第5話 公爵令嬢、元婚約者に再会する

「お茶をお持ちしました」


 フォルテは久しぶりに屋敷の茶話室に足を踏み入れた。


 父が亡くなってから初めてだ。

 南向きのテラスに面した、お気に入りの部屋だった。


 両親が健在だった頃は、よくこの部屋で家族四人過ごした。

 時には、そう、このペルソナの一家も加わって午後のひと時を楽しんだ。


 5才年上のペルソナは優しい兄のような存在だった。


「やあ、久しぶりだね、フォルテ。

 元気そうで良かったよ」


 優雅にマルゲリータとテーブルにつくペルソナは、屈託なく微笑んだ。

 薄い茶色の髪をおかっぱにした、見るからに育ちの良さそうなタイプだ。

 五年ぶりの姿は、あんまり変わってないように思えた。


「ずっと気になってたんだ。

 急にご両親が亡くなられて、こんな事になるなんて思いもしなかったからさ」


 5才上だから、フォルテの記憶の中では今の自分の年齢の17才のまま止まっていた。


 当時12才だったフォルテには、ずいぶん大人に思えたけれど、自分がその年になってみると、たいして大人でもない。


 でも、あの頃は大人で頼れる婚約者だと好ましく思っていたのは確かだ。

 初恋だったのだろうと思う。


 結婚相手が決まっている事に、特に疑問も抱かなかったし、嫌とも思わなかった。


 フォルテもペルソナも、良くも悪くも貴族のレールに与えられるままに乗って生きて行く事に、異議を唱えるような反抗心も気骨もなかった。


 そしてペルソナは、今もそのレールに乗ったまま、親の言うがままにマルゲリータと婚約しようとしている。なんの疑問も抱かずに……。


「ピッツァがチョコケーキを焼いてくれたの。

 ペルソナ、好きだったでしょ?」

 フォルテがワゴンの上のケーキを取り分け、茶葉に湯を注ぐ。

 この五年ですっかり給仕仕事も板についた。


「ああ。よく覚えてたね。

 マルゲリータも好きだよね」

 ペルソナは、向かいに座るマルゲリータに照れたように微笑みかけた。


「ええ。ペルソナ様。

 ピッツァの作るチョコケーキは最高ですもの」


 情熱的な黒髪が程よいウエーブで腰まで伸びて、赤を基調としたドレスは胸が大きく開いて色っぽい。

 茶褐色の瞳は艶かしく、真っ赤な唇も魅惑的だった。


 初めて義妹だと紹介された時、美しい人だと思った。

 深窓の令嬢にはいないタイプの美人だった。


 マルゲリータを見つめる様子を見ただけで、フォルテはペルソナがすっかり心を奪われているのを理解した。

 その程度には、この五年、人の顔色を読む事を覚えた。


 フォルテがペルソナを兄のごとく慕うように、ペルソナもフォルテを妹のように思っていた。

 恋というには、お互いに近すぎて刺激のない仲だった。

 だからきっと思いがけず現れた魅惑的な恋人に、夢中になっているのだ。


 マルゲリータが代わりの婚約者になった事を心から喜んでいる。


 別に悪気はない。

 悪気はないけど、思慮の足りない人だった。


 マルゲリータに夢中になり過ぎて、給仕をしているフォルテの境遇さえも思い測る視野が欠けている。


 いや、きっと不幸というものを知らなさ過ぎて、気が付かないのだ。


 こんな人を頼りにして、慕っていたのだと、むしろ過去の自分に驚いた。


(幸せは人の成長を止めてしまうのね……)


 この五年の波乱万丈で、自分だけが実年齢以上に年を重ねてしまった。

 だから、ペルソナが世間知らずで幼い弟のように思えた。


「どうぞ、ごゆっくり」

 テーブルの上にお茶とケーキをセッティングして、フォルテは頭を下げた。


「え? フォルテも一緒にお茶を飲もうよ。

 いいよね? マルゲリータ」

 平気でこんな事も言えてしまうペルソナの無神経が悲しかった。


「ええ。どうぞお座りになって、お義姉様」

 大人びているが、マルゲリータは一つ年下だった。

 小悪魔のような表情は見下しているようにも見える。


{この……脳天気男めええ!! なに考えてんだ!

 元婚約者のくせに!!

 ぺっ! ぺっ! ぺっ!

 唾入り紅茶を飲みやがれ!!!}


 我慢仕切れなかったゴローラモが現れて、ペルソナの紅茶に唾を吐きかけた。

 だが、もちろん実害は加えていない。


 フォルテは仕方なく、紅茶だけ持って席についた。


「知ってる? フォルテ。

 マルゲリータは今社交界で一番話題の令嬢なんだよ。

 舞踏会が開かれれば、マルゲリータの前にダンスの順番を待つ列が出来るほどなんだ」


 興奮したようにマルゲリータを褒め称えるペルソナに、フォルテは張り付いた笑顔を向けた。


{それをフォルテ様に言うのか!!

