて暴れまくり、じきに柵を破壊して四の柵に進撃できる模様!」

「臼杵、佐伯、角隈勢は、猪突騎におびき出された島津伏兵を叩きながら、ゆっくりと二の柵から三の柵へ進撃!森の中の島津伏兵をさらに誘い出す模様。敵は双頭の蛇陣に対応できず、石宗様の指揮による佐伯・臼杵両軍の攻撃でじわじわ兵数を減らしつつあり!」

「吉弘、斎藤、蒲池、星野勢は左右の森の伏兵を叩きながら丘の頂上、敵本陣を目指しております。」

 次々入る伝令に、田原親賢は興奮して立ったり座ったりしている。

 なんだ、心配しておったが、まぎれもなく勝っておるではないか。

 このまま、わしがここを動かなくとも勝てるのではないか?

 いや、まて、そうすると手柄は先鋒の誰かに持っていかれてしまう。

 もはや動くか?

 いや、敵別働隊一万の動きが掴めぬ以上、うかつに動くわけにはいかぬわ。


 親賢が考えているまさにそのことを、志賀道輝が問うた。

「味方が勝っている今こそ、石宗様の指示に従い、軍を分けて八千で根白坂に向かい、坂の周囲を包囲してはいかがか?」

 親賢は余裕を見せながら応えた。

「戦の経験が少なきお主には無理からぬことじゃが、今は動く時ではない。四方に物見を放っても、一万の別働隊の動きが皆目つかめんからじゃ。敵は巧妙に我が方の目を逃れ、この本陣を狙っておるのかもしれぬ。」

 道輝はいぶかしそうに言った。

「これだけ探していないんですぞ。そもそも一万の別働隊などおらぬのではないですか?」

 親賢は馬鹿にしたような眼をした。

「お主は奥向きを司っておるが、算術が出来ぬのか?伊集院忠棟は確かに島津軍は三万と言うたではないか。根城坂にいる敵が二万、三万から二万引けば一万であろうに。」

 聞いた道輝があきれる番だった。

「伊集院忠棟が真実を述べている確証がどこにありますか?現に和議など嘘だったではございませぬか!」

 痛いところを突かれて親賢は焦った。

「黙れ黙れ!わしはそなたよりずっと戦に出ておる。そのわしが一万の別働隊はいると感じておるんじゃ、おるに決まっておる!」

 まるで敵の別働隊を期待するようなその言いぶりに、道輝ら近習たちは呆れかえった。


(三)

「逃げ足の速い奴らめ!ハヤヒトとはそういう意味か!」

 田北鎮周が、馬上で蛇矛の血を拭いながら言った。

「速いだけでなく強くもありやす。無鉄砲な突撃が売りの我が軍、犠牲が多いのはいつものことながら、今回はだいぶやられておりまやすぜ。」

 副将・江副盛周が馬を寄せて言った。

「荒くれども何人死んだ?」

 周りを見回しながら尋ねる鎮周に盛周は言った。

「もはや半分、この三の柵を突破するのに大分無理をしやした。」

「五百か…四の柵の敵は?」

「およそ四千で。」

「まだいけるな。」

「まだいけやす!」

ニヤと笑った鎮周は馬に鞭を入れた。猪突騎五百が後に続く。

「いくぞ、者ども!真っ直ぐ突撃は我が猪突騎の強さ、誇り、魂だ!この戦終わっても、島津兵が後々まで思いだし、語り草にし、夜も眠れん程の凄みと恐怖を与えてやろうではないか!」

おおっ!!!

気合いの入った叫びがあがる。

猪突騎は四の柵へ向けて突撃の速度を上げていった。


 木々の間を縫うようにして、疾走し大刀を振りかぶって、大友軍に次々に襲い来る島津兵たち。

その斬撃は速くて強い。

 吉弘鎮信は、軍の先頭で右に左に馬を巧みに操り、斬撃を躱しては大薙刀で島津兵を斬り倒していく。

 一方、斎藤鎮実は、やはり軍の先頭で、徒歩(かち)で長槍を風車のように回しながら島津兵を殴り倒し、突き倒ししている。

 二軍の勢いに島津兵は一旦退くが、しばらく進むとすぐ新手が襲い来る。

 なんとも勤勉というか命知らずというか。

 吉弘鎮信は、敵ながらその執拗さに半ばあきれ半ば感心した。

「これでは、じわじわしか進めませんな!」

 遠くから声をかける鎮実に頷きながら、鎮信は大薙刀を振るい続けた。

 じわじわでも進めば良いが、猪突騎との間が離れすぎれば、田北鎮周が孤立してしまう。戦術的にそれは避けねばならなかった。ただでさえ倍以上の敵を相手にする味方の疲労もあるのにこの勢い。この敵の勢いを削ぐには、一刻も早く田原勢ら八千が坂のある丘全体を包囲する必要があるのだが。


