第15話 フィレンツェの間、フェラガモ貴妃に会う

「すごい……」


 午後からフィレンツェの間を訪れたフォルテは一歩入るなり絶句していた。


 区画全体に赤い屋根の巨大ドームを含むお城が再現されている。

 回廊はすべて大理石が敷き詰められ、天井はフレスコ画が途切れなく描かれていた。

 芝生の敷き詰められた中庭には白塗りの彫刻像が配置され、噴水が水を吹いている。


 侍女達の衣装はワインレッドのドレスに金糸の刺繍で縁取られ、髪は高く結っている。

 昨日のヴェネツィアの間とは対照的だ。


 案内された部屋もまた豪華絢爛だった。

 ただし昼間だというのに薄暗くて、怪しい雰囲気がする。


 部屋を区切るのが嫌いなのか、だだっ広い部屋にベッドもソファもテーブルもすべてが見渡せるようになっていた。

 どの家具も手の込んだ装飾がされ、調度品の数々も目が飛び出るような高級品に違いない。

 壁には絵画がいくつも飾ってあるが、名だたる巨匠の作品だろう。


「フェラガモ貴妃様、青の占い師様をお連れしました」


 部屋の入り口で侍女が告げると、部屋の一番奥にあるベッドがもそりと動いた。

 天蓋から垂れた何重ものレースで影しか見えないが、どうやらそこにいるようだ。


「二人きりでお話したいから、お前達は下がりや……」

 奥からうたうような密やかな声が響いた。


「畏まりました」

 侍女達は頭を下げて、フォルテを残して部屋から出て行った。


 フォルテは一人取り残され、ごくりと唾を呑む。

 もっとも、隣りには霊騎士姿のゴローラモが立っていた。


「他にも誰かいるのかえ……? 二人分の気配がするのう……」

 

 フォルテはギクリと霊騎士と目を見合わせた。

「い、いえ……。わたくし一人でございます、貴妃様。

 占いなどをしておりましたら、精霊などもついてきますゆえ、そのせいかもしれません」


「精霊か……。なるほどのう……」

 ファサリと布を開く音がして、天蓋から垂れるレースの一部が持ち上げられた。

 そこから黒い闇が溢れ出て来たように見えて、フォルテは悲鳴を上げそうになった。

 しかし良く見ると、黒いドレスをまとった貴妃だった。

 いや、ドレスというより豪華なネグリジェ。

 胸元は大きく開き、体のラインが透けて見えている。


 霊騎士ゴローラモは慌てて後ろを向いた。


「近頃体調が優れぬゆえ、こんな姿で失礼するえ……」

 貴妃はゆったりと立ち上がり、そばのガウンを羽織った。


「いえ、お気になさらず……」

 フォルテが言い終わらない内に、貴妃はふらりと体勢を崩してしまった。


「貴妃様っっ!!」 

 フォルテは慌てて駆け寄り、その体を支えた。

 それより先に霊騎士ゴローラモも役に立たない腕で体を受け止めようとしていた。


「すまぬのう……。そのソファに横にならせてもらっても良いかのう……」

「ええ。もちろんでございます。どうぞ私の肩に体を預けて下さいませ」


 フォルテはソファにむかいながら、なんともいい香りのする貴妃を見上げた。

 そしてそのあまりの美しさに腰がくだけそうになった。


 銀の直毛はサラサラとフォルテの肩に降り注ぎ、白すぎる肌になまめかしく赤い唇。

 そして長い睫毛の奥に火のようなオレンジの瞳。

 全体的に不健康だけれど、こんな頼りなげに美しい人を見た事がない。


 そして貴妃の後ろには、すっかり鼻の下を伸ばしたゴローラモが見えた。


 まあ、ゴローラモを責める事は出来ない。

 女のフォルテでも腰がくだけそうになったのだ。

 世の男性陣がこの姫を見たら、こんな反応になるのもいたしかたない。


 ようやく貴妃をソファに寝そべらせ、フォルテはその向かいの一人掛けの椅子に座った。

 ゴローラモは頬を赤くして、貴妃の三人掛けのソファの端にちょこんと座っている。


(ちょっと! なんでそっちに座ってるのよ!)

 フォルテが目で注意を促しても、ゴローラモは動こうとしない。


 フォルテは諦めたようにため息をついた。


「では、貴妃様。占いを始めさせて頂きます。

 占って欲しい事がございますか?」


 貴妃はソファに横になりながら、気だるい表情で口を開いた。

「わらわと王様の相性を占ってたも……」


 フォルテは納得した。

 普通、後宮の姫が占い師を呼ぶならそういう相談になるのが当たり前だ。

 昨日のアドリア姫みたいなのは例外中の例外だ。


「ではこのトネリコの葉に生年月日とお名前を。

 こちらの葉には王様の生年月日とお名前を」


 フェラガモ姫は少し体を起こして、葉に年月を書き込む。

「はて、王様の名前はなんだったかのう……」

 大して考える風でもなく、しばしの沈黙が流れた。


「わ、分からなければ、デルモンテ国王でもよろしいですわ」

 何時間でも考えてそうな貴妃にフォルテは口添えした。

 そして手渡された年月に見覚えがある事に気付いた。


 王様の生年月日は、宰相が仮面をつけて占いにきた時と同じものだった。

(そうか。すっかり忘れてたけど、あの時占ったのは王様の事だったのね)


