第20話 誰がために戦う

(一)

「島津の総兵力は、まだわからんのか!」

田原親賢が怒り気味に問うた。

一萬田鑑実はしれっと答える。

「はぁ、なにぶん佐土原、紙谷などの各城に分散して駐留しておる上、しょっちゅう動いておりますで、物見どもも正確な兵力を測りかねておるようで。」

「ようでとは何じゃ、他人事のような!わしはお主に命じたのだぞ。」

「そう申されても、御後見様は総大将ではあらしゃいませんゆえ。」

「わしの命令が聞けぬてか!」

「そのようなことは申しておりません。」

「いったい島津の兵力はどれほどなのじゃ!二万か、三万か、それとも四万なのか?各所から入ってくる情報が違いすぎてわからぬわ!」

「私に言われましても…。」

「もうよい!志賀道輝を呼べ。」

入れ替わりに天幕に入って来た道輝に、親賢はいらいらした様子で尋ねた。

「殿は本陣を高城側に動かすことについてどう申されていた?」

「意味がわからぬと申されておられました。」

「なに、どういうことだ!」

「戦は総大将である田原に、精鋭三万の兵を与えて任せておる。本陣とは田原の陣であるはずじゃと仰られて。」

 親賢は床几に倒れこむように座ると、天を向いてため息をひとつは放った。

 またか!宗麟も義統も、この親子は肝心なところで責任を放りだす。人任せにして関係ない顔をする。今までは他人の不幸に同情しておけばよかったが、自分に降りかかってくると、たまったものではない。いつ自分は総大将になったのだ?全軍に通達もされていないのに指揮などできるはずがない。

 いい加減にしてほしかった。

「道輝!」

「はっ。」

「もう一度、和田越本陣に行け。殿に敵は四万ゆえ援軍を乞うと申し上げてこい!」

「えっ!敵の兵力が不確かなのにですか?」

それを聞いてかっと頭に血が上った。

「それならば、お主が敵の兵力を確かめてこい!」

「それは一萬田鑑実にお命じになったのでは?」

親賢は手に持つ鞭を地面に叩きつけた。

「もうよい!下がれ!!」

道輝は、そそくさと天幕の外に出た。親賢は頭を押さえ再びため息をついた。

「まったく、どいつもこいつも使えぬ奴ばかりじゃ!」


(二)

 十一月五日早朝、島津義久は二万全軍を率いて佐土原を出て、一ツ瀬川を渡り、新富から海沿いの道を進んで高城から南東二里半の財部(現在の高鍋)城に入った。親賢がいる松原陣へはなんと一里ほどの近距離である。高城包囲は、松原陣を除く二陣の兵、勝坂陣の兵八千、野頸陣の兵六千で行っており、親賢が率いる一万四千は石宗からのさんざんの要請にもかかわらず包囲に加わらなかったのだ。包囲の態様は、高城の前を南北に貫く日向街道の封鎖と言う形で行われ、勝坂陣から移動した八千の兵が、南方小丸川の橋を落とし、街道に沿い城に向かって鶴翼で陣を構える。野頸陣六千の兵は北方切原川の橋を落とし、やはり城に向かい横陣を構える。三千の兵が籠る城の包囲としてはやや頼りない数だが、柵や急造の堀をうまく配置してなんとか包囲の形にしてきたのだ。

 やはりというか、意外にというか、今回の親賢の動きは早かった。あくまで包囲に加わるためと称して、あっという間に松原陣を引き払い、南北から高城を囲む自軍の後方に方円陣を構えた。

 これを聞いた田北鎮周は苦笑した。

「島津に尻をつつかれて、よっぽど怖かったか?慌ててやってきて包囲に加わったは良いが、後方で防御用の方円陣とは…。まったく、どこまで臆病じゃ!」

「しかし、これはまずいの。いわいる死地じゃ。包囲している我々が、高城と財部に挟まれた形になっておるぞい。ここは包囲を緩めて陣を再構成し財部から後を突かれぬようにせねばな。」 

