第10話 ゴローラモ女官長、王様に会う
「ちょっとゴローラモ、その背中の紐をもっと引っ張って」
「こ、こんなに引っ張って苦しくないのでございますか?」
「大丈夫よ、女の腰は引き絞っても平気なように出来てるのよ」
「なんたる驚き。なんたる脅威。ああ、親愛なるテレサ様……」
「ああ、もう! お母様への報告は後にしてちょうだい!
早く着替えないと怪しまれるでしょ!」
懺悔の姿勢になろうとする太った女官長を、フォルテはあわてて制止した。
女官長に憑依したはいいが、女官の仕事などした事がない霊騎士は、ドレス一つ着替えさせられなかった。
しかも宰相が用意したドレスは、最高級のものらしく、凝った装飾や付属品があって、フォルテでもどこに何をつけたらいいのか分からない。
「ゴローラモ、そのリボンを後ろで結んでちょうだい」
「む、結ぶというのは剣帯に剣を固定させる紐を結ぶ、あの結び方で?」
「リボンなんだから、リボン結びに決まってるじゃないの!!」
「ひ――、そんな結び方やった事ありませんよ。
しかも、このぶっとくて短い指が不器用で思うように動かないですう」
「もう、仕方ないわね。
前で結んで後ろに回すからいいわよ。
練習しておいてね」
なんとかドレスを着て、ヴェールでいつでも顔を隠せるように頭の上にたくし上げておいた。
「じゃあ朝食を食べましょ。
ゴローラモも食べていいわよ」
テーブルには、豪華な食事がセッティングされていた。
「ほ、ほんとですか!
うわあ、物を食べるなんて久しぶりだなあ。
死んで以来です」
「普通は死んだら食べないけどね」
焼きたてのパンにシチューにたくさんの果物。
テーブルの上は五人分ぐらいの食事が並んでいる。
「いただきま――す!!」
ゴローラモは大喜びで久しぶりの幸福を文字通り味わった。
「さすが王宮ですねえ。
朝からこんな豪勢な食事なんて……はむっ、うぐっ」
ゴローラモはその姿通りの食欲でパクパク口に放り込む。
「なんと、この体は食べても食べても満腹になりませんぞ。
気持ちいいぐらい食べ物が胃袋に吸い込まれていきます!!」
逆にフォルテはその食べっぷりに圧倒されて、食欲がなくなってしまった。
「食材は確かに素晴らしいけど、そうねえ、ピッツァの方が味はいいかしら」
「ピッツァ殿ですか。
私の生前はまだ駆け出しの料理人でしたからね」
「あの頃よりずいぶん腕を上げたわよ。
食べさせてあげたいわ」
「屋敷には憑依出来るデブはいませんからね。
ナポリ夫人をもっと太らせるようにピッツァに言っておいて下さい。
私が夫人に憑依出来たら、悪事をすべて暴露して、すぐにフォルテ様に家督を返して家を出て行きますよ」
「うふふ。そうね。
そんな事が出来たら簡単なのにね」
気付けばテーブルの食事は完食していた。
後片付けに女官達を部屋に入れると、みんな空っぽになった皿とフォルテの体を交互に見て、細身のくせにとんでもない大食いの女だと驚きを隠せないままに下がっていった。
「では後ほどお迎えにあがります、青婦人様」
ゴローラモ女官長は、朝食でさらに巨大になった体で頭を下げて出て行った。
このまましばらくブレス女官長に成り代わって王宮を探る事にした。
………………
「ブレス女官長、そちらは後宮でございますよ」
「あ、あら、そうだったわね。
方向音痴になちゃったわ。ほほほ」
いつもと様子のおかしい女官長に、女官達は首を傾げて配膳室に入っていった。
手持ち無沙汰に入り口で仁王立ちする巨体の女官長に、女達はなにかダメ出しされるのかと震え上がったが、単に何をしていいかわからないだけだった。
先にどういう一日を過ごしているのかリサーチしておくべきだった。
「ブレス女官長様!」
そんなゴローラモが後ろから呼びかけられた。
「な、なにかしら?」
「宰相様がお呼びです。
占い師様にご挨拶の後、部屋に来るように言ってたのにまだかと……」
「あ、あら。そうだったわ。
ちょっと頭がぼんやりして……。
お部屋まで一緒に行ってくれるかしら?」
「は、はあ。いいですけど……」
◆ ◆
「まったく。すぐに部屋に来いと言ったのに何をしてるんだ、ブレス女官長は!」
宰相の執務室では、いらいらとクレシェンが部屋を歩き回っていた。
「太ってると歩くのに時間がかかるんだよ。
落ち着きなよクレシェン」
ダル軍曹は、同じデブとしてブレス女官長には寛容だった。
そして朝食をまたしても食べ過ぎてソファにぐったり座っている。
「お前は朝から食いすぎなんだダル!
