第ニ章第四話ー7

「あ、ありがとう」

「どいたま。んじゃ、俺はこれで」


 やっとおかしな先生と離れられる。

 こういう人といると、自分までおかしくなってしまいかねない。


「今戻ったら走らされるわよ?」

「えぇ!?」


 保健室の扉へと伸びかけた手をそのままに俺は、先生に振り向いた。

 良からぬことを言ったなこのババア。


「走りたい?」

「嫌です」

「なら、ここでサボりなさい」

「わ、分かりました」


 人を助けたのに、走らされるのはごめんだ。

 今から走ったら確実にビリだし。

 みんなに注目されながらゴールとか考えただけでも顔が熱くなるわ。


「それじゃ、足と額見して?」

「は、はい」


 一人顔を火照らしていると、保健の先生が真面目に治療し出した。

 消毒液のボトルとガーゼらしきものが手に握られている。

 急に真面目に保健室の先生やらないでほしいわ。


「染みると思うけど我慢しなさい」

「じゃあ、消毒しなくていいです」


 お前は注射するよって言ったら急にぐずる子どもじゃないんだから。

 長田がひざを守るようなポーズをして抵抗している。

 つか、先生もなにも言わずに消毒しちゃえばいいのに。

 そうすれば駄々っ子にならずにすんだはずだ。


「ダメよ、消毒しないと」

「痛いの嫌ですわ」

「大丈夫よ」


 ニヤリという言葉がこれほどまでに似合う不適な笑顔を浮かべ、長田を安心させるような言葉を先生は発した。

 これはね、よくある小児科医師のじょうとうテクニックの一つ。

 大丈夫(笑顔もセット)と相手を騙す。

 幼いながらに人から裏切られることを学ぶ出来事ではあるけど。

 俺も小さい頃はショックを受けた。


「そりゃあ、先生は大丈夫ですよねっ」

「……うるせぇな、早く膝出せよ」


 急に長田の対応に腹が立ったか、先生はヤンキー口調で催促してきた。

 ほぅ、元ヤンでしたか。

 一般の人は、こんな言葉使わない……と思う。


「わ、分かりました」


 それに抵抗の無い長田はおどおどしながら、ゆっくり自分の膝を晒した。

 言うことを聞いた長田に先程とは違う笑みを見せて先生は、まともな保健の先生になった。

 ぜひとも最初からこうしてほしい……。

 ――届かぬ願望を先生に送っているうちに四時間目終わりのチャイムが鳴った。

 ホントにサボってしまうことになろうとは。

 なんかあっという間に時間経った気がする。

 それを表すかのように、さっきまでシンと静かだった保健室の周りが騒がしい。

 ほぼ一時間静寂の中過ごしていたから凄く室外の音がうるさく感じる。


「昼だ昼っ。私は昼食ってくるから」

「え、あ――行っちゃったよ」


 一言もこちらへ言わさない早さで保健の先生が部屋から出ていった。

 あのババア、自己中か? 結婚してるとしたら、旦那は余程のもの好きだな。


「練本、お願いがあるんだけど」

「弁当か?」

「そんなところね。大丈夫かしら?」

「ダメなわけないだろ」


 歩けない奴に取ってこさせるほど、俺は鬼ではない。一体こいつの中の俺のイメージはどうなってんだよ。

 なんか分からないけどショックだわ。


「ちょっと待ちなさいよ」

「なんだよ」

「磨莉の机知ってんの、あんた」

「あ……」


 そういえば、長田とは別クラスだったわ。

 どうもなんか同じクラスな気がしてしまう。

 長田の指摘に足を止める。


「“あ……”じゃないわよ。変な勘違いされたら磨莉が円芭に殺されるんだから。しっかりして頂戴」

「す、すまん」

「分かればいいのよ」

「んで、長田の机はどの辺なんだ?」


 長田が円芭に怯えているくだりはもう割愛して、本題をそそくさと切り出す。

 俺も腹へったし。文化部の人間としては体力使いすぎたから、いつもより空腹感が強い。


「廊下側の一番後ろよ」

「了解」

「なるべくみんなにバレないようにして」


 はい、シカトシカト。バレないようになんて無理に決まってる。

 同じクラスじゃない奴が入ってきたら普通見るし。こういうことになるなら長田のクラスにも一人友人を作っておくべきだった。


 とかなんとか考えてるうちに、二年生のゾーンに来てしまったよ。

 長田のクラスは三組。つまり建物の構造上我がクラスである一組と伊津美のクラスである二組の前を通らなければいけない。

 なんてハイリスクな任務なんでしょうね。ここは一つ存在感を薄くしよう。そんでもって迅速にっ。


 第一関門一組。

『……。………。………………』

 おし、クリア。まさか行けるとはね。正直円芭が飛び出してくるかと思ったんだけど。

 まぁ、円芭友達多いからこっちを気にしてる暇がないのかもしれない。

 というわけで、第二関門二組。あ、ここは別に気にすることないか。

 伊津美は昼休み、教室から出ることはまず無い。あまりにリスキーな依頼に冷静な判断できなかったわ。

 二組を通過し、最終関門にして最大のプレッシャーのかかる三組に到着。

 ふぅ……。とりあえず一息つく。

 よしっ! ここは、一瞬が勝負っ。長田が言っていた机の脇から弁当箱らしきものを取って退散した。


「誰、今の?」

「分かんない」

「私も分かんない」

「間違えたんじゃない?」

「え~、今さら間違える自分のクラス」


 なんか教室内がざわざわした気がしたが、そんなのは知らん。素早く取ったから三組の奴らには、俺がどこの誰なんて分からないだろうし。自分にそういい聞かせ、俺は保健室に帰還した。


「あ、ありがとう」

「どいたま」

「「……」」


 円芭と目が合った。……。…………て、円芭!? まさか一番関門だったのは、最初のところというね。灯台もと暗しとはこのことかっ。


「私がここにいたらおかしい?」

「いや、なんも言ってねぇよ」

「じゃあ、私見てビクッてなったのはなに?」


 げっ、バレてる。さすが幼なじみ。よく俺を見てるようだ。

 円芭は、鋭い眼光を俺に向け、一つ弁当箱を差し出してきた。どのタイミングで渡してきてんだよ。

 受け取りにくいわっ。受け取るけど。


「さっきまでいなかった人が、戻ってきたら自然な感じに居たらびっくりするさ」

「あ、そう」


 なんだ? 今日はいつになく不機嫌だな。

 ここ二・三時間の間になんかあったのか?


「そういえば、円芭。いつもお昼食べてるメンバーは、大丈夫なのかしら」

「こっちで食べるって言ってきた」

「そう、ならいいけど」

「そんなことより早く食べちゃお」

「それもそうね」


 と言って、二人は弁当箱に箸をつける。

 なんかこのメンツで昼食摂るの新鮮だな。

 あと、イラつかない。ずっとこの二人と食べたいもんだ。


「あ、そうだ」

「どうした、円芭」

「周りに私達以外居ないから祐に訊きたいことがあるの」

「訊きたいこと?」


 一体なんだろうか。心当たりがない。


「川口さんの件だよ」

「あ~」


 そういえば、そんな人いたな。あまりに最近なにもしてこないから眼中に無かった。


「当事者の祐でさえ、その反応でしょ。あの子おかしいよ」

「そうね。話を聞く限り練本のこと好きな人がすることではないわ」

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