 どんだけ無神経なんだああ!!}

 ゴローラモがペルソナを蹴っ飛ばしている。


「そうそう。この間の白いドレスも素敵だったよ。

 レースで作った薔薇が散りばめられて、いつもと違う雰囲気だったね」


 フォルテは、紅茶を持つ手をぴたりと止めた。


「レースの薔薇……?」


「そうだったわ。

 お部屋のクローゼットにあったドレスなの。

 あなたのドレスってどれも地味で好みじゃないんだけど、あのドレスだけは素敵だと思ってたのよ。

 気に入ったわ」

 マルゲリータはフォルテの反応を楽しむように冷たい微笑を浮かべた。


 そう。


 あれは母テレサが生前、フォルテの社交界デビュー用に準備してくれたものだった。

 二人で話し合ってデザインして、仕立ててもらった特別な……。 


{ゆ、ゆるさん……!!!

 親愛なるテレサ様、この者を切り捨てる暴挙をお許し下さい!!}


 そんな事情をよく知っているゴローラモの怒りは頂点に達し、腰の剣をざっと引き抜き、目にも止まらぬ速さでマルゲリータを切り捨てた。


 ……といっても、もちろんすべて彼女の体をすり抜け、少しも傷ついてはいない。


 フォルテはゴローラモが霊で良かったと思った。

 そうでなければ、マルゲリータとナポリ夫人はすでに百回は殺されている。


{このっ! このっ! 出て行け!

 下品な詐欺女!!}

 ゴローラモは、切れない剣でまだマルゲリータを切り刻んでいる。


 ゴローラモが詐欺女と呼ぶには訳があった。


 五年前に母テレサは亡くなった。

 母を心から愛していた父であるヴィンチ公爵は、ショックのあまり部屋に引きこもるようになってしまった。


 それほど父は母を愛していた。


 そんな時にメイドとして入り込んできたのが、ナポリ夫人だった。


 どこぞの貴族の血筋だが今は没落してメイドとして働いているというナポリ夫人は、入った当初から態度がでかく図々しく、気付けばメイドがしらのように振る舞い、あっという間に父の世話を取り仕切るようになっていた。


 その頃には無気力にベッドの上でしか過ごせなくなっていた父は、ナポリ夫人が世話をするようになってから、みるみるうちに悪化し一週間ほどで寝たきりになってしまった。


 その寝たきりの父が、どういうわけかナポリ夫人と結婚すると言ったというのだ。

 ナポリ夫人の手には、父の署名が入った結婚嘆願書があった。


 デルモンテ国では、公爵の結婚は王の承諾を得る事になっている。

 なぜなら、公爵家は政治に一票を投じる事が出来るからだ。


 この国の政治は王と重臣達、そして王国の各地の領土を治める公爵家によって成り立っていた。

 特にこのヴィンチ公爵家は王宮にも近い領土を治める、有力貴族だったのだ。


 だから公爵家の当主の結婚は、吟味に吟味を重ね、権力が集中し過ぎないか、不当な行為がないかよくよく調べてからでないと許可がおりない。


「あんなインチキ嘆願書、王の許可が下りる訳がありません」


 まだ生身の人間で、フォルテの護衛武官として働いていたゴローラモは、浅はかな女の狂言だろうと、さほど心配もしていなかった。

 どう考えても身分違いで怪しい女の差し出す嘆願書など門前払いだろうと思っていた。


 公爵の結婚には早くとも二ヶ月ほどの審査期間が必要だった。

 その間に女の素性を調べて追い出せばいいと、軽く考えていた。


 だが、何をどうやったのか王の許可は三日で下りた。

 しかもその翌日、ヴィンチ公爵は亡くなってしまった。


 そしてその一週間後には、ナポリ夫人は連れ子マルゲリータを屋敷に呼び寄せ、さらには別の男と結婚し、公爵家に婿入りする形で知らない男に家督を奪われてしまったのだ。


 それら一連の嘆願書の王の許可は、呆れるほど簡単に下りてしまった。


 フォルテはヴィンチ公爵を名乗る義父に、いまだ会った事はない。

 ナポリ夫人とも会っている様子はない。


 そして、何かの陰謀を感じ秘かに調べていたゴローラモは、眠り薬を飲まされた翌日死体となって見つけられた。

 すべては五年前のほんの三ヶ月ほどの間に起こった出来事だ。


 そうしてフォルテはすべてを失った。


 フォルテ一人なら、こんな家を捨てて占い師をしながら一人生きていったかもしれない。

 しかし病弱な妹には貧しい生活を持ちこたえる体力が無かった。

 だからどれほど酷い扱いを受けようとも、ここに暮らすしかなかったのだ。


  ◆       ◆



「お姉様、何かあったの?」


 今年12才になったピアニシモはベッドに体を起こして、沈んでいる様子の姉に手を伸ばした。


「ああ、ちょっと考え事をしてただけよ。

 心配しないで大丈夫よ。

 私の事よりあなたはどうなの?