少しは運動したらどうだ!
また昇級試験に落ちるぞ。
人望だけはあるのに……」
ダルは確かに武官達に好かれていた。
家柄はいいのに偉ぶらない気さくな人柄と、怖い顔とハの字顔とのギャップがなぜだか人の心を掴むのだ。
あとは剣の腕さえ上達すれば昇格出来るはずだった。
「いいんだよ、どうせ昇格なんかしたってモテないんだしさ」
「また振られたのか?」
控えの間から、黒髪の護衛官姿のアルトが現れた。
「アルト様! なんで朝っぱらから変装してるんですか!!」
クレシェンは、王の杖と飾り剣と豪華なマントをダルに渡しているアルトに怒鳴り上げた。
「ちょっと朝の散歩だよ。
ダル、しばらく預かっててくれ」
「どこに行くつもりですか!!
もうすぐ会議の時間ですよ!」
「会議までには戻る。ちょっと探し物だ」
部屋を出ようとした所にブレス女官長が現れた。
アルトとぶつかりそうになって、ブレスは慌てて体を引いた。
そのすばやい動きにアルトは意外な顔をする。
「ブレス、いつからそんなに俊敏な動きが出来るようになったんだ?」
「あ……昨日の……」
確か王様の護衛官アルトと名乗っていた男だとゴローラモは気付いた。
そして一緒に来た女官が慌てて拝礼の姿勢になったのを見て、それに倣った。
(やはり将軍以上の地位の武官だったか……)
それでなければ、拝礼まではしない。
「遅いぞ、ブレス!!
お前らしくもない!
挨拶をしたらすぐ来いと言っただろう!」
部屋の奥でクレシェン宰相が不機嫌に怒鳴っている。
「も、申し訳ございません。
少し気分が悪くなってしまい……」
「気分が?
まあいい、早くこちらに来て報告せよ!
あの占い師はどんな顔だった?
本当に醜く潰れていたのか?」
ゴローラモは、はっと顔を上げた。
(そういう事か。
着替えを手伝う風を装って顔を見て来いと命じられてたんだな)
すぐに理解した。
ゴローラモは立ち上がり、宰相の前に進み出る。
後ろから、興味を惹かれたのかアルトもついてきた。
「は、はい。それはもう恐ろしく押し潰され、目は左右に離れ、口は上下に広がり、鼻などは二つの穴しか残ってませんでした。ああ、それで気分が悪くなったのでございます。
今後、占い師様のお世話は私が一手にお引き受け致しますわ。
若い女官が見たらきっと卒倒してしまうでしょうから」
「そんなに酷いのか? お気の毒に……」
宰相の横に立つアルトが同情するように眉間を寄せた。
「そうか。嘘ではなかったのだな。
年はどうだ? 何才ぐらいだ?」
クレシェンは更に追求する。
「顔が潰れていてよく分かりませんが、おそらく40代かと思われます。
良家の貴婦人のようにお見受け致しました」
「ふむ。嘘はないか……」
クレシェンは納得して肯いた。
「他に何か気付いた事や、怪しい事はなかったか?」
クレシェンの問いに、ゴローラモは考えるような顔をした。
すると隣りにひざまずく女官が声を上げた。
「王様、発言してもよろしいでしょうか?」
(え?)
(おうさま?)
ゴローラモは部屋を見渡した。
「なんだ、申してみよ」
クレシェンが代わりに答えた。
「気付いた事と言いますか、驚いた事でございますが、朝食をどの程度ご用意しようかと迷い、多い分には失礼にあたらないだろうと、五人相当分の食事をお持ち致しました。
すると、あの占い師は短い時間にすべて完食しておりました。
見た所太っているようにも見えませんでしたが、それはもう恐ろしい大食漢のようでございます。
やはり常人ではないようにお見受け致しました」
「なんと、五人分を完食したのか!
ダルやブレスにも引けをとらぬ食い意地だな」
クレシェンは呆れ返った。
だがアルトは少しおかしくなった。
少なくとも残酷な運命に負けず、食欲がある事に安心した。
「では、今度からは十人分持っていってやれ」
そして、その五人分の朝食を平らげた本人は……。
ふくよかな贅肉に埋もれそうな目をまん丸に見開いて……。
一点を見つめていた。
その視線の先には……。
ソファにどっかりと座ったままのダル軍曹がいた。
その手には王の杖と飾り剣とマントが握られている。
そして朝食を食べ過ぎて気持ちが悪いのか、世にも恐ろしい形相になっていた。
(ま、まさか……)
(あ、あれが……デルモンテ国王様……?)
ただただ……。
ひどくショックを受けたように呆然と……。
ソファに沈む巨体を見つめていた……。
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