 角隈石宗が顎を左拳に乗せて考えている。

「老師、財部から島津が攻め来るとなると、どの方角から来るでしょうか?」

 吉弘鎮信の問いに、石宗は高城周辺の絵図面を広げて言った。

「小丸川下流を渡り、川南の方角から来るのが平地で大軍が展開しやすい。常道を踏むなら南東から来るという読みじゃろうな。」

「それは、定石どおりに来ぬ可能性も高いということですかな。」

石宗は鎮信の目をじっと見て頷いた。

「島津本軍と大友本軍は初めての対戦、それゆえ相手がどう出るか予想するのは難しい。ただな…。」

石宗は絵図面に目を落として言った。

「わしにはどうしても、島津がしゃにむに野戦を仕掛けてくるとは思えぬ。敵の得意の釣り野伏りは敵を誘い込む戦術。たとえ正面からぶつかったと見えても、そこに罠が無いか十分注意せねばならん。軽々に敵の誘いに乗ってはならん。さもなくば、大友はとんでもない痛手を負う。そんな気がしてならん。」

今度は鎮信が石宗の目をじっと見た。

「道雪様が編み出された釣り野伏り破りの戦術があるとか?」

「あるにはある。ただしこれは非常に難しい戦術、誰でも彼でも出来るものではない。そう考えると今の大友軍の陣立てだが、蒲池鎮漣二千が去った後、少なくともあと一枚、駒が足らぬのじゃ。道雪か鎮種のどちらか一人がおれば申し分ない。叶わずとも、志賀親次か入田入道のどちらかがおれば。」

 志賀親次二千、入田入道千のどちらの軍も、宗麟・義統の本陣に配属され、和田越にいる。

「御館様に援軍の要請は?」

 石宗はため息と共に言った。

「田原親賢が何度もしているようじゃが聞き入れられぬようじゃ。わが主君ながら、自分の身を危険にさらしてまで部下の兵を増やすお方でないことは、わしにも十分わかる。」


(三)

 意外なことだが、ここに来て大友軍二万八千は初めて軍議を行った。それまでは、和田越からの命令を田原親賢経由で伝達し、それに従ってというより、現実的に解釈し直してめいめい行動してきたのだ。これでは、軍としての統制は取れていないに等しかった。まず議題に挙がったのは、高城と財部城に挟まれた現在の陣立てである。島津軍が四万にせよ二万にせよ、敵に挟まれた非常にまずい状況なのは素人目にも明らかだった。この場合の常道は、二方面同時に相手せず各個撃破に努めることだが高城の守り堅く、財部城はそれほど堅固でないにせよ敵兵が多く攻城戦は避けるべきである。となると道はひとつ、高城か財部城から敵を誘い出し野戦に持ち込むことである。

 一方と野戦となったとき、もう一方から背後を襲われぬためには、戦場をどちらかに寄せねばならない。この場合、高城兵がおびき寄せられるとは考えにくいので、財部側で戦場を設定することになる。その場合、高城側から襲われぬように抑えの兵を残す必要もあった。

「この方法にはもう一つの利点がある。こちらから誘い出し、こちらで戦場を設定する限り、島津の戦術・釣り野伏りにひっかかる可能性は限りなく低くなるということじゃ。釣り野伏りが使えぬなら、道雪考案の難しい打倒策を使うまでもなく、こちらの勝利の見通しは随分高くなるというもの。」