 今回はいつもよりいい薬が買えたのよ。

 少しは効果があった?」


 フォルテと同じキャラメルの髪の少女は、穏やかに微笑んだ。

「ええ。お姉様のお蔭でずいぶん楽になったわ。

 ありがとうございます」


「本当に? じゃあまたこのお薬を買ってくるわね。

 明日のお客様が思ったより上客みたいで、前金で500リコピンも置いていったらしいのよ。

 占いが満足出来るものなら、さらに1000リコピン払ってくれるって!」


 明るく言うフォルテと反対にピアニシモは瞳をかげらせた。


「苦労をかけてごめんなさい、お姉様」


「何を言うのよ。全然苦労なんてかかってないわ。

 占いは趣味みたいなもんなんだから。

 あなたが気に病む事なんて何もないのよ」


「でも私さえ病気でなければ、お姉様一人なら何でも出来たのに……。

 ペルソナ様でなくとも、お美しいお姉様なら妻に欲しいという貴族もたくさんいたはずだわ。

 それなのに私のせいで……」


「バカね。そんな事思ってたの?

 私は実はね、これで良かったと思ってるのよ。

 もし、こんな境遇にならなければ、私は何も疑問を持たず、何にも怒りを感じず、何も考えないままに良家の貴族と結婚して人形のように生きるだけだったと思うの」


 今頃は、あの善良で思慮の欠片もないペルソナの妻だっただろう。


「きっと私は何も知らず、そうね、幸せだったのかもしれないわ。

 でも、世間の理不尽も、王国の闇も、婚約者の無知にも気付いてしまった。

 もう知らんぷりなんて出来ないのよ。

 そして知らないままの愚かな自分でなくて良かったと思ってるの。

 私は、私の出来る事をやるわ。

 私はこちら側の人生を選べて良かったのよ」


 選んだのではなく、こちら側の人生しか残ってなかったのではあるが……。


 ただ……心残りが何も無いわけではなかった……。



 ◆     ◆



「社交界には出てみたかったわ……」


 ピアニシモと二人分の夕食をピッツァの所にもらいに行って、つい本音がもれた。


「社交界ですか?」


 ピッツァは、ピアニシモ用のお腹に優しい食べ物と、フォルテ用の誰よりも心を込めて作った夕食をトレイに乗せながら聞き返した。


「ピッツァは社交界デビューはしたのよね?」

「ええ。子爵以上の子息はたいてい、15才でデビューしますから。

 女性は13才でしたか……」


 翌年のデビューに備え、あのドレスを用意していた。

 母は自分の事のようにフォルテのデビューを楽しみにしていた。


 しかし、フォルテの家財道具一式を置いたまま、マルゲリータに部屋ごと奪われたのだ。


「ピッツァはモテたんでしょうね。

 舞踏会なんてダンスのお誘いを待つ令嬢が列を作ったんじゃあないの?」


 マルゲリータの話が脳裏をよぎった。


「はは。そんな事ないですよ」


 列は作らなかったが、大勢から言い寄られたのは確かだった。

 そうして破目を外して少し遊んだ時期もあった。

 だが、やがては家督を継ぐ長子ばかりがモテるようになってくる。


 ピッツァのような子爵の三男坊は、恋人にはいいが結婚相手にはならないらしい。

 養子にと望む女家系の貴族もいたが、ピッツァは納得出来なかった。


 自分の手で人生を切り開きたかった。

 だから貴族出身では珍しい料理人を目指した。


「この間、占いの相談に、昔仲良くしていた侯爵家の友達が来たの。

 もちろん『青の貴婦人』の正体が私だなんてまったく気付いてなかったけど、社交界の華やかな話をたくさん聞いたわ。

 たくさんの殿方と恋愛をして、三人から求婚されてるのだけど誰がいいかしらって」


「そうだったんですか……」


 ピッツァはどれほど辛かっただろうかとおもんばかった。


 同年代の友人は、みんな社交界デビューをして、華やかなダンスパーティーや、サロンの音楽会や歌劇に興じているのだ。そしてたくさんの恋をしている。

 もしデビューしていたら、誰よりも恋多き女性だったに違いない姫なのだ。


「ほんの少しだけね……経験してみたかった……」


 この年頃の少女なら当然だろう。

 そして本来ならその資格を充分に持っている姫なのだ。


「せめてピアニシモには経験させてあげたいわ。

 来年までに体を治して、ドレスを新調して……ふふ……無理だわね……」


 薬さえまともに買うお金がないのだ。

 食事だけはピッツァのおかげで不自由ないのが救いだった。


「ううん! 私きっと占い師で成功して、ピアニシモを社交界デビューさせるわ!

 明日の上客に的確な答えを示して、もっともっと稼ぐの! 負けないわよ!」


 決心したように立ち上がるフォルテに、ピッツァこそ品評会で優勝して、フォルテの願いを全部叶えてやりたいと心に誓った。


 二人はまだ、その明日の上客がどんなとんでもない男か知る由もなかった。


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