 そして嫌な予感がした。


 ◆     ◆


(やっぱり……)


 ソファテーブルに広げた色石を見ながら、フォルテはさっきの予感が正しかった事に頭を抱えていた。


(相性最悪……)


 目の前の色石は決して相容れない絶望的な相性を示していた。


 そもそも仮面騎士に占った時、これから運命の相手と出会うと答えた。

 つまりは18年も前に出会っている妃達に運命は繋がっていない。


 しかもフェラガモ貴妃とは根本的に相性が悪い。


(こんな美しい方なのに……)


 この最悪な相性で、いったい18年間どのように連れ添ってきたのかと思った。


「あの……王様は……フェラガモ様にお優しいですか?」

 大喧嘩をするか、最初から無視してもいいような相性だ。


「王は……いつもわらわの体を気遣ってくれる。

壊れ物に触るように遠慮がちにわらわの髪を撫ぜ、まずは健康な体を手に入れよと見舞っていくばかりじゃ……」


 この相性では、それが最悪の中の最高だろう。

(では18年もの間ずっとそれだけの関係で……?)


 この美しい人を前にして……。

 醜いデブ王が……。


 昨日のアドリア姫といい、デブ王がひどく気の毒に思えてきた。


 ふと気付くと、霊騎士ゴローラモがフェラガモ姫に寄り添うようにして寝そべっている。


(ちょっとゴローラモ!!

 いくらなんでも貴妃様に失礼でしょ!

 離れなさいよ!)


 すっかり目の前の美女に溺れている霊騎士に目で注意する。

 母テレサ命のゴローラモが珍しい。


{私もいけないとは分かっているのですが、なんともこの姫様に惹きつけられて……離れたくとも離れられないのでございます}

 ゴローラモは体の半分が姫に溶け込んでしまっている。


(ゴローラモ!!

 まさか憑依するつもり?

 いい加減になさいよ!)


{いえ……憑依したくとも器が小さいだけじゃなく……なんだか先客が大勢いるらしく……}


(先客?)


 フォルテは驚いてフェラガモ姫の体を凝視した。

 あまりの妖艶な美しさに惑わされていたが、その色香の匂うような体からは禍々しい闇が煙のようにあちこちから上がっている。


(ま、まさか……)


 すでに憑依されている?


 それも一体や二体ではなく……。


(か、数えきれない……)


 フォルテは呆然と全身に広がる禍々しい煙を見やった。


(ゴ、ゴローラモ、その闇を追い払って!

 貴妃様の体から追い出して!)


{無茶言わないで下さいよう。

 彼らは闇に堕ちたとはいえ、私と同類の霊魂ですよ。

 追い払うどころか同化してしまいますよう}

 ゴローラモは言葉通りにどんどん貴妃の闇に染まり始めていた。


(ちょっと、ゴローラモ!

 しっかりしなさいったら!!

 もう追い払うのはいいから、あなただけでも離れなさい!!)


{そうは言ってもなあ……。

 ここは気持ちいいんですよう……}

 ゴローラモは酔ったように目をトロンとさせている。


 フォルテは青ざめた。

 このままではゴローラモまで貴妃に取り込まれてしまう。


(ど、どうしよう……)


 その間にもどんどんゴローラモが闇に包まれていく。


(こ、こうなったら最後の手段だわ)

 フォルテは椅子から立ち上がった。


「ゴローラモ!!

 母テレサが見ていますよ!!」

 フォルテは渾身の大声で怒鳴った。


「え?」

 突然の大声に驚く貴妃の横で、直立不動になったゴローラモがいた。


「先に部屋に戻ってなさい!!」

 フォルテの命令に、ゴローラモは{はいっ!}と敬礼して、すっと姿を消した。


 さすがに母の名を聞いて我に返ったらしい。

 とりあえずゴローラモだけは助かった。


「突然どうなさったのえ?

 驚いたのじゃ……」

 貴妃は驚いたというわりに落ち着いた仕草でフォルテを見つめた。


「いえ、それよりフェラガモ様、その体調の悪さはいつからですか?」

 たぶんたくさんの霊にとり憑かれている。


「わらわは生まれた時からこんな感じじゃ。

 いつも体が重くてだるい……」


「では後宮に来られた時にはすでにそのような状態だったのですか?」

「うむ。わらわに王の妃など無理じゃと言ったのだが……、メディチ家で一番の美女だとわらわが嫁ぐ事になったのじゃ……」


 この姫は生まれつき、極度の霊媒体質なのだ。

 霊という霊が吸い寄せられて溺れてしまうような……。


「貴妃様、今まで体の中に別の存在がいるような感覚に陥ったことはございますか?」


 困った。

 フォルテは少し勘が良くてゴローラモは見えるが、それ以上の力はない。

 悪霊を祓ったり浄化させる能力などないのだ。


「わらわの心の中はハーレムなのじゃ。

 わらわを愛しすぎておる殿方で溢れかえっておる」

 

 貴妃自身も気付いているのだ。

 大勢の怪しい存在に。


「貴妃様、彼らと決別せねば、その体調の悪さは治りませんよ。

 どうか強いお心で追い払って下さいませ」


 必死で訴えるフォルテに、フェラガモは顔を曇らせた。

「そなたも王と同じような事を言うのじゃな……」


「王様と……?」

 フォルテは驚いた。


(まさか、王様はこの闇が見えているの?) 

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