 石宗の申し出に親賢が異を唱えた。

「それでは、高城の囲みを一旦解くことになる。それは殿や大殿のお許しを得ねばできぬ。」

 田北鎮周がちっと舌を鳴らして言った。

「今でも許可なく囲みを緩めておろうが。戦場は刻一刻変わる生き物ぞ、いちいち和田越に聞いていては機を逃してしまうわ!」

 親賢が言い返した。

「緩めるのと解くのは違う。後々処断の種になるようなことを、わしはようせん。」

「しかし、お主は総大将であろう。戦場に関する一切のことは任されているのではないかな。」

 石宗の言葉に親賢は詰まった。石宗には親賢の真意がわかっている。ただただ失敗したくない、責任を取りたくないのだ。主君の指示に従った行動なら責任は主君にある。しかし、それでは刻々と変化し生き物にも例えられる戦場での判断はできないと言って良い。経験の有無にかかわらず、そもそも利ばかり求めて危険を冒さない、このような男に総大将は無理なのだ。

「わかった。わかり申した。こうしたらどうかの。」

 鎮信が提案した。

 親賢が率いる一万四千以外の軍は、海側の街道沿いにある持田平野に陣を敷く。ここは財部城の北方一里にあり、島津軍に十分な圧力となり、敵を引き入れての野戦に持ち込む可能性も十分にある。対二万で数の上では不利だが、こちらは大友軍の中でも戦上手がそろっており、釣り野伏りとやらに引っかからぬ以上、少なくとも負けることはないはずである。

 親賢が率いる一万四千の軍は、石宗らが作った陣構えを利用してこのまま高城包囲を続ける。今まで動きの無かった籠城軍だが、財部の島津本軍の動向次第では、城を出て攻めに転じる可能性もある。それもあって、城から離れた場所で戦う必要があるのだった。

 親賢はしばらく考えていたが、ゆっくり考えさせてくれと言って陣幕から出ていった。


(四)

「あの無鹿って場所、蜊に身に行かせたがとんでもないことになっているらしいよ。」

石宗の陣の外に座っている誾千代に、金牛が寄ってきて言った。

「とんでもない?」

大殿はまた何をしたのだろう。誾千代は不安になった。

「村中に岩を薄く裂いた”石畳”というものを敷いて、石と土で作った家を次々に建てているらしい。村はすっかり話に聞く異国の街のようだと蜊は言ってた。」

「焼いた家の代わりを作ってやっているのか?」

「違うね。この日の本中から伴天連教徒を移住させ、伴天連教の都を立てるんだと。」

「焼きだされた民は?」

「伴天連教に改宗すれば住んでもいいんだと。実際に背に腹は代えられないと改宗した村人もいるらしい。」

盗人だ。

 誾千代は思った。金牛は何か理由があるのだろうと言っていたが、状況を聞いたら盗人以外の何者でもないではないか。

 豊後では反対が多くて実現できなかった神の都と聞いた。同じ日の本であり、宗教も豊後と同じような場所であれば、それを日向ならやっていいという理由はあるまい。むしろ盗人と言うより、押し込み(強盗)の理屈に近いかもしれない。

 その大殿の考えに、父はもちろん石宗も鎮信も鎮周もみな反対であるようだ。だとしたらなぜ命をかけて戦おうとしているのか?

 ちょうど石宗が帰って来た。誾千代は自分の疑問を率直に伝えてみた。石宗は頭をつるりと撫でて言った。

「おぎんよ、難しいことを考えるようになったの。」

「石宗さま、何度考えても合点がいかないのです。」

「そうさな、それが武士というもの、と言うても納得せんじゃろう。」

 石宗はしばらく腕組みして考え、片目を開けてこう言った。

「おぎんは父が大殿のようなことをしたらどうする?」

「嫌じゃ。」

「嫌かどうかは置いておいて、従うか逆らうか?」

「逆らうことは出来ぬ。」

「なぜじゃ。」

「…それは、父上じゃから。」

「それと同じよ。」

「?」

「父祖代々仕えたわしらにとって、大友はいわば家じゃ我が家じゃ。大殿や殿は親も同然、子も同然。従うとか逆らうとか言う話ではないのだ。」

「よくわからん。」

「さすがのおぎんにもまだ難しいか。まあ、そのうちにわかってくるじゃろう。」

「親が間違って家が滅んだらどうするのじゃ。」

石宗は近くの木の根に、どっこいしょと腰を下ろした。

「滅ばぬように意見する。それでも聞き入れられぬときは…。」

天を見上げれば、赤らんだ空に星が瞬く。

「一緒に滅ぶかの。」

それが家族じゃと石宗は言った。誾千代はなんとなく理解出来た気がした。


(五)

