第30話 アルトの決意

 フォルテに向かって黒服の短刀が空を切る。

 そのままフォルテの心臓を突き刺した。




 ……かのように見えたが、間一髪、すれすれの所で黒服女の手が止まる。


 そのままグラリと傾いで、どうと地面に倒れた。


 その背に飛ばしナイフが突き刺さっていた。

 アルトの隠密の一人が投げたものだ。


 黒服がひるんだ隙に、バラバラとフォルテを守るように男達が駆けつける。

 

 その中に見知った顔を見つけて、フォルテは自分でも意外なほど安堵した。


「アルト!」


 アルトはフォルテを背に庇い瞬時に状況を判断する。


 黒服女達がじりじりと後ずさっている。

 不利と判断して逃亡しようとしていた。


「捕まえろ!! 殺すな!」

 衛兵達はアルトの命令に従って、黒服女達を次々捕えていく。

 隠密数人はアルトの側に残って、その身を守っていた。


「アルト……。あなたはいったい……」

 もはや女官フォルテが知ってるはずの庭師アルトではなかった。


 護衛騎士……のはずが、大勢の隠密に護衛されている。

 しかしその疑問を口に出す前に、轟音と共に恐ろしい圧力がフォルテを襲う。



「フォルテさまああああ!!!!」


 最後の最後で失速したダルが、ようやくフォルテに辿り着いた。

 心配と息切れで、もはや助けにきた人間の顔ではなくなっている。


「きゃあああ!!!」

 フォルテは思わずアルトの背に隠れた。


 アルトを守る隠密達ですら、味方と分かっていてもアルトの前に出てダルの接近を制止する。


「そ、そんなあ……」

 ダルはショックで涙目になりながらハの字眉に戻った。


「な、なんで王様がこんな所に?」

 それにやっぱり自分の事をフォルテ様と呼んでたような……。

 顔が怖すぎて記憶が混乱しているのか……。


 アルトは自分の背中で震えているフォルテに視線をやった。

「怪我はないか? フォルテ」


「は、はい」

 温かな深い緑の瞳を見て肩の力が抜けた。

 なぜこんなに安心出来るのか分からないが、この人がいればもう大丈夫な気がした。


「アルト様、黒服女達を全員捕えました」

 早くも衛兵の一人がアルトの前でひざまずき、報告した。

 そして縄に縛られた女達を次々アルトの前に引き出した。


「頭の布を取って顔を見せよ」

 アルトが命じると、衛兵がそれぞれの女の布を取り払った。


 その顔は……。


 数人はフォルテにも見覚えがあった。


 今は髪を頭の後ろにおだんごにしているが、先日会った時は……。




 ツインテールにしていた……。


 そう……。


「アドリア貴妃の……」


 黒服の侍女達はがっくりと肩を落とした。


「なぜ、フォルテの命を狙った?

 お前達が側室殺しの犯人か?」


「……」


 侍女達は答えない。


「アドリアが……命じたのか?」

 しかしアルトの言葉に、はっと顔を上げる。


「い、いえ……、アドリア様はご実家の命じた通りに……」


「実家? 公爵がそんな事を?」

 アドリアの実家は有力公爵だった。


「いえ、公爵様は後宮に入る時にただ一言……。

『王様の正妃の座を勝ち取れ』と。

 他の貴妃に奪われるような事になれば、すべての援助をとりやめ、実家に戻し金持ちの老人と再婚させると……」


「まさか……それをすべて真に受けて……?」


「アドリア様は後宮での暮らしをとても気に入っておられました。

 誰かが正妃になって、このままでいられなくなる事を恐れておられました」


「それで殺したと?」

 そんな事で?

 何人もの命を平然と?

 フォルテは信じられない思いで聞いていた。


「アドリア様は人の死をあまり理解しておりません。

 道端の石を取り除くように……、お父様の言いつけを守るために致し方ない事だと思っておいでです。お父様の言いつけを守るのだから、自分は悪くないと……」


「バカな……」

 アルトはその言い分に呆然としていた。


 フォルテはアドリアを占った時の事を思い出していた。

 彼女は確かに鳥を殺した事を悔いていた。

 しかし、それはそのせいで自分が地獄に落ちるのが怖かったから。

 小さな命を想ったからでもなければ、自分の罪を悔いていたのでもない。


 ほんの目先の自分の未来だけを心配して、誰かが苦しんだり悲しんだりしている事を共感する想像力に欠けている。


 知らないからいいの?

 想像できないから許されるの?

 

 そんな訳ない!


「そなたら侍女はそれを素直に聞き入れたのか!

 主君が間違ってたなら戒めるのがそなたらの役目だろう」

 アルトは侍女達に怒鳴った。

 誰一人疑問に思わなかったのか……。


「我らは後宮に入る時、何があってもアドリア様に従順であれと言われて……」


 アルトは頭を抱えた。


 みんなが判断を人任せにして、自分で考えようとしていない。

 あるいは邪魔な石をのけるように殺人を命じる主君が恐ろしかったのかもしれない。

 余計な事を言って、次に自分が殺される番になるかもしれないと。


 目先の恐怖に怯えて、言われるままに人を殺してきた。

 なんの罪悪感も持たずに。

 命じられたのだから仕方ないと。


 それではただのあやつり人形ではないか! とフォルテは思った。


 そしてふとペルソナを思い出した。


 ペルソナもアドリアも根っからの悪人ではないのかもしれない。


 だが、無知だった。

 そして誰かに命じられるままに、疑問を抱く事もなく従っている。

 そこには自分の正義も自分の生き様もない。


 ただ目先の快楽に生かされている。


「無知は……罪だわ……」

 フォルテはぽつりと呟いた。


 アルトは振り返って、フォルテに深く肯いた。

 その瞳は、しかし自分をも責めているような気がした。


「女達を牢に入れ、早急にアドリア貴妃の身柄を拘束せよ」


「はっ!」

 衛兵達が黒服の女達を立たせて連れて行く。


 そして、アルトはフォルテに向き合い、切ない表情で微笑んだ。


「そなたはこのまま馬車に乗って自分の屋敷に帰るがいい。

 王宮はしばらく慌ただしくて、むしろ危険だ。

 隠密を数人つけて送らせよう」


「アルト……」

 まだ言いたい事も聞きたい事もたくさんある。

 でも、思い詰めた表情を見ると、何も聞けなかった。


「私は……いろんな事に失望して、逃げていただけなのかもしれない。

 クレシェンにすべて投げ渡して、自分で何一つ解決しようとしてこなかった。

 すべては、私が自分の無知を許していたからだ」


「アルトが無知……?」

 そんな人には見えない。

 むしろ誰より人を思いやる心を持ってるように感じていた。


「少しだけ待っていてくれるか?

 自分のすべき事をやり遂げて、納得の出来る人間になれたなら、そなたを迎えに行く。

 その時こそ、すべて正直に話すから……」


「え? 迎えにって……」


「!!」


 言葉が終わらない内に、アルトに抱きしめられていた。

「ア、アルト……」


 体が締め付けられて苦しいのに、感じた事のない幸福感が体を駆け抜ける。


 しかし一瞬の事だった。


 アルトはすぐにフォルテを離し、側に立つ隠密二人に命じる。

「そなたら、この令嬢を屋敷まで送り、私が迎えに行くまで警護せよ。

 かすり傷ひとつ負わせるな」


「は! かしこまりました」

 二人は拝礼してからフォルテを馬車へと連れていく。


「え、ちょ……ちょっと待って! アルト……」


「必ず迎えに行く」


 アルトは微笑んでから、まだ落ち込んだままのダルを連れて王宮に戻って行った。

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