 一方、蒲池勢はさしたる抵抗も受けず順調に丘を登っていた。前線の伏兵がほとんど猪突騎に釣りだされてしまったからだ。

「父上、歩調を落とさないと我が軍が前に出すぎではありませんか?後続の星野殿の姿も見えません。一旦足を止めてはいかがか。」

 三郎統安の意見に鑑盛は頷いた。

「よーし、斬時休息して石宗殿の指示を仰ぐかの。」

 馬を降りて草むらの石に腰かけた鑑盛は手のひらを上に向けて呟いた。

「うん?雨かの?」

 三郎も空を仰いだ。赤い空から水滴がぽつぽつと落ちてくる。

生温かい風が木々の隙間から吹き付ける。

「通り雨かとは存じますが、ひどく降るかも知れませんな。」


「いま一度じゃ。合図の狼煙を上げぃ!」

珍しく石宗の怒声が響き、使い番が転がるように走って行く。

怒鳴りながらも采配を振る手は止まらない。次々に襲い来て次第に数を増す伏兵に対処するためだ。三の柵と四の柵の中間地点で足を止めた佐伯、臼杵、角隈の三軍は、角隈勢を中心に方陣を張り、防御を中心に周辺の敵をおびき寄せ続けていた。

親賢め、今動けば勝ちは間違いないと言うになぜ動かぬ!

それは石宗だけの思いではなく、防御に専念する臼杵鎮続、佐伯宗天もじりじりしていた。このままでは疲労がたまり、あと一刻もせぬうちにせっかくの優勢が劣勢に転じてしまう。


赤らむ雲に覆い尽くされた空にぽつんと黒い点が見える。

それは徐々に高城に近づき、大きな羽ばたきと共に城の上空を回り出した。

ぴぃぃぃぃぃぃ!!

高い声が空を震わす。

人差し指をなぶって、窓から突き出し風向きを確認した家久は、おもむろに後ろを振り返った。

「こん戦ん潮目がやって来た!有信、精兵二千を選べ、出撃じゃ!!」


(四)

 そのころ、高城の南、小丸川が大きく曲線を描く堤沿いに、梅北国兼の軍百が密かに展開していた。異様な光景だ。全員が法螺貝を手に持ち、背に大小様々な丸に十字の旗を数十本背負っている。

「旗に法螺貝、配置終わり申した。」

 川畑喜内の報告に、国兼はにぃと笑った。

「しかし殿、こげんいかさま、こげんぺてんは見たこつごわはんど!こげな幼稚な手に敵はひっかかっとごわそうか?」

 下田忠助が心配そうに言う。

「ふん、ひどか幼稚な手ほど、まさかち思う心が働く、まさかそんな手は使わんだろうちな。」

 宮内次衛門が忠助の肩を叩いた。雨がぽつぽつ振って来た。雨粒は次第に大きく、振り方は時と共にどんどん激しくなって来る。

「民部、甚兵衛、半左エ門、喜内、準備はよかか!」

 国兼の問いに、全員甲冑の胸のあたりを拳でどんと叩いて答えた。

 雨は五間先もぼんやりするほど激しくなった。

「全員、旗を立てよ。法螺貝(かい)を吹きならせ!一万の別働隊の到着じゃ!」


ぶぉぉぉぉぉぉぉ!!!

 聞いたことのない大音声が、土砂降りの雨音を切り裂いて響いてくる。

「なんじゃ、一体どうした!」

 田原親賢は、あからさまにうろたえて言った。

 物見が走りこんでくくる。

「み、み、南の小丸川沿岸に無数の丸に十字の旗が見えます!」

「無数とは何じゃ!いったいどれほどの敵が押し寄せて来たのか?おのれは物見であろうが!!」

「この雨ではよく見え申さんが、あの法螺貝の音、旗の数からして万は下らんかと!」

 そこへ次の物見が走りこんできた。

「高城に動き有り!二千程の敵兵が石垣を下ってきます。」

 志賀道輝が不安そうな声で叫ぶ。

「おそらくは、親賢殿の懸念されていた一万の別働隊が現れたかと!城の動きはそれに呼応するもの、一万の敵の到来を証拠づけるものでございましょう!」

 一萬田鑑実も混乱した声で叫ぶ。

「総大将、全軍にお下知を!ぐずぐずしておれば、一万の敵と二千の敵の挟み撃ちにあいますぞ!」

 日ごろ大人しい朽綱鑑康も詰問口調で怒鳴った。

「早う、はようお下知を!何をぐずぐずされておられるのか。」

 鬨の声が聞こえ、騎馬のいななきが響き、数本の矢が天幕を突き破って地面に突き立った。外で斬り結ぶ金属音が聞こえる。

 敵の奇襲、奇襲、きしゅう……

 親賢の脳裏に串刺しになった大友親貞の姿が浮かぶ。

 体中から噴き出す汗が妙に冷たい。


「敵がやってきました!早う下知を!!」

 三名に詰め寄られた親賢は、いきなり天幕の外に走り出た。

「ご後見殿!」「総大将!」「いったいどちらへ!!」

 追いかけてきた三人に、慌てて馬に跨りながら親賢は言った。

「いったん、態勢を立て直す!耳川を越え、門川まで後退と全軍に下知せよ!」

 不意を襲われた以上、冷静な判断だろうと一人ごちたが、三名には逃げ出しているようにしか見えない。

 馬で北へ走る親賢の背を無数の声が追いかけてきた。

「総大将が逃げだされたぞ!」

「我らも逃げ出せ!!」

「先鋒衆はどうなるのじゃ!」

「かまうもんか、わが身大事じゃ。総大将を見習え!!」

 その声を振り切るように、親賢は単騎北へ向かって馬の速度を上げていった。



























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