「陣屋にこのようなものが届いておりました。」

一萬田鑑実が渡したのは親賢あての書状だった。

床几に腰かけ、燭台を近寄せて書状を開く。思わず「おっ。」と言う声が漏れた。

 差出人は伊集院忠棟、島津の重臣で家老職も務め、当主・義久に近い人物だ。

 内容は和議について、

 義久は家臣衆の意向に突き動かされて日向に出てきたが本意ではなく、大友との決戦は望んでいない。大友家と和議を結びたいが、家臣の手前、おおっぴらには出来ない。密かに和議交渉をするため、時間は三日後早朝辰五つ(午前7時)、場所は日向国分寺にお出でいただきたい。

 というものだった。

「伊集院忠棟は切れ者として知られているそうじゃが、よもや我を騙し討ちにするつもりではあるまいな。」

 鑑実は、かすかに口の端を歪ませて言った。

「佐伯宗天様や吉弘鎮信様なら騙し討ちにあう可能性があると存じますが…。」

 親賢はそれが皮肉とは気付かなかったようだ。

「そうか…。」

 そう言って考えた。

大殿は無鹿とやらいう街作りに夢中、戦の結果に無関心なのは殿も同じ。

ようは、とりあえず北日向が確保できればよい。

現状は陣構えを含め、どうみても我が方不利じゃ。戦わねばわからぬと言ってもかなり危うい。戦わずに仕切り直せば兵数も国力も大友がずっと上、総大将など誰かに任す方法はいくらでもあるはず。


「どう見ても和議が賢いようじゃ。」


 親賢は義統にも宗麟にも言わず、もちろん近臣以外の誰にも言わず、この和議を進めることにした。宗麟に変な理屈で反対されても困るし、どう見ても賢いこの選択は、和議が成った後で田原親賢の大きな手柄になるはずだったからだ。戦わずして家老職を手にすることも夢ではないように思えた。

 三日後の辰四つ、田原親賢は一萬田ら側近衆三名のみを連れて日向国分寺を訪れた。一刻程早く着いたが、既に島津方の伊集院忠棟、忠真親子は到着しており、親賢は挨拶も早々に話を始めた。

 島津方の条件は三つ、高城の囲みを解き、大友軍が耳川を越えて北日向に引き上げること。少なくとも一年は耳川以南には攻め込まないこと。長倉はじめ伊東家旧臣の身柄を引き渡すことである。一方の大友方は、少なくとも一年は島津が耳川以北に攻め込まぬことを条件として挙げ、伊東家旧臣の引き渡しには応じられないと島津の条件の一つを撥ねつけた。しばらくの交渉の末、まず島津が財部城を引き払うのを確認した後、大友が高城の囲みを解き、耳川を越えて北日向に引き上げると決まった。

「さて和議はなった。そこで伊集院殿にひとつお願いがござる。」

 親賢の申し出は島津の総兵力を教えてくれというものだった。兵力も軍事機密だが、戦わぬと決めた以上、教えても問題はないだろうと思われた。

「それは問題ござらぬが、どうして知りたいのでござる。」

 忠棟は訛りの無い言葉で尋ねた。

「記録のためでござる。財部には二万の兵とお聞きしていますが?」

「そのとおり。」

「それで全てでござるか?」

いいやと忠棟は首を振った。

「総兵力は三万にござる。」

「あと一万、いったいどこに?」

「さすがにそれは教えられぬ。」

話を総合すると、一万は遊撃隊で、財部の本隊に近いところ、中日向のいずこにかいるということだろう。和議は成ったとはいえ油断は禁物